『帰国の途』
1月11日(日本時間12日)
AM6時起床。
ホテルのレストランでマダム一家と朝食。
カフェ・オー・レはミルクとコーヒーとが別々のポットに入って出てくるのだが、それを自分でカップに入れて好きな割合で飲めるスタイルが気に入った。
是非日本に帰ってからやってみたい。
荷物をまとめ、8時にチェックアウト。
112ユーロ・・・ムッシュの会社で部屋をとってもらったお陰で、三ツ星なのに思ったよりも安くてビックリ。
支払いを済ませた頃、マダム一家がロビーに下りて来た。
マダムたちは荷物をそのままホテルの部屋に置いたまま、私を見送った後、パリ観光。
(いいなぁ・・私も一緒にもう一泊したい)
ホテルのすぐそばにあるパリ・リヨン駅からメトロに乗りシャトレで乗り換えRER(パリ高速鉄道)でド・ゴール空港へ・・。
今回はなんと言っても、寒い最中だったのでメトロで演奏しているストリート・ミュージシャンたちに会えなかったのが残念。
ストリートとはいっても、
パリの地下鉄のミュージシャンたちはレベルが高いので有名らしいのだ。
さすがに、この寒さでは彼らにも堪えるのだろう…。
地下鉄の通路にはたくさんのポスターが張ってるが、どのポスターもフランス的なデザインが美しい。
『ハリー・ポッター』や『天空の城ラピュタ』の映画ポスターもあった。
RERの中では、妙な若者がうろうろしていた。
座席の空いているところに来ては何かチラシのようなものを置いていく。
そして、乗客に話し掛けてはコインをもらっているようだ。
私とマダムが座っているところまで来ると、
マダムに何やら話し掛けたが、マダムが素っ気無く
「Non!」というとすぐに去って行った。
訊くと、勝手にチラシを置いていっては、それを読んだ人にコインをせびるのだという。
パリの電車の中には、押し売りのようなことを平気でする若者も多いのだとか・・・。
もう一度、彼の姿を探すと後ろの方に座っていた日本人の若い女の子2人組みと話していた。
そういえば、さっきバック・パッカ-の格好で妙な毛糸帽をかぶり、だらしないスタイルの女子大生風の2人組みを見かけたが、
あまりのヒドさに「日本の女の子は、みんなああいう子ばかりだ、と思われたら嫌だよね・・」
とマダムと話たばかり。
ガムをクチャクチャしながら、派手なメイクに茶髪、ダボダボのズボンに古着風のブルゾン
渋谷辺りにいれば違和感はないが、パリでは完全に浮いている。
パリの若い女の子が皆、美しく見えるのは仕草がチャーミングであることに加え、ファッションセンスもいいのだ。
パリを訪れる若い女の子は、その辺りを学んで欲しい。
(・・と、また小言になってしまった。)
その彼女たち、どうやらあの妙な若者につかまってしまったらしい。
お金目当てだとも知らずに・・し~らないっ!
教訓その??・・・パリの電車内でウロウロしている若者がチラシを座席に置いていったら無視しよう。うっかり読んだらお金を払わなければならないかも・・。
断るなら「Non!」とはっきり言う事。
シャトレ駅を出て約30分でド・ゴール空港到着。
ここで、また空港バスに乗り換えてターミナル2へ。
9時20分に、空港カウンターにチェックインのため、いったんマダム一家と別れてアエロフロートのカウンターに向かう。
パリに着いた時は荷物も調べられなかったが、ここはまずカウンターに入る前にチェックが
あって、各航空会社のカウンターの入り口付近には警官が立っていて中に入って行くだけでチェックされるという厳しさ。
アエロフロートはマイナーな航空会社なので、
ここでもエール・フランスのカウンターで時間が来ると看板を付け替えて代行していた。
すでにかなりの人数が並んでいたお陰で、待つこと30分・・・もしかしてこのままマダム一家とお別れ、なんてことになるのでは?と心配になってくるほどスローペースだ。
マックでお茶しようって約束したのに・・・。
ようやく私の番がまわってきた。
待った割には「自分で荷造りしましたか?」と一言訊かれただけ・・・。
バッゲージを預け、チェックインを済ませると、一目散にExitへ。
短い迷路のような通路を走って抜けると、出口にマダムが立っていた。
「ああ~、よかった。もう逢えないかと思ったよ」
「今、係りの人に訊いたらココから出てくるって教えてくれたのよ。タッタッタッタッて足音が聞こえたからユミだと思ったら、やっぱりそうだった。」
・・・私の自衛官時代からのカカトをつけて走る癖をマダムは覚えていた。
マダム一家と出発前の30分を空港内のマックで過ごす。
窓から見える空港の敷地には、所々まだ雪が残っていた。
「次に逢う時は日本だね!」
マダム一家に別れを告げて、再びゲートへ向かう。
出国審査は、成田に比べると相当チェックが厳しいらしい。
