RPGにおけるゲーム性については『雪原の勇者』のあとがきでも簡単に触れましたが、もう一度あらためて書いてみようかと思います。
最初に断っておきますが、これから書くことはこうでなければならないということではなく、あくまでも自分の目指す方向性ですので、決して違う方向性を否定するものではありませんので、まあ参考程度に受け取っていただけたらと思います。
自分の定義するRPGにおけるゲーム性とはプレイヤーが役割を演じる気分に浸れるということです。
他にあるかといえばありません。
すべてはこの一点に尽きることになります。
ではよく言われるキーコード、ミニゲーム、選択肢、探索システム(虫眼鏡カードをクリックするアレですね)などはどう位置付ければいいのかといいますと、これらはプレイヤーが役割を演じさせるための手段、方法論であって目的そのものではないということになります。
一番わかりやすいのがミニゲームだと思うのですが、ミニゲームはゲームであることは間違いありませんが、RPGそのものではありません。
ですから単純にミニゲームを導入したからといってゲーム性が高まったとは言えないということになります。
これはキーコードや選択肢や探索システム、さらに言えば文章や演出、それに戦闘やダンジョンにしてもまったく同じことが言えます。
そういったすべての要素はプレイヤーが役割を演じる働きを持ったときに初めて意味を持つということです。
では具体的にプレイヤーに役割を演じさせる方法はといいますと、眠いのでまた今度書きます(笑)。
最初に断っておきますが、これから書くことはこうでなければならないということではなく、あくまでも自分の目指す方向性ですので、決して違う方向性を否定するものではありませんので、まあ参考程度に受け取っていただけたらと思います。
自分の定義するRPGにおけるゲーム性とはプレイヤーが役割を演じる気分に浸れるということです。
他にあるかといえばありません。
すべてはこの一点に尽きることになります。
ではよく言われるキーコード、ミニゲーム、選択肢、探索システム(虫眼鏡カードをクリックするアレですね)などはどう位置付ければいいのかといいますと、これらはプレイヤーが役割を演じさせるための手段、方法論であって目的そのものではないということになります。
一番わかりやすいのがミニゲームだと思うのですが、ミニゲームはゲームであることは間違いありませんが、RPGそのものではありません。
ですから単純にミニゲームを導入したからといってゲーム性が高まったとは言えないということになります。
これはキーコードや選択肢や探索システム、さらに言えば文章や演出、それに戦闘やダンジョンにしてもまったく同じことが言えます。
そういったすべての要素はプレイヤーが役割を演じる働きを持ったときに初めて意味を持つということです。
では具体的にプレイヤーに役割を演じさせる方法はといいますと、眠いのでまた今度書きます(笑)。
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