声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

歌じゃない

2012-11-26 08:42:01 | Diary
三ヶ月の苦しく辛い教育隊生活を終えて昭和53年7月に配属されたのが

兵庫県伊丹市にある
陸上自衛隊中部方面音楽隊でした。

すでに女性の隊員が4名所属していましたが、たまに歌う程度で普段は庶務の
仕事を担当しているという事でした。

年齢的には、私より歳上が2人、歳下が2人でしたが、階級は私が一番下でした。
その中で歌を指導して欲しいと
音楽隊長から言われた私は悩みました。
自衛隊は縦社会です。
下の階級の者が上官を指導するなんて
できるはずがないのです。
私は難しい立場にいました。

そもそも、その当時は、音大卒の女性自衛官を採用する事自体、前例が無かったのですから…。

実は朝霞の教育隊にいる時に、同い年
の上官(班長)から
「幹部候補生を受けた方がいい」との
アドバイスをされた事がありましたが

その上官の区隊長からは
「音楽隊志望なら受けない方がいい
○○三等陸尉に歌って頂きます、という訳にはいかないから。第一どこに配属されるかわからないし。」

そう言われて、幹部候補生試験を受けるのを諦めた経緯があります。

音楽隊は男性にだけ、幹部になるための昇級制度がある時代だったのです。

伊丹駐屯地では、
婦人自衛官管理隊という宿舎から
音楽隊の練習場に通う毎日でしたが
駐屯地の入口に一番近い宿舎から
一番奥にある練習場に通うには
歩いて15分はかかります。

女子トイレがない練習場から自転車で
宿舎まで用を足しになんていう
事も当たり前の不便な生活でした。

初めて練習場に入って78名の男性隊員
達の前で歌った曲は
ミュージカルの「踊り明かして」

歌い終わった時に
ある古参の男性隊員から言われました。
「お前のは歌じゃない」と…。

吹奏楽をバックに唄うと、つい声を
張り上げてしまいます。

私の歌は、「歌姫」からは程遠いレベルのものでした。





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