12月27日(月)自殺・孤独死
雪はほとんど溶けて消えた。芝生の上だけ残っているのは芝が断熱材の役目をして地熱を遮断しているからだろう。菜園のユキナやホウレンソウは何事もなかったようにすっくと立ち上がっている。雪の重みで押しつぶされたように見えても、柔軟に受け流して元通りになる強さを持っているのだ。
露地栽培の冬野菜に比べると、人間はひ弱になったように思う。今年も自殺者が3万人を超えたと思うが、自殺が交通事故死より大幅に多いのは異常である。事業の失敗、失業、借金苦、看護疲れなど原因は様々だろう。いじめを苦にした小中学生の痛ましい自殺もあった。
でも自ら命を断つ前に一人で悩まずに、然るべきところに相談するなり、周囲に助けを求めることが出来なかったものかと悔やまれる。身内や知人に窮状を知られたくない、周囲に迷惑をかけたくないという気持ちは分かるけれども、せっかく両親からもらった命だから、他人の助けを借りてでも寿命を全うして欲しい。
自殺とは違うけれども孤独死も増えている。近所付き合いもない独居老人がアパートの一室で人知れず死んでいたというようなケースである。人同士のかかわりが希薄になった現代社会特有の現象と割り切って済ませる問題ではない。
今年は行方不明老人の問題がクローズアップされた年でもあった。生きているなら110歳になるはずの高齢者を調査したのが発端だったが、全国で行方知れずの高齢者が続々出てきた。行政の怠慢であることは確かであるが、発端となったケースでは親の遺体を隠して年金を不正受給して生活費に当てていた。これは考えようによってはそれだけ生活が苦しい家庭も多いことを物語る事件でもあった。
★明日の閑話は臨時休刊します。
雪はほとんど溶けて消えた。芝生の上だけ残っているのは芝が断熱材の役目をして地熱を遮断しているからだろう。菜園のユキナやホウレンソウは何事もなかったようにすっくと立ち上がっている。雪の重みで押しつぶされたように見えても、柔軟に受け流して元通りになる強さを持っているのだ。
露地栽培の冬野菜に比べると、人間はひ弱になったように思う。今年も自殺者が3万人を超えたと思うが、自殺が交通事故死より大幅に多いのは異常である。事業の失敗、失業、借金苦、看護疲れなど原因は様々だろう。いじめを苦にした小中学生の痛ましい自殺もあった。
でも自ら命を断つ前に一人で悩まずに、然るべきところに相談するなり、周囲に助けを求めることが出来なかったものかと悔やまれる。身内や知人に窮状を知られたくない、周囲に迷惑をかけたくないという気持ちは分かるけれども、せっかく両親からもらった命だから、他人の助けを借りてでも寿命を全うして欲しい。
自殺とは違うけれども孤独死も増えている。近所付き合いもない独居老人がアパートの一室で人知れず死んでいたというようなケースである。人同士のかかわりが希薄になった現代社会特有の現象と割り切って済ませる問題ではない。
今年は行方不明老人の問題がクローズアップされた年でもあった。生きているなら110歳になるはずの高齢者を調査したのが発端だったが、全国で行方知れずの高齢者が続々出てきた。行政の怠慢であることは確かであるが、発端となったケースでは親の遺体を隠して年金を不正受給して生活費に当てていた。これは考えようによってはそれだけ生活が苦しい家庭も多いことを物語る事件でもあった。
★明日の閑話は臨時休刊します。
12月26日(日)静かな朝
昨日終日降り続いた雪がやんで今朝は太陽がまぶしい。一面の雪が光を反射して部屋の隅々まで明るく照らしている。朝日に暖められた雪が木々の枝から次々落下して雪煙を上げ、屋根から滑り落ちる雪はズシンと重そうな音を響かせている。
積雪は7cmぐらいある。食べごろになったユキナもすっかり雪に覆われてしまった。この雪で小鳥が食べ物探しに苦労しているようだ。ヤマガラもスズメも餌場の近くで待っていた。不思議なことに今朝はカラスの鳴き声が聞こえない。いつもなら薄暗いうちからうるさいくらいなのに、どうしたのだろう。賢いカラスのことだから、雪が積もった朝は慌てても仕方がないとおとなしくしているのだろうか。
ネコは寒さが苦手のはずだが、野良ネコは自分で食べ物を探す以外にないから、今朝も早朝から歩き回った形跡がある。その証拠が幾筋もの足跡になって雪の上に残されていた。彼らにとっていつも生ゴミを捨てている穴は優先的な巡回先になっているようだ。
雪が積もった朝は静かである。ふわふわした雪が音を吸収するからだろう。風向きにもよるが幹線道路を走る車の音も今朝は聞こえない。日曜日で車が少ないせいかもしれない。
雪が降らなくてもむかしの町は静かだったなと思う。子どものころは仙台市の旧市街地に住んでいたが、自動車も市街電車もめったに通らないから機械的な騒音はほとんどなかった。それだけに納豆売りの声や豆腐売りのラッパの音が遠くまで聞こえた。
銭湯からの帰り道、凍てついた路面に当たる下駄の音が「カランコロン」とよく響いたのも周りが静かだったからだろう。濡れたタオルが家に帰り着くまでにカチカチに凍った。しんしんと冷えた冬の夜の思い出である。
