感想というものは本来は主観的なものです。
シナリオの感想を見てみると、自分がつまらないと思ったシナリオが高く評価されたり、逆になぜこのシナリオが高く評価されないのかと思うことはよくあります。
以前、何かで読んだことがあるのですが、漫画の北斗の拳などは最初は編集者の間でも連載することに対して意見が別れたそうです。
編集者というのはいうなればプロなわけですが、そういったことに携わる者でものちの大ヒット作品を売れると判断できないわけです。
感じかたというものはそれだけ人によって差が出てくるものなのですから、感想は主観に徹するべきだし客観としての意味合いをもつべきではないのだと思います。
感想がそのまま客観となってしまえば、それは価値観の押し付けになってしまうわけですから、当然のことながら不満が出てきます。
しかも善意によって書かれた感想ならまだしも、己の主義主張を正当化するための書き込みや凡作以外は認めないといった排他的な行為、そういったカードワース全体を覆う状況に対しての自己保身などがあればそれはカードワースにとってマイナスにしかなりません。
そしてそういった行為は必ず反動を生みます。
実際にやたら持ち上げられたシナリオや、とあるシナリオに対する批判的な書き込みに対して見下すような書き込みがあり、それが無用なシナリオ叩き・作者叩きを引き起こしたことを目にした人もいると思います。
結果的にそういった行為はシナリオ作者の価値を高めているようで、逆に貶めているわけです。
いうなれば今の状況は価値観の相対化、価値判断の基準となるものがない状態のままシナリオの優劣をつけようとしているのだと思います。
この問題を解決しなければ、あのシナリオは糞といった主観に基づいた水掛け論的な誹謗中傷合戦は今後もつづくだろうし、自分が記事のタイトルに構造的問題などという大層な名前をつけたのもこういった理由があります。
今カードワースに必要なのは、誰もがはっきりと認識できるきちんとした共通のルールにもとづいた価値基準だと思うのです。
次回へつづく。
シナリオの感想を見てみると、自分がつまらないと思ったシナリオが高く評価されたり、逆になぜこのシナリオが高く評価されないのかと思うことはよくあります。
以前、何かで読んだことがあるのですが、漫画の北斗の拳などは最初は編集者の間でも連載することに対して意見が別れたそうです。
編集者というのはいうなればプロなわけですが、そういったことに携わる者でものちの大ヒット作品を売れると判断できないわけです。
感じかたというものはそれだけ人によって差が出てくるものなのですから、感想は主観に徹するべきだし客観としての意味合いをもつべきではないのだと思います。
感想がそのまま客観となってしまえば、それは価値観の押し付けになってしまうわけですから、当然のことながら不満が出てきます。
しかも善意によって書かれた感想ならまだしも、己の主義主張を正当化するための書き込みや凡作以外は認めないといった排他的な行為、そういったカードワース全体を覆う状況に対しての自己保身などがあればそれはカードワースにとってマイナスにしかなりません。
そしてそういった行為は必ず反動を生みます。
実際にやたら持ち上げられたシナリオや、とあるシナリオに対する批判的な書き込みに対して見下すような書き込みがあり、それが無用なシナリオ叩き・作者叩きを引き起こしたことを目にした人もいると思います。
結果的にそういった行為はシナリオ作者の価値を高めているようで、逆に貶めているわけです。
いうなれば今の状況は価値観の相対化、価値判断の基準となるものがない状態のままシナリオの優劣をつけようとしているのだと思います。
この問題を解決しなければ、あのシナリオは糞といった主観に基づいた水掛け論的な誹謗中傷合戦は今後もつづくだろうし、自分が記事のタイトルに構造的問題などという大層な名前をつけたのもこういった理由があります。
今カードワースに必要なのは、誰もがはっきりと認識できるきちんとした共通のルールにもとづいた価値基準だと思うのです。
次回へつづく。