my旅写ろん

おもに旅の写真を眺めながら想いを語るサロンです。
ほとんど自分のための記録ですが、旅心がそそわれたら嬉しいです。

20140203 官兵衛旅行 No.5 平戸

2019-10-24 23:32:23 | 国内旅行2014
20140203 官兵衛旅行 No.5 平戸

行きた~い!と思って行った平戸だが、
いつものごとく下調べもせず、観光案内所でもらった
ガイドマップを頼りに、できるだけ多くの観光スポットを回ったと、
持ち帰ったパンフレットや、写真が思い出させてくれる。



「寺院と教会の見える風景」
平戸の代表的な風景。わたしも1枚。

ガイドマップには
An island of history and romance
大航海時代の城下町
歴史とロマンの島。
とある。

なるほど平戸は、平戸島という島にあった。
九州の西の端の、島やら入り江やらが入り食っている
複雑な地形の場所にある。

日本史に出てくる有名な地名で、長崎の近くだと
漠然に思っていたが、確かめたことはなかった。

そんなこんなで、行ってみたかった。

写真を見ても、年月が経って、記憶は薄れ、
「そうだったけ・・・」と、
写真の時間を頼りに、まずは写真をアップすることにした。


20140202-03 平戸




平戸大橋。
唐津~平戸到着。この橋を渡って平戸に入ったのは覚えているが、
もう夕方17時近い。宿は向かいの海岸にあるサムソンホテル。



韓国資本のサムソンホテルと思ったが、どうもギリシャ神話の
サムソンとデリラのサムソンらしい。

ホテルからの朝の風景






手前のモニュメントは焼罪記念碑
船の前方は潮目?




平戸オランダ商館の後ろには富士山のような形の山がある。
やはり名前は、「小富士山216.9m」




平戸観光の拠点。平戸港交流広場




交流広場から平戸城が見える




平戸オランダ商館1639年築造倉庫(復元)
道路の脇は海岸になっているので、正面からの全景写真が撮れない。




オランダ塀



オランダ井戸



フランシスコ・ザビエル記念碑



三浦按針の墓








坂道を登りきると、平戸ザビエル祈念記念教会







曇り空で写真はパッとしないが、中は明るくステキ。




松浦(マツラ)資料博物館
明治26年に建てられた当主の私邸(鶴ケ峰邸)
昭和30年、松浦家39代ススム氏より寄贈、設立。




参勤交代の頃の絵?
東海道五十三次の保土ヶ谷を見つけた、わが故郷だ!
でも、この絵のメインは鎌倉かも。
博物館の敷地周辺は、鎌倉時代の平戸松浦氏の本拠地だそうだ。




鎧兜を身に着けて、嬉しそうな元少年。







殿様の私邸は、勿論、城が見えるよに作られている。




幸橋(さいわいばし、オランダ橋)を渡ってお城へ。






松浦家800年の居城、平戸城からは海が見下ろせる。






松浦(マツラ)? そうか!
NHKドラマ「妻はくノ一」(2013)の
マツラ(松浦)の殿様は、平戸の殿様だったんだ。
外様で平戸という西洋との繋がりのあった松浦家は幕府から警戒されていた。
それを知っていたら、もっとドラマが理解できたのにと思った。
平戸観光の一番の収穫は、これかも(笑)

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kunoichi/


さあ、そろそろ平戸ともお別れ。
帰りに田平天主堂に寄った。





1915年(大正4年)3年の歳月をかけて信者たちの手によって建設された
ロマネスク様式の教会。教会堂棟梁、鉄川与助の代表作。







教会の庭には十字架をのせたお墓がたくさん。
長崎のお墓は面白い。
文字は金色で、鮮やかな花が供えられている。
触ってみると、造花!
平戸の教会のお墓もやっぱり同じ。





平戸の思い出の写真をアップしてみたが、冬の曇り空でイマイチ。
「平戸検定」の本なんて買ってしまったから、ちゃんと読んでから、
もう一度、お天気のいい暖かい日に行ってみたい。

















20140202 官兵衛旅行 No.4 志賀島~唐津

2019-10-12 00:29:33 | 国内旅行2014
20140202-03 官兵衛旅行 No.4 志賀島~唐津


2008年末に長崎に住む叔母がなくなり、残された要介護の叔父を
訪ねて、九州を何往復かした。 いろいろなルートで九州入りし、
道中の観光地や登山を楽しんだ。

その叔父も2013年末に亡くなり、孫が大村にいるものの、
用事が減り、行く回数も減るのは予想できるので
今回の長崎行きは、官兵衛旅行と冠したものの、
行きたいと思っていて、まだ訪ねていない九州の地、
平戸に寄ることにした。

