my旅写ろん

おもに旅の写真を眺めながら想いを語るサロンです。
ほとんど自分のための記録ですが、旅心がそそわれたら嬉しいです。

御嶽山噴火から1週間

2014-10-03 10:29:48 | 日記2013
戦後最悪の火山災害ということになった今回の噴火。



20140929 毎日新聞より

日を追って映し出される映像は、灰に覆われた死の世界だ。



下山できなかった人は、結局みな死んでしまった。
身元が確認された人は今日で47人。
まだ連絡の取れない人が残されているという。

生死の分け目は運不運?

紅葉のシーズンの土日、子ども連れの家族や職場の仲間たちの
絶好の行楽日和のお昼時が災害を大きくした?

これが夜中だったら、「御岳山が噴火しました」
というニュースで終わったかもしれない。

結局、犠牲になった人たちは火口付近にいた人たちだ。
火山性微動が観測された時点で、火口周辺立ち入り禁止に
するべきだったと思う。
結果論だと言われても、記録しておきたい。

その方が観光地としても面目躍如であったろう。
こんな災害が起きたら全国の火山観光地も影響を受ける。
これをきっかけに、制度が整備されるだろうが.

犠牲者が出なければ対策を怠る行政に憤りをおぼえる。


















御嶽山噴火

2014-10-03 10:19:27 | 日記2013
20140927 11:52 御嶽山噴火!!





(上の写真を一部拡大)


えっ!でも、まさか!とは思はない。
他人ごとではない。私は7/17-18に御岳山に登ったばかりだ。

今回噴火した地獄谷を覗いてきた。硫黄色をした谷が生々しかった。
硫黄の臭いがプンプンした。この火山は生きていると思った。
昭和54年に噴火したと聞いて、たった35年前のことじゃんと思った。



八丁ダルミ、剣ヶ峰を望む。左側から噴火した

多くの人が被災した何もよけるもののない広い八丁ダルミの登山道も歩いた。
不気味な色をした二ノ池も泊った二ノ池荘本館も灰に埋もれていた。

自分がその場にいたら、逃げ切れただろうか? 身につまされる。
視界が真っ黒になったという。灰だけでなく石も降ってきたという。
それも熱い。あやふやだが、普賢岳の火砕流は800℃だったど記憶している。



岩陰にひっそりと咲いていた小さな花たちも灰に埋もれてしまったの
のだろうか?

気象庁や、火山噴火予知予知連絡会の記者会見には腹が立った。
冷静でお説ごもっとも。彼らにとっては、たかが水蒸気爆発かもしれないが、
短時間に50センチも熱い灰が積もり、人命を奪う危険があることを、
知らせないのは納得がいかない。

噴火の予知は不可能としても、火山性微動=火山に変化が起きていることを、
関係者や登山者に周知することは当然のことと思う。

情報があれば、対処の仕方も変わってくる。
そこからは個人の責任の範囲になるだろうが、
日本人はそんなにバカではない。












102才の俳人 金原まさ子さんだった!

2013-06-24 02:17:17 | 日記2013
20130610

わが町の高齢者コミュニティカレッジにはちょっとユニークな学科がある。
ジャーナル学科というのだが、どんなことを勉強しているのかを説明するのは、
ちょっと難しい。私なりに解釈すると、経験豊富なシニアが情報発信をして、
地域社会をハッピーにする勉強とでも言いましょうか。

志の高い師弟20人あまりは、授業として、6月10日読売新聞社見学に行きました。
編集部など見学コースを案内されてから、記者会見の模擬体験コーナーへ。
演出よろしく事件記者になった気分で、真剣に質疑応答。
なんだか年寄りの記憶力が試されているようで、頑張りました!



見学の後の皆の楽しみは、新装なった歌舞伎座に寄ること。
ぞろぞろ歩いていくと、正面玄関でなにやらロケ隊が女性4人を撮っている。
誰?誰? 役者の関係者かなと思いながら、街角カメラマンとして、私も1枚失敬。



それから1週間余りの6月18日。用事があって横浜で一人住まいの母の所で、
普段は見ない夕方5時台のnhk TVを見ていたら、95歳で新聞配達をしている男性の話の次に、
102歳で俳句を作っていて、先日歌舞伎座に行ったというくだりに…

「あっ、この人だ! こないだ歌舞伎座の前で写真撮った!」









へー、102歳だったの!
金原まさ子さん、本も出版されてます。「金原まさ子100歳からのブログ」というのも
あります。スゴイです

「おかあちゃまも、もっと頑張らなくちゃ」と、94歳で一人暮らしの母に、
はっぱをかけて帰ってきたのでした。

何か縁を感じた私の小さな事件でした。