昨日終日降り続いた雪がやんで今朝は太陽がまぶしい。一面の雪が光を反射して部屋の隅々まで明るく照らしている。朝日に暖められた雪が木々の枝から次々落下して雪煙を上げ、屋根から滑り落ちる雪はズシンと重そうな音を響かせている。
積雪は7cmぐらいある。食べごろになったユキナもすっかり雪に覆われてしまった。この雪で小鳥が食べ物探しに苦労しているようだ。ヤマガラもスズメも餌場の近くで待っていた。不思議なことに今朝はカラスの鳴き声が聞こえない。いつもなら薄暗いうちからうるさいくらいなのに、どうしたのだろう。賢いカラスのことだから、雪が積もった朝は慌てても仕方がないとおとなしくしているのだろうか。
ネコは寒さが苦手のはずだが、野良ネコは自分で食べ物を探す以外にないから、今朝も早朝から歩き回った形跡がある。その証拠が幾筋もの足跡になって雪の上に残されていた。彼らにとっていつも生ゴミを捨てている穴は優先的な巡回先になっているようだ。
雪が積もった朝は静かである。ふわふわした雪が音を吸収するからだろう。風向きにもよるが幹線道路を走る車の音も今朝は聞こえない。日曜日で車が少ないせいかもしれない。
雪が降らなくてもむかしの町は静かだったなと思う。子どものころは仙台市の旧市街地に住んでいたが、自動車も市街電車もめったに通らないから機械的な騒音はほとんどなかった。それだけに納豆売りの声や豆腐売りのラッパの音が遠くまで聞こえた。
銭湯からの帰り道、凍てついた路面に当たる下駄の音が「カランコロン」とよく響いたのも周りが静かだったからだろう。濡れたタオルが家に帰り着くまでにカチカチに凍った。しんしんと冷えた冬の夜の思い出である。
12月25日(土)ホワイト・クリスマス
文字通りのホワイト・クリスマスになった。昨夜から降り出した雪はわが家周辺でまだ降り続いている。午前9時現在で4cmほどの積雪だからたいしたことはないけれども、山間部では1mにも達するところもあるというから油断は出来ない。
仙台でこの時期に雪が降ったのは久しぶりではなかろうか。念のため日誌を見ると去年、一昨年、一昨々年とも仙台は晴れである。2005年の日誌まで遡ってみたが雪の記録はない。だから少なくても過去4年間は雪が降らなかった。
だからどうしたと言う訳ではないが、夏猛暑だった年の冬は寒くなるとも言われているから、これからどうなるか気がかりである。
過去の日誌で天気を調べた序に、去年の12月25日の記録を読み返した。この日は3月8日に軽い脳梗塞になり2度の入院騒ぎがあったものの、後遺症もなく経過良好だったので快気祝いを持って兄の家を訪問している。
もうそのころになるとビールやら清酒など晩酌のことも書いてあるので、アルコールも復活していたようだ。そうなると発病いらい止めていたはずの晩酌がいつ復活したのか知りたくなった。日を追ってみてゆくと6月23日の項に仙台の気温が30℃に達したとあり、晩酌にビールを飲んだと記録されていた。発病いらい約3ヵ月半で復活したのだった。
4月21日に退院するとき主治医に「晩酌ていどなら」とお許しをいただいていたが、この日まで我慢していたらしい。そして街の酒場に復帰したのは9月15日だった。その前の週に主治医から「ほぼ完治」と嬉しい宣託を受けていたからである。その後は週に2回の「休肝日」を守りながらアルコールを楽しんでいる。
28日にまたその主治医に会うことにしている。この1年の締めくくりが「吉」と出ることを祈っている。
文字通りのホワイト・クリスマスになった。昨夜から降り出した雪はわが家周辺でまだ降り続いている。午前9時現在で4cmほどの積雪だからたいしたことはないけれども、山間部では1mにも達するところもあるというから油断は出来ない。
仙台でこの時期に雪が降ったのは久しぶりではなかろうか。念のため日誌を見ると去年、一昨年、一昨々年とも仙台は晴れである。2005年の日誌まで遡ってみたが雪の記録はない。だから少なくても過去4年間は雪が降らなかった。
だからどうしたと言う訳ではないが、夏猛暑だった年の冬は寒くなるとも言われているから、これからどうなるか気がかりである。
過去の日誌で天気を調べた序に、去年の12月25日の記録を読み返した。この日は3月8日に軽い脳梗塞になり2度の入院騒ぎがあったものの、後遺症もなく経過良好だったので快気祝いを持って兄の家を訪問している。
もうそのころになるとビールやら清酒など晩酌のことも書いてあるので、アルコールも復活していたようだ。そうなると発病いらい止めていたはずの晩酌がいつ復活したのか知りたくなった。日を追ってみてゆくと6月23日の項に仙台の気温が30℃に達したとあり、晩酌にビールを飲んだと記録されていた。発病いらい約3ヵ月半で復活したのだった。
4月21日に退院するとき主治医に「晩酌ていどなら」とお許しをいただいていたが、この日まで我慢していたらしい。そして街の酒場に復帰したのは9月15日だった。その前の週に主治医から「ほぼ完治」と嬉しい宣託を受けていたからである。その後は週に2回の「休肝日」を守りながらアルコールを楽しんでいる。
28日にまたその主治医に会うことにしている。この1年の締めくくりが「吉」と出ることを祈っている。