なぜ平戸?
それは単純、日本史の長崎と平戸が、
私の頭の中でごちゃごちゃになってるだけ。

今日は志賀島(福岡)から平戸をめざす。




20140202 志賀島(福岡市)



休暇村志賀島は、夏なら家族で賑わいそうな海水浴場が
目の前にある。






今は真冬。 冬の玄界灘はサーファーの季節?



休暇村近くの沖津宮


福岡市というよりは、きっと大宰府の玄関口に位置する志賀島には、
教科書に出てくる蒙古襲来とか金印とかの遺跡があり、
古くから中国との交通の要衝だったのだろう。
万葉集にも20首以上も歌われ、漁民や防人の暮らしがしのばれる。






















志賀海神社





志賀海神社からの眺望






さらば福岡



20130202 唐津





懐かしの「虹の松原」、唐津だ。
前回はここをサイクリングした。




唐津のシンボル、高島のある玄界灘。




勿論、唐津城に行った。
何と、石垣修復中で重機で支えられてるが、中には入れる。
またお城から海が見たい。




そう、この景色
なんとものどかで、時間を忘れてしまう。









さらば唐津城!良く晴れた写真だ。


さあ、平戸に向けて出発。



************


旅の良し悪しは、お天気で決まるといっても過言ではないが、
それプラス前回の唐津の思い出がよかった。

長崎の孫が生まれたころだから、13年ぐらい前の夏なるか、
「青春18きっぷ」で福岡空港へ行く途中で寄った。
九州の電車はモダンで明るくてビックリ!
小城で下車し、街を散策。
小城羊羹を食べたり、ソフトテニス発祥の地だと知った。
次は唐津で下し、レンタサイクルで散策。
海辺のホテルのランチでは、お刺身がガラスの鉢に盛られてゴージャスなこと!
しかも安い!

お天気と安くて美味しい食事とお城の景色の3拍子揃って、
唐津はまた行きたい町のリストに入った。

今回は車だったけど、またお天気で、お城に行けて満足。



***************





























20140201-02 官兵衛旅行 No.3 福岡編

2019-10-08 22:02:48 | 日記2014
20191007


続きを書こうと思っているうちに、なんと3年ちかくも経ってしまった。
止めてしまってもいいのだが、ずーっと気にかかっている。
写真が撮りっぱなしになっているのが気になっているのだ。

今年古稀、70歳になった。
そのうち何もかもどうでもよくなって、認知症になって、
みんな忘れちゃうのかもしれないが・・・まあ、それはそれでいい。

それともう一つ、どういうわけか、PCの2016年の写真のファイルが
行方不明になってしまって、幸い、ブログに載せた写真が残ってくれた。

時間が経ってしまって、写真の日付を追っても、
思い出せないこともある。

というわけで、ざっとまとめて、後で加筆、訂正ができれば上々?



******



20140201 福岡


さて、前回の小倉城から、かんぽの宿北九州泊。
どんな宿だったか全然覚えがない。

どういう道筋をたどって黒田家の本拠地、
福岡へ入ったのか、記憶に定かではないが、
海路と陸路を使った。


福岡は3回目だと思うが、便利で活気があって好きな街だ。
食べるものも安くて美味しい。
商業地は博多というらしいが、歴史的なことはさておき、
日本の西の玄関。東シナ海に面しているせいか、
一種アジア的異国情緒がある。

城のある町に行った時は、私たちは、まず城を訪ねる。
たいてい高台にあって、街が見渡せるからだ。

福岡城跡は、市街地に溶け込んでいて、歴史的な趣がない。
外様なので、気を使って天守は作らなかったそうだ。




梅園越しに、本丸(表御門跡、祈念櫓)



市民のスポーツのメッカ? かの有名な平和台陸上競技場。


神社仏閣も街中にあって、どれがどれだか印象が薄い。




黒田家の菩提寺、崇福寺





福岡藩主黒田家墓所入口





黒田家の墓地には驚いた!
横長のだだっ広い敷地に大きな石柱がダダーンと並んでいて、
こんな墓地は初めて。




中でも赤茶色の独特の風格のある墓石が官兵衛のものだった。




日本で最初の禅寺だそうだ。由緒ある寺で
始祖の栄西禅師(ようざい)は茶祖でもある 
詳しくは下の説明書きを。





折しも訪れたときは節分、賑わっている。




どぎついお多福が元気な、こんな節分、初めて見た!





