声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

啄木忌

2015-04-13 19:03:17 | 最近の話題
国語の宿題だったか…

学校の図書室で借りてきた本を読み漁り

「私の啄木研究~一握の砂~」

という啄木のイラスト入り表紙まで作って提出したのは小学6年の夏休み。

あのつぶらな瞳と下がり眉…
優しくて意志の弱そうな表情…

石川啄木は私にとって…なぜか、とても気になる人でした。


二年前の夏、

出張先の盛岡で街を散策中に、

偶然、啄木が新婚時代に一時期住んだ家を見つけ

とても質素な木造家屋に啄木と妻、
両親と妹の5人で住んでいた事を知り、

彼が当時、いかに金銭的に困窮していたかを思いながら

「はたらけど はたらけど 猶 わが暮らしらくにならざり じっと手をみる」

…を、ノスタルジックな気分で思い浮かべましたが、(。-_-。)


考えてみれば、初めて啄木を知った少女時代の私の「夏休み研究」は、

啄木が生涯、生活苦に悩んだ事、
わずか26歳で亡くなった事、
そして、自然主義文学に於ける多大な功績を残した歌人であった事、

それら上部だけを取り上げたにすぎない平べったいペラペラな「研究」だったワケです。(^^;;


実際の啄木は、

1909年の春、東京本郷での下宿生活を記した

「ローマ字日記」を読めば分かるように

人の悪口を言ったり、自分を蔑んだり、

本来は出版社から貰う給料25円を
盛岡で暮らす妻子に送らなければいけないのに、

遊郭通いをして、それでも足りずに友人の金田一さんに借金したり、

盛岡に残してきた自分の家族を思う気持ちとは裏腹に、

思うように行かない仕事や
他者に対する嫉妬に悩み

そんな自分に嫌気がさして、たまに自棄になって「死」を考える…

貧乏と欲の狭間で揺れ動く、一人の若者だった…

よくぞまぁ、こんな自堕落な生活を送る自分の恥部を曝け出したもんだ。

奥さんが遺品整理のとき金田一さんに預けたのがいけなかった…

まさか、本人も世に出るとは思いもしなかった?


そんな、全てローマ字で書かれた日記を読んだとき、

(さすが啄木、モーツァルトの下品な手紙より文学的…)

と思いつつも、初めて生身の啄木に触れた気がして

私は、ガッカリするどころか

「人間・啄木」の新しい魅力を発見し
嬉しくなったものです。(*^^*)


この「ローマ字日記」の中で、

「群馬の新井さん」

「前橋の麗藻社に散文『手を見つつ』
を送った」

と言う、行がありましたが、

群馬県立文書館に「麗藻社」の資料がありそうです。

もしかしたら、
また何か新しい発見があるかも…

近いうちに閲覧に行きたいと思っています。









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