声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

戦時中の記憶

2018-08-20 21:24:13 | Diary
昨夜の『この世界の片隅に』は、

観ていて辛かった。


祖母や親たちの体験を聞きながら育ったことも影響していると思うが、


例えば、

焼夷弾が落ちた時の衝撃…

顔の横を思いっきり何かで殴られるような熱をもった痛み、

火薬の匂いまで、


最近は、まるで体験したかのような感覚さえ持つことがある。



6年前、実母が戦時中に青春時代を過ごした呉を訪れた際も、

昔、ここに住んでいたような気がする…という不思議な懐かしさだった。



そういえば、

母が生前、こんな話をしていた。


たぶん、昨夜のドラマ『この世界の片隅に』と同時期の

呉の空襲が激しくなった頃、

一緒に島根の女学校から来ていた同級生が病気で亡くなった。


病院のベッドに付き添っていると、引率の女性教師がやってきて、

「あんたは部屋に帰りなさい」

と、母だけ宿舎に帰るよう命令されたらしい…。


苦しんでいる同級生を1人で置いておけない、
このまま付き添うと言い張ったらしいが、


その願いを聞き入れてもらえず、無理やり引き離されたのだと言っていた。


苦しむ同級生を1人残して、宿舎に帰ったその翌日、

同級生は、誰にも看取られずに亡くなり、


母は、一緒にいてあげられなかったことを、ずっと悔やんでいるのだと、

「さぞかし、一人で心細かったろう…」

と、
その当時の思いを、何度も繰り返し娘の私に話した。




…遊郭のことも、話していた。


宿舎から海軍工廠の水雷部まで

毎朝、女学校の生徒たちが列をなして歩く道沿いに
その建物があって、

窓から女の人の肩を抱いて酔っ払った“海軍さん”がヘラヘラ笑って

母たち女学校の生徒の列を見ていた…

と言っていた。


その際、母たちは大声で、

『兵隊さんよ、ありがとう』や『愛国行進曲』などを歌いながら

遊郭の前を通り過ぎたのだと…。

なんとも奇妙な光景だ。



海軍工廠の風呂場の話は、特に印象的だ。


ある日、
掃除当番で風呂場に行くと


大量の木箱が積み重ねてあったという。

母が不思議そうに

「なにが入っとるんかねぇ?」

と、上級生に訊くと、

「開けてみんさい」

と、言われ

そっと蓋をあけると、そこに入っていたのは
海軍さんの遺体だったと…。


思わず悲鳴をあげて腰を抜かしそうになった母の様子を、

上級生たちは、ケラケラ笑いながらみていたらしい。


「あの時に見た棺の中の青黒い顔が忘れられんで夜中に何度も、うなされた」


笑って立ち去った上級生の気持ちがわからないと言っていた。


戦争とは人の死に対する感情を麻痺させてしまうものなのだ。



母の話に基づいて私が脳内で作り上げた戦時中の光景に

昨晩のドラマに出て来た人たちが重なる…

最後のシーンだけは、
原作どおりでなく、できれば変えてほしかった。



それはそうと、

香川京子さん扮するセツコさん、

小さい頃、被爆していると言っていたけれど

母親がスズさんとなると年齢が合わないような…、

どういう、ご関係ですか?




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