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12月21日(火)正月飾り

2010-12-21 12:12:34 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)

今年もあと旬日を残すのみとなった。鉢物の防寒対策や菜園の土寄せ追肥、軒先の蜘蛛の巣取りなど外回りのことは大方片付けたが、家の中のことはまだほとんど手付かずである。年賀はがきは締め切りまで残すところ4日、果たして間に合うかどうかの瀬戸際に追い込まれた。

日ごろ散らかし放題の部屋の片付け、神棚や仏壇の掃除など、やるべきことはまだたくさんある。そんなに忙しいなら、街へ飲みに出るなんて無駄なことはよせばいいと言われるかもしれないが、今年もお世話になった行きつけの飲み屋さんへの年末挨拶を欠かすわけには行かないと理屈をつける。仲間うちの忘年会も残っている。

正月であろうとなかろうと、今日の次は明日で連綿と続いているのだから、なにも一年の区切りだからと言って慌てる必要もない道理であるが、長年の習慣でそれなりに正月を迎える準備をしないと気が落ち着かないのである。

スーパーに正月飾り用品が並べられている。玄関用の注連縄飾り、大小の重ね餅、ウラジロの葉、餅の上に載せるコンブ、ダイダイなど仙台地方の正月に欠かせないものは何でもそろっている。

正月飾りや雑煮は地域によって様々である。関西で暮らしたときは郷に入っては郷に従えと関西方式の正月準備をした。三方に供えるものが仙台とは違うのにびっくりした。いちばん意表をついたのは長い竹串に平べったい干し柿を10個刺したものである。中央に6個、少し間を空けて両端に2個ずつである。

これをどう使うかと言うと、三方に先ずウラジロを敷き重ね餅を置く。その上にコンブを置き、さらにその上に問題の串刺し干し柿を載せ、トップにダイダイを飾るのだ。この飾り方は地元の人に聞いたところ、語呂合わせの縁起担ぎだという。その心は「代々(ダイダイ)仲むつ(六つ)まじく、にこにこ(2個、2個)、喜ぶ(コンブ)」なのだそうだ。ところ変われば品変わる、面白いものである。

日本のCM50年

2010-12-21 06:27:32 | ★②見たい映画・ビデオ&DVD
日本のCM50年





東京都文京区出身で、実家は老舗の和菓子屋であった。北豊島高等学校卒業。
1964年(昭和39年)、ドラマ『幸福試験』(NHK)への出演でデビューし、翌年、東映に入社した。佐久間良子主演の『孤独の賭け』で初めて本格的な映画出演をし[2]、以後、高倉健の『網走番外地』シリーズや、梅宮辰夫の『夜の青春』シリーズをはじめ数々の映画に出演した。また、映画『男はつらいよ』シリーズでは、マドンナ役を2度務めた。さらに、多くのテレビドラマにも主演し、“好感度No.1女優”の地位を得るに至った。
テレビCMへの出演も多く、とりわけ1977年(昭和52年)から1987年(昭和62年)まで出演していた、サントリーレッド[3] のCMは、「すこし愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーとともによく知られた。また、歌手として数枚のレコードをリリースしている。
所属芸能事務所は長年「オフィス・アール」であったが、晩年には「ワンポイント」に属していた。
病気療養と死去 [編集]
1999年(平成11年)から翌年にかけて、神経疾患である「ギラン・バレー症候群」の治療のために芸能活動を休止した。2008年(平成20年)11月には足元がふらついて自宅で転倒、右手首の骨折と膝の打撲という重傷を負ったが、これは同症候群の影響で身体のバランスを崩したものとされている。
2009年(平成21年)8月6日、連絡が取れず不審に思って警察に通報していた実弟らによって、自宅で孤独死しているのが発見された。行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。かつて映画で共演した夏木陽介は、「話し相手になってあげればよかった…」と追悼のコメントを寄せた[4]。死因は不整脈による内出血であると診断された[5]。
8月23日、東京の青山葬儀所で「お別れの会」が開かれ、森光子、石井ふく子、浅丘ルリ子らが発起人となった。[6]。大原が実の姉のように慕っていた浅丘ルリ子は弔辞を述べ、浅丘が療養中の大原を見舞いに訪れると、大原が「お姉さんにはもっと早く私のところへ会いに来てほしかった!!」と言い感極まり号泣したことを明かした。