my旅写ろん

おもに旅の写真を眺めながら想いを語るサロンです。
ほとんど自分のための記録ですが、旅心がそそわれたら嬉しいです。

岐阜市散策

2015-01-30 21:57:15 | 2014百名山+観光
岐阜市散策

「岐阜はいいとこだよ、のんびりしてて…」

昨夏、大台ケ原の駐車場で会った男性が言っていた。
登山口の駐車場では、車のナンバーが気になる。

ナンバーの地名から話題が始まり、情報交換をする。

話をしながら、次は岐阜に寄ってみたいなー、と思った。


20141720

大垣から夕方、岐阜城のある金華山ロープウェイ駐車場に到着。
金華山は329mだが、てっぺんにある岐阜城は、下から見上げると豆粒のようだ。
夏場は夜景の人気スポットになっている。




ロープウェイを降りて、やっと見えた岐阜城。旧稲葉山城。
大河ドラマ「国盗り物語」の斎藤道三(平幹二郎)濃姫(松坂慶子)を思い出す。
1973年、もう40年も前の作品。あの頃はみな若い役者さんだったんだ!




信長も眺めた城からの360°パノラマの景色の
夕陽は関ヶ原の方角へ



城から東の方角に、稲妻が光る。その一瞬をとらえようと、
天守閣の欄干で押し合いへし合いシャッターを切るが、難しい。





天守閣から撮った長良川の鵜飼い風景。 コンデジの望遠も大したもんだ。



夜景を堪能して、下りながら展示を見ていると、クラシック音楽が聞こえる。。
お城のプロムナードコンサート?チェロの生演奏が聴けた。
美しい小品が心地よく、エルガーの「朝のあいさつ」など足を止めて聴いてしまった。

岐阜城は夏がお勧めである。



20140721

午前中、金華山の麓の川原町を散策した。



川原町からは、岐阜城は、山の上に小さく見える。



昼間見る「鵜飼」の観覧船
長良川の鵜飼は、1300年の歴史をもつ古典漁法だそうだ。
やはり夜見ないといけませんね。



レトロな街並みに着物の女性がぴったり。




岐阜提灯、美濃和紙に描かれた優美な絵が特徴。


岐阜というと、飛騨高山とか白川郷など観光で行ったことはあるが、
東海道新幹線の駅がエライ議員さんのせいで「岐阜羽島」になり、
岐阜市は通過点になってしまったようだ。


天下取りの舞台になった岐阜、その「岐阜」という地名に、
前から、何となく違和感を感じていたが、
やはり信長が「井の口」から改め「岐阜」に命名したそうだ。
「天下布武」と同じ漢語的意味があるのか…


現在の岐阜は戦国時代の面影より、ゆったり流れる長良川にいだかれた、
古きよき情緒あふれる町のイメージだ。


さあ、鮎菓子をお土産に買って、午後はいよいよ犬山城だ。
















大垣…輪中、水の都、歴史街道の町

2015-01-16 21:14:04 | 2014百名山+観光
20140720 大垣…輪中、水の都、歴史街道の町



御嶽山、恵那山登山のおまけの観光は「城めぐり」
戦国時代の舞台であった美濃地域には、国宝犬山城をはじめ、
たくさんの城がある。

7/19の宿泊地は大垣に決めていた。理由は地方都市。観光地は宿が取りにくいし高い。
それと「大垣」という地名に馴染があった。子どもの頃、
大家さんの名前が大垣さんといっこともあったが(笑)、
東海道沿線に住んでいた私は「大垣行き~」は湘南電車の終着駅として耳馴染んでいた。
でも正確な場所は??

7/20朝、大垣で何を見よう。観光案内パンフレットの「輪中」という字が目に止まった。
小学校か中学校か、社会科で習ったなー。水害から生活を守る…この辺りのことだったのか。

とりあえず、「輪中生活館(旧名和邸)」と「輪中館」に行ってみた。



輪中民家の模型



旧名和邸(輪中生活館)は輪中地帯の典型的な民家



住居式水屋(約2mの盛り土の上に建てられ、洪水時の避難場所になる)
母屋と渡り廊下(どんど橋)で繋がれている。



輪中館の展示 仏壇を滑車で吊り上げる仕掛けが目を引いた。

輪中は一軒一軒だけではなく、地域全体を守っていた。
今ではごく普通の都市に見えるが、ゲリラ豪雨が心配される昨今、
この地域が水害多発地帯であった歴史を忘れないでほしいと、
輪中館の女性学芸員が言っていた。

輪中の次は市の中心部、大垣城へ。



美しい城だ。関ヶ原の戦いのときに西軍の石田三成が
入った城だそうだ。



大垣城にも水害の記録がある。治水に
務めた戸田大垣班は廃藩置県まで続いた。


「水の都大垣」

川が多いだけではなく、湧水も多い。自噴帯があり地下水に
恵まれているそうだ。湧水めぐりはできなかったが、
水門川遊歩道を歩いて、「奥の細道」(芭蕉1644-94)
むすびの地ー大垣船町港跡まで歩いた。



水門川遊歩道の風景



水のカーテンが涼しげだった。



遊歩道の近くにあるチーズケーキ専門店でひと休み。人気の店らしく
お客さんがひっきりなしだった。



シンボルの住吉燈台

「蛤のふたみに別れ行秋ぞ」

古文に疎い私は、「奥の細道」の終着駅が大垣とは知らなかった。
そういえば出発地の深川も川のそば、昔の旅では水運は欠かせない。
船はタクシーのようなものかな?


「守屋多々志美術館」

「あっ、この絵、見たことがある!」
観光案内所にあった美術館のパンフレット。
そう、新聞記事で見つけてたのか、ラジオで聞いたのか、
「音楽のある展覧会、ウィーンに残る、日本とヨーロッパ
450年の足跡」(20121006~12)、於サントリーホール)に行ったときに
見た絵である。この絵も展示内容もとても興味深いものだったので
印象に残っている。




なんとこの絵の女性は大垣藩主でオーストリア全権大使になった
戸田氏共(うじたか)伯爵夫人極子さんとのこと。この大垣の人だったのだ。
そして新聞記事の写真、ベルンハルト・直樹・ヘーデンボルクさんは
極子さんの4代後の子孫だそうだ。どなたが国際結婚したのかしら?
今回は、美術館を訪ねる時間がなかったが、旅には発見があるものだと実感した。


「墨俣一夜城址」(大垣市墨俣歴史資料館)




秀吉の出世城。信長の美濃攻めの時に、一夜にして砦城を
築き名を上げたという話が有名。木曽川が長良川に合流する
地点にあり、川の向こうに岐阜城(旧稲葉山城が見える)
戦国時代の歴史の展示がわかりやすく、眺めも良い、いいお城だった。



遠く、中央の小高い山が岐阜城のある金華山。
城なんて見えたのかな? 昔の人は目がよかったのか…


これで大垣散策はおしまい。

さあ、今夜の宿泊地、金華山の麓、岐阜へ出発。