自分が首を傾げたくなる価値観に、連作物は完結していなければ評価できないというのがあります。
評価できないって、プレイしてみればおもしろいかどうか誰だってわかるじゃないですか。
自分の好きな連作物にMUSANさんのW&Sシリーズや弧月さんのBODシリーズがありますが、これはどちらも未完です。
それ以外にもみいさんの猫達の宴シリーズやaseさんの魔神の歌シリーズや一作しか出ていないガーズ英雄伝などといったおもしろい作品はあります。
それを評価できないということは、要するに評価基準というものがおもしろさとは別の完成度や作り込んであるといった基準で評価を下しているということなのでしょう。
そもそもプレイヤーというのはゲームにおもしろさを求めているわけで、別に品評するためにダウンロードしているわけではないわけです。
もしカードワースのシナリオ作者がおもしろさを無視してひたすら作品全体の構成に力を入れていったら、カードワースは滅びるか思いっきり縮小するしかありません。
おもしろくもない世界なんて長続きするわけないですから。
ですから価値基準というものはおもしろかった、楽しめた、好きだ、この三つが重要なのではないかと思うのです。
それ以外の価値基準があっても構わないとは思いますが、三つの価値基準をサポートする形であるべきではないかと思います。
評価できないって、プレイしてみればおもしろいかどうか誰だってわかるじゃないですか。
自分の好きな連作物にMUSANさんのW&Sシリーズや弧月さんのBODシリーズがありますが、これはどちらも未完です。
それ以外にもみいさんの猫達の宴シリーズやaseさんの魔神の歌シリーズや一作しか出ていないガーズ英雄伝などといったおもしろい作品はあります。
それを評価できないということは、要するに評価基準というものがおもしろさとは別の完成度や作り込んであるといった基準で評価を下しているということなのでしょう。
そもそもプレイヤーというのはゲームにおもしろさを求めているわけで、別に品評するためにダウンロードしているわけではないわけです。
もしカードワースのシナリオ作者がおもしろさを無視してひたすら作品全体の構成に力を入れていったら、カードワースは滅びるか思いっきり縮小するしかありません。
おもしろくもない世界なんて長続きするわけないですから。
ですから価値基準というものはおもしろかった、楽しめた、好きだ、この三つが重要なのではないかと思うのです。
それ以外の価値基準があっても構わないとは思いますが、三つの価値基準をサポートする形であるべきではないかと思います。