夫は初めての、博多山笠の前で


そろそろ帰らなくちゃ。
結局、博多ふ頭まで歩いた。




市営の渡船で志賀島に帰るのだ。

渡船は私のお勧めである。
今年(2019)中学生になった孫が生まれるとき、
1日福岡を観光した。友人に海の中道をすすめられて、
往きは電車で行ったが、帰りは船があるのを知って、それで帰った。
市営で安いし、小さい船だったけど、景色はいいし、観光気分満喫。
夏休みで、部活の高校生?が一人でボーっと乗っているのが印象的だった。
こんなに気楽に船に乗れるのが羨ましかった。














8年前の2006年に乗った市営渡船に比べるとずいぶん立派になって、
ホバークラフトかな? 料金も高くなったような気がする。
でも遠く離れていく夕暮れの福岡のシルエットは十分観光気分を味わえた。

思い出した!
多分、往きはこの波止場の駐車場に車を停めて(無料?)、
電車で福岡市内に入ったのだ。
船は渋滞が無くていい。

この日の宿は、休暇村志賀島。




20140131 官兵衛旅行 No.2 赤穂~小倉

2017-03-23 22:37:00 | 国内旅行2014
20140131

官兵衛旅行 No.2 赤穂~小倉


姫路に降りたついでに、赤穂浪士の故郷、赤穂にも寄ることにした。

赤穂というと、私の中では、塩田が広がる砂浜のイメージなのだが、
寄り道の私たちには、時間もないので、9:00 まず、赤穂城址へ。



大石邸跡?




大石神社の参道には四十七義士の石像が並んでいる。




赤穂城址入口
近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海浜平城
と書いてあったが・・・




中に入ると、だだっ広い!
まだ建設途上?







コンクリートの広場が桟橋のようになっているのは、浸水が予測されるため?

周りは工業地帯なのか、工場の煙突が見えたり、
まさに、非常に珍しい城址と感じた(笑)




博物館とか見るものがありそうだけど、いつものごとくパス。




高速から見えた山の斜面の切込みは?
赤穂の「赤」?
朝っぱらの1時間余りだったけど、寄ったよ、赤穂。



15:30 小倉到着


赤穂~小倉、やっぱり遠いんだ。
城のある町では、まず城へ。

15:45 小倉城。 急がなくっちゃ。




小倉城は、関ケ原合戦の功労で入国した細川忠興(夫人は細川ガラシャ)が、
1602年本格的に築城。1632年細川氏が熊本に転封後、譜代の小笠原氏が入国。
将軍家光から九州諸大名監視という特命を受けていた。

天守閣は「唐造りの天守」と呼ばれ、四階と五階の間にひさしがなく、
五階が四階より大きくなっているのが特徴だそうだ。




展示はなかなか凝っていて、今まで見た城の中でも一番面白い感じ。
またゆっくり見てみたいと思った。
なにしろ時間がないので、大急ぎで隣の、「小倉城庭園」に行く。




愛称、小笠原会館、城主小笠原氏の下屋敷(御遊所)跡に復元した、
江戸時代の典型的な大名庭園と書院で、今は文化施設。

小笠原家は徳川の有力な大名で、また全国の小笠原一族の総領家。
「小笠原礼法」の宗家として知られる旗本の小笠原家もその一族。

この会館では、礼法の「思いやりの心」「もてなしの心」という
日本の伝統的な生活文化を紹介し、体験できるようになっている。

周辺はカラフルの近代的な建物(リバーウォーク北九州)やビルが立ち並んでいるが、
ここだけは、江戸時代にタイムスリップしたような、長閑な空間だった。




お城が、ちゃんと見えるように建てられている。




ガマが昔っぽい。




17:00 閉館。雨戸に夕陽、やっぱり長閑。




堀に映る小倉城。
光がないので暗いけど、野面積みの石垣だ。


さようなら、小倉。



今日の宿は、かんぽの宿北九州












20140128-0213 官兵衛旅行 No.1 姫路編

2017-01-16 10:58:19 | 国内旅行2014
20140128-0213 官兵衛旅行 No.1 姫路編


縁あって、ここ数年、九州の長崎まで、何度か車で往復している。
とんぼ返りではもったいないので、道中、観光や百名山を登ったりした。

今回は、平成26年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の足跡と
その周辺を寄り道しながら往復した。