一人一人、最初から上着を脱がされて検査している、思った以上にここでも時間がかかっている。
少し早く飛び立つ別の便に乗り遅れそうな乗客については、順番を繰り上げてやっているらしく相変わらず前に進むのが遅い。
待っている間、ガラスの向こうで手荷物検査の係員がモニターを観ながらチェックしている…
その様子がこちらからも見える。
バッグの中身が透き通って、次から次に流れてくる荷物の中身を映しているのだが、
まるでイラストを見ているようだ。
それらを険しい顔で観ているのかと思うと、けっこう和やかに隣の係員と談笑したりしている。
(オイオイ、頼むよぉ。ちゃんとチェックしてよぉ!もし、武器を持ち込まれたらどうするんだい。)
予定通り11時45分に搭乗。
でも、チェックに時間がかかったせいか離陸したのは12時35分だった。
モスクワまでは5時間、
成田まではそれから10時間だ。
成田到着は現地時間12日11時前の予定だが、この調子だと恐らくまた遅れるだろう。
モスクワでのトランジットは、時間が遅れて到着したため約30分。空港のロビーで待っただけ。
ここでもパリの友達を訪ねて一人旅をしてきたという30歳くらいのOL風の女性と雑談。
相当買い物をしてきたらしく、手荷物を両手にいっぱい抱えていた。
思えば、私は買い物らしい買い物をしていないよなぁ・・。
もともと、ブランド物にはそれほど興味がない。
わざわざ航空運賃使って、パリに行ってまでヴィトンを買う人の気持ちが理解できないのだ。
モスクワからは、端正な顔つきのロシア人の青年と隣り合わせになった。
青年というよりも少年といったほうが似合っている気がしないでもない。
日本に留学でもするのだろうか・・。
ほとんど無表情だが親切な子で、私が寝ていると起こしてくれて機内サービスのトレーを出してくれたり、二度目の機内サービスの時など
「ボクは飲み物はいらないが
アナタはどうしますか?」
などと、気遣ってくれるのだ。
子供っぽい顔に似合わない低い声だ、もしかして大人ぶっているのかもしれない。
その彼が、途中から急に様子がおかしくなった。
どうやら体調が悪いらしい。
エコノミー症候群にでもなったのだろうか、
座席の前に頭をつけてじっとしていたかと思うと、立ち上がってトイレの方へ行って30分以上も帰ってこない。
しばらくして帰ってきたかと思うと、ぐったりした様子で体を横にして寝ている。
大丈夫だろうか・・・。
機内食は全部平らげていたようだし、お腹の調子が悪いのでもなさそうだ。
長男とそう変わらない年に見えるが、日本についてから誰か迎えに来ているのだろうか・・
など色々心配になってくる。
12日午前11時、成田に到着。
早めに支度するために座席から立ち上がった彼に「大丈夫?」と訊くと
「アリガトウ・・」と日本語で答えた。
どうやら、大丈夫らしい・・・一安心。
1月12日の成田は、とても暖かく感じた。
飛行機が遅れたので、次の前橋行きのアザレア号は2時間待ちだ。
到着ロビーのソファに座ったとたん、猛烈な眠気が襲ってきた。
時差ぼけ、によるものらしい・・意識が朦朧としている。
なんて気持ちがいいんだろう。
そのまま荷物に寄りかかって爆睡してしまった。
小一時間は寝ただろうか、目が覚めたら、なんだか悲しくなった。
ああ、ここは日本なんだ・・。
そして、バスを待つ時間改めて色々なことを考えた。
いい思い出ばかりの旅だった。
行く先々で知り合った人は、良い人ばかりだった。飛行機の中でも、空港でも、TGVでも・・・。
トラブルがつきものといわれている海外単独旅行・・・運が見方してくれたのだと思う。
色々な人に助けられて今回の目的であるマダムMに逢いに行くことができた。
そして、とても大切なことがわかった
私は周りの友人たちから、持ち前の度胸の良さでアヴィニョンまでの一人旅をしてきたように
思われているが、実はそうではない。
『人間、やはり一人では生きていけないんだ』
肌の色は違うけれど、色々な人たちに助けられて無事、アヴィニョン到着できたのだ。
そのことを忘れてはいけない。
ロシア人もフランス人も、みんな親切だった。
このことに先ず感謝するべきであろう。
そして何より、このチャンスを与えてくれたマダムM、私のために会社を1週間も休んで案内してくれたムッシュI、遊んでくれたコリーに、心からお礼を言いたい。
マダム、ムッシュ、コリー、今度は軽井沢で逢いましょう!
(日記はここまでです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました! )
2003年1月5日~12日までの旅日記より
想い出をバックにシャンソン歌ってみました…
マダムM&ムッシュIに感謝を込めて。
↓
清水由美