実家の黄梅も満開です。
垣根の間から覗いています。
先週の日曜に撮りました。
1852年1月29日、「黄金の間」で開催されたフランス銀行の総会
が1859年ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の「前奏曲 第1番 ハ長調 BWV 846」を伴奏に、ラテン語の聖句「アヴェ・マリア」を歌詞に用いて完成させた声楽曲です。
垣根の間から覗いています。
先週の日曜に撮りました。
速達で次男の訂正診断書が届き、無事会社に届け、後は地元かかりつけ医に紹介書を持って行き、リハビリ。
これが痛いらしいです。
学生だった頃の夏休み以来、ずっと家にいる息子との生活が始まりました。
あまり、変わりないですが。
家に誰かいる気配がするのは悪くないです。
パリのフランス銀行。
ナポレオン・ボナパルトが第一執政だった時代に設立したフランス銀行が置かれている建物は、他の旧貴族館同様に歴史は長く、ルイ13世に時世の17世紀にさかのぼります。
国王ルイ13世の国務卿を務めていたラ・ヴリリエール侯爵は、
ルイ13世の国務卿だった
ルイ・フェリポー・ド・ラ・ヴリリエール(1599-1681)
は、1653年にフランソワ・マンサールに広大な豪奢な館の建築を依頼します。
彼が依頼主ラ・ヴリリエール侯爵のために実現した館は、豪勢極まりないもので、中でも40mもの長いギャラリーは賞賛の的でした。
イタリアとフランスの絵画を多数コレクションしていたラ・ヴリリエール侯爵は、ギャラリーの両サイドに名画を飾りました。
侯爵が所有していた絵画は250点。その数点は現在、ルーヴル美術館所蔵になっています。
その館をトゥールーズ伯爵
トゥールーズ伯爵(1678-1737)
が購入したのは1713年です。
が購入したのは1713年です。
彼はルイ14世と愛妾モンテスパンの間に生まれた認知された息子で、5歳の時にすでにフランス提督の称号を持っています。
ラ・ヴリリエール侯爵の館を買ったトゥールーズ伯爵は、当時の最高の建築家ロベール・ド・コットに改築を命じロココ風にします。その時ギャラリーの羽目板に金箔が施され、金色に輝くようになり、「黄金のギャラリー」あるいは「黄金の間」と呼ばれるようになります。
けれども革命の際に荒らされ、絵画も家具もすべて没収され、国立印刷局になった時期もありました。
そこへナポレオン・ボナパルトが1800年にフランス銀行を創設し、1811年から旧トゥールーズ伯爵邸にフランス銀行本部を置くことになりました。
1852年1月29日、「黄金の間」で開催されたフランス銀行の総会
「黄金の間」はその後数回修復されましたが、貴族館だった面影は一部残っています。このギャラリーでは現在ではコンサートやソワレが開催されています。
「アヴェ・マリア」は
シャルル・グノー(1818 - 1893年)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国サン=クルー没
が1859年ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の「前奏曲 第1番 ハ長調 BWV 846」を伴奏に、ラテン語の聖句「アヴェ・マリア」を歌詞に用いて完成させた声楽曲です。
フランス銀行の黄金の間でヤン アントニオのダンスを伴った演奏で
「アヴェ・マリア」
素敵ですね!
歴史ある美しい場所で、音楽を楽しむ文化がいいですね。
CILS合格のご祝辞どうもありがとうございました。とてもうれしかったです。
この曲聞いたことがあります。とても素晴らしい曲ですね。
その曲を太陽王ルイ14世の御落胤が改修した建物で演奏される、何という贅沢でしょう。
僕は仏語はわからないので、せめていつか英語を勉強し直して、彼の地を訪れてみたいですね。
努力が報われる。そんな得難い瞬間を共有して頂いて、こちらこそありがとうございました。
「アヴェ・マリア」いい曲ですよね。
バッハのように古いものに新しい機能を加えるだけでなく、創造し続ける姿勢。
宮廷を銀行に、お堅い銀行でコンサート。ピッタリの選曲だなぁと思いました。
ぜひ、フランスへも!英語結構通じます。語源が同じものが多いので発音すると同じ様な言葉も多く通じると思いますよ!
雲南黄梅、結構庭木にありますね。
たくさん黄色の花が咲いて元気がでます。