秀吉は知っていても、官兵衛はほとんど知らない私。
「黒田」というと九州の大名で、キリシタンだった?なんて
いい加減な記憶しかない。

「ドラマで歴史に興味を持って・・」は私のいつものパターン。
毎回ドラマの終わりに、「ゆかりの地」が紹介される。
映像と語りに、旅心をそそられて、聖地巡礼(笑)

早くまとめたいと思いながら3年近くの日々が過ぎてしまった今、(H28末)
写真を眺めては、「何だっけ?」と、パンフレットと首っ引きで思い出している。






20140129 姫路


朝、姫路城前の駐車場に到着。
レンタサイクルで回ることにした。





nhkの大河ドラマ館
もうオープンしていたが、ここは素通り。





姫路城はまだ平成の大修理中






明治時代の軍の建物を利用した姫路市立美術館
いつもの旅では巣通りするのだが、今回は入ってみた。
軍はいつも一番いい場所を占拠する。





お城の周りは、いい街路樹があって、冬だけどサイクリングが楽しい。


廣峯神社は山の上、自転車で登るのはきつかった。





ここからは歩き。





不用の瓦を芯にした土塀、土と竹でできた家の壁など、
まさに昔の人も歩いたと実感できる道筋。
目薬売りをしていたという、黒田家跡もある。





廣峯神社からは姫路市内が見渡せる。





境内には「軍師官兵衛」のポスターも。





この神輿は享保2年(1717)の作。木の馬、よくできてる。
今は行われない神事に使われたそうである。


さてお昼もとうに過ぎて、御着に急がなければ・・・
どこか思い出せない神社と播磨国分寺跡によって、
(国分寺跡というのはどこも原っぱに礎石だけが多く、面白くない)


御着城址には、御着城をイメージした姫路市東出張所(役所)があって、周辺に史跡が散らばっている。




御着城の跡には「小寺大名神」が祀られている。総石造りの「旧天川橋」は、
山陽道から移築保存。





黒田家廟所(官兵衛の祖父重隆と母明石氏の墓)

さあ、今日の聖地巡礼は終了




このお飾りの官兵衛の兜は、我が家で盃といっしょに並んでいます。




夕食は、官兵衛御膳と姫路名物のおでん。
姫路のおでんは生姜醤油で食べるのが伝統。
熱くて美味しかった。



20140130 姫路~赤穂、書写山圓教寺


今日は車で、昨日行けなかった「ゆかりの地」をめぐる。
パンフレットを頼りに、こんなチャンスでないと絶対に訪ねなさそうなところだ。






海の近くにある妻鹿城址





黒田職隆の廟所
天明3年(1783)発見された墓碑から職隆のものと推定され、
九州の黒田藩から役人が派遣され廟所が建立された。

「関西は史跡だらけだよ」と転勤になった友が言っていたが、
残したいと思う人の意思の力が強いと思った。
特に黒田家は先祖を大切にし、生き残ることに全力を注いだ一族だったと感じた。


「書寫山圓教寺」


小雨に煙る中、姫路城から秀吉軍が移ったという書寫山圓教寺に行った。
ここはロープウェイで行く。







すれ違ったロープウェイには官兵衛くんがうっすらと。





仁王門 なんとも古刹っぽい。




うぉー! 清水寺みたいに大きい!(摩仁殿)
こんな山の中に、驚きである。

















「3つのお堂」大きなお堂がコの字型に建っている。
あまり大きくて接近しているので、1枚の写真に収まらない。

古くは「西の比叡山」と称され、修行僧の道場として栄えたそうである。

この佇まい、なんか見たことある・・・・
やっぱり、なんと、「ラストサムライ」のロケに使われたそうである。

渡辺謙が登場する、あの館!

ずっと何処だろう、と思っていたが、やっぱりあったんだ!

ネットで調べれば、すぐわかることだろうが、
それで、行くのは面白くない。

遭遇するのが楽しい。
「呼ばれたんだ!」という不思議に感動する。

官兵衛ゆかりの地をたずねて、
「ラストサムライ」ゆかりの地に巡り合えたのは大収穫。

「ラストサムライ」は私の好きな映画の1つである。
奈良橋陽子さんが関わった、日米合作映画は、日本人の心が大切にされ、
見ていて、日本人に生まれて良かったと思わせてくれる。








1月の小雨に煙る「書寫山圓教寺」は訪れる人も少なく、
静謐で、悠久の時の流れを感じる、素敵な場所だった。



さて、今晩の宿は赤穂。











鳥海山縦走の旅2014

2015-10-29 15:53:26 | 2014百名山
20140819-27 朝日岳~月山~鳥海山~蔵王~吾妻山~磐梯山


H26年8月22日~24日、鳥海山荘が主催する2泊3日の「鳥海山縦走登山」に申し込んだ。
夫が鳥海山登山のために探していた宿で見つけたイベントである。


遠く、山形と秋田の県境にある鳥海山に出かけるのだから、ついでに周辺の山にも
登りたいと、往きに朝日~月山、帰りに蔵王~吾妻山~磐梯山を訪ねることにした。


8/19に埼玉を出発。朝日岳登山口の古寺温泉朝陽館に泊まる。





20140820-21 朝日岳


8/20 朝6時ごろまで雨が降ったりや止んだり。
5,6人のグループが合羽を着て登って行った。
天気の悪い時は、中止にしたがる私だが、今日の宿が山小屋なのと、
近隣に行きたいところがないので、私たちも出発。

ガスで眺望のない中、足元の花を眺めながら登る。
黙々と登って、ふと振り返ったら、霧の合間に小朝日が顔を出したが、朝日岳は見えない。






この道の先の霧の中に大朝日小屋が見えているのだが・・・
東北の山小屋なので寝袋で自炊。
山小屋はきれいで、小屋内で調理ができるよう、ステンレス板が用意されている。
私たちのほかに、単独の人と、4人グループが泊まった。

翌朝も雲の中。そそくさと下山して月山そばを食べた。



山菜のたっぷり入ったアツアツの汁にそばを入れて食べる。雪国らしい。


20140822 月山

晴れ、でも雷注意報が出ている。



今日はリフトで山頂往復



草原に覆われた月山はとても気持ちがいい。



夏の日差しを浴びて残雪から湯気が立ち上る。



頂上(1984m)の月山神社



神様のお使いは「うさぎ」



外国人らしい二人。なぜか絵になる。
頂上周辺は見晴らしがよく、ゆっくりしたくなるが・・・


さあ、下山して鳥海山荘へ




20140823 鳥海山縦走







この夏の大気不安定はどこまでもつきまとう。昨日18時頃から雷が鳴り出し、
夜中雨がザーザー降った。
朝5:00出発だが雨、雲の動きで9時ごろには回復ということで、ホテルから遠い下山予定の
鉾立から登ることに変更になった。移動で1時間ばかり稼げる勘定だ。



登山口近くの広場から、ハクサンシャジンの向こう、鳥海山はあるはずだ。




予報通り雲が切れてきて、下界が垣間見られる。風が強い地域なのか風力発電がみえる。




標高が上がるにつれガスってくる。晴れていれば素晴らしい景色だろう。




この方が鳥海山荘の社長さん。約20名のパーティのしんがりを務めてくれている。
ナナカマドの実が赤くきれいだと写真を撮っている。何度も登ってられるだろうが、
山の景色は一期一会。鳥海山をこよなく愛しておられる。




大物忌神社、御室小屋到着。 昼食!
正面に見えているピークは新山ではありません。




ガスがはれ、急に壁が目の前に迫る。外輪山だそうだ。




あれが新山?瓦礫の山だ。溶岩ドームだそうである。
リュックを置いて、ついて行く。



えっ?こんな狭いところ下りるの?
結構な落差だ!久々に緊張!スリル満点!



溶岩ドームの頂上へ



空が怖いくらいに青く澄んでいる。




素晴らしい景色だ! 溶岩が固まると、こんな風になるんだ。
ということは、蓼科山の頂上の石畳?も溶岩ドーム?
一つ一つの石はけっこう大きい。人が小さい。
黄色いヤッケをきた同行の社員の人が、私たちの写真を撮ってくれている。




新山を抜けるのは大変だ。



きゃっ、真っ暗!




やっと溶岩ドームから抜け出せた。
いよいよ下り。鳥海山らしい景色が続く。





いよいよゴールは近くなった。
雪渓の中で余韻を楽しむ。



今日たどったポイント。




鉾立登山口→賽の河原→御浜小屋→御田ヶ原→七五三掛→大物忌神社・御室→
新山(2236m)→七高山(2229.2m)→薊坂→河原宿小屋→八丁坂→滝ノ小屋(湯の台)
朝7時から日没まで、12時間? よく歩きました。
ベテランガイドの柴田肇さんとホテル関係3人が引率してくれた今回の縦走、
温泉有り、弁当、宴会付き、そして私のような写真好きにも、たっぷり時間をくれた、
至れり尽くせりの山歩きでした。

今回は鳥海湖が見られなかったし、天候によってもいろいろコースを選んでくれるみたいなので、
また来年も参加したいと思いました。みなさん、また歩きましょうね!


鳥海山で見つけた花たち



強い風と湿気のせい? 濡れそぼった感じの鳥海アザミです



イワイチョウ



雪渓のそばに、まだ咲いていたヒナザクラ



エチゴキジムシロ



イワカガミ



アオノツガザクラ



イワギキョウ



イワブクロ
鳥海山が南限?



可愛いウサギギク



20140824 蔵王山 - 真壁仁の碑

坊平スキー場のペンションから刈田岳と熊野岳を周遊する。
夫が考えてくれたコース。いつもながら予備知識なしでついて行く。



ペンションからの景色

蔵王というと、温泉やスキー場が有名で、観光地というイメージだが、
百名山である。歩いてみると登山スタイルのハイカーがたくさんいた。








木道が整備されたお花畑もあるし、トレッキングコースいろいろある。




お花畑で見かけたアサギマダラ



真壁仁の詩碑


ペンション近くの登山口の公園?にあった碑の詩が心に残った。
残ったというより、グサッと来た。
なぜここに、この詩碑があるのか、わからないが、




~峠は決定をしいるところだ

風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいっていけない

大きな喪失に耐えてのみ
あたらしい世界がひらける

峠にたったとき

すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくる道はたのしい  

真壁 仁 ~


なんだか「わらしべ長者」の話に似ているが、
決定を、先延ばし、断捨離のできない私には、苦言だ。

気になるので、ネットで調べたら・・・
詳しくは、こちらでどうぞ。

http://blogs.yahoo.co.jp/jm55mk17/39818769.html


20140825 高湯温泉泊


20140826 雨のため、吾妻山登山は中止

福島市にある古関裕而記念館を訪ねる


幼いころからNHKラジオで耳なじんでいる曲から、
「君の名は」「長崎の鐘」「東京オリンピックマーチ」
など、作品は5000曲以上にのぼる。
なかでも、早稲田/慶応の応援歌、阪神/巨人の応援歌といった
ライバルチーム双方の作品を送り出しているのが、面白い。

そこでお土産に買ったのが
「風景の調べ」というスケッチ集

作曲だけでなく絵も描くのである。もう天才!!



絵を画くことと、曲を作ることは似ている点が多い…(古関裕而スケッチ集より)



故郷の山は安達太良山? (古関裕而スケッチ集より)


 
(古関裕而スケッチ集より)



スケッチとともにメモが書かれている。
今でいえばブログといった感じかな(笑)

今年は没後25年だそうである


そしてこの記念館で、この「ばんだい高原国際音楽祭2014」の
ポスターを見つけたのである。



わが街で演奏してくれた、ギタリストの松尾俊介さんの顔を見つけて嬉しくなった。


今日は磐梯山の麓のペンションに泊まり、明日磐梯山に登る予定なのだ。



20140827 磐梯山


天気がイマイチである。



蕎麦の花がきれいだった。



麓近くになって、ようやく見えた猪苗代湖。


雨ではなかったが、ガスっていて頂上では何も見えなかった。
でも、昨日見つけた「ばんだい高原国際音楽祭」が10/11-13に開かれる。
なんとオカリナを吹けば音楽祭に出させてくれるという。
初めての人でも、県外の人でも!

こうなったら10月なら、紅葉? 秋晴れ?
磐梯山再挑戦と、音楽祭出場をめざして、また来ようと決めた。



20141010-12  「ばんだい高原国際音楽祭」




その10/10の磐梯山登山は曇り、ちょっと紅葉。




11,12日の音楽祭はピーカンの晴れ。
音楽祭の会場「学びいな」のある公園から、磐梯山を望む。




善久(Zenkyu)と「猪苗代オカリナ隊」on ステージ。
初対面の人たちと、たった1回あわせただけで本番。でも感動!


その時の様子は、福島放送で放映され、You-tubeで見ることができる。

下のURLをクリックしてみて


http://www.youtube.com/watch?v=VtxKkXvd4uk





以上、「鳥海山縦走の旅 2014」は お・わ・り


























国宝犬山城と犬山市散策

2015-02-20 00:23:58 | 2014百名山+観光
20140721

国宝 犬山城(別名白帝城)

やっと来ました、国宝「犬山城」

国宝4城(姫路、彦根、松本、犬山)のうち、
ひとつ残っていた犬山城。



さすが国宝、にぎわっています。
中央の唐破風、平和な時代に城を豪華に見せるためにつけられた。
宇和島城にもついてたな。



天守の1,2階部分がやけに大きくがっしりしている感じ。



黒光りした厚い床板、急勾配の木の階段、現存する最古の天守。





天守からの眺め。昔を思い起こさせるような船が通った。



木曽川のほとりの要衝の地、この城のドラマは? 
大河歴女の私には、あまり知識がない。

パンフレットには室町時代の1537年に信長の叔父織田信康が築城。
戦国の三英傑、信長、秀吉、家康も奪い合ったと書かれている。
元和3年(1617年)尾張藩付家老、成瀬正成が城主になってから、
成瀬氏が代々受け継ぎ幕末を迎えた。その後も成瀬家は犬山の
名誉職を担っている。


さあ城下町を散策しよう。



本町通り、ここも観光客でいっぱい。「尾張犬山も城で持つ」、かな?
犬山市は城を生かして、観光に成功していると思う。
明治村をはじめテーマパークがたくさんある。
公式ガイドのキャッチフレーズも「国宝が見守る町犬山」だ。


国宝茶室「如庵」(in有楽苑)

名鉄犬山ホテルに隣接する日本庭園「有楽苑」には、信長の実弟で大茶匠の
織田有楽斎が晩年、武家を棄て隠棲地にした京都建仁寺の境内に元和4年頃(1618)
建てた茶室と書院が移築されている。









萱門の近くの葉に止まっていた美しい蝶

木立の中にひっそりと佇む茶室や萱門、自然の素材は夏の暑さを忘れさせてくれる。


帰路

小牧北ICに行く途中、青塚古墳に立ち寄った。
東海地区最大級の前方後円墳だそうである。





古墳のそばに咲いていた、顔ぐらいの大きさの芙蓉?が
ぎらぎらの太陽に負けずに咲いていた。


これで百名山御嶽山、恵那山登山&観光の旅はおしまい。





岐阜市散策

2015-01-30 21:57:15 | 2014百名山+観光
岐阜市散策

「岐阜はいいとこだよ、のんびりしてて…」

昨夏、大台ケ原の駐車場で会った男性が言っていた。
登山口の駐車場では、車のナンバーが気になる。

ナンバーの地名から話題が始まり、情報交換をする。

話をしながら、次は岐阜に寄ってみたいなー、と思った。


20141720

大垣から夕方、岐阜城のある金華山ロープウェイ駐車場に到着。
金華山は329mだが、てっぺんにある岐阜城は、下から見上げると豆粒のようだ。
夏場は夜景の人気スポットになっている。




ロープウェイを降りて、やっと見えた岐阜城。旧稲葉山城。
大河ドラマ「国盗り物語」の斎藤道三(平幹二郎)濃姫(松坂慶子)を思い出す。
1973年、もう40年も前の作品。あの頃はみな若い役者さんだったんだ!




信長も眺めた城からの360°パノラマの景色の
夕陽は関ヶ原の方角へ



城から東の方角に、稲妻が光る。その一瞬をとらえようと、
天守閣の欄干で押し合いへし合いシャッターを切るが、難しい。





天守閣から撮った長良川の鵜飼い風景。 コンデジの望遠も大したもんだ。



夜景を堪能して、下りながら展示を見ていると、クラシック音楽が聞こえる。。
お城のプロムナードコンサート?チェロの生演奏が聴けた。
美しい小品が心地よく、エルガーの「朝のあいさつ」など足を止めて聴いてしまった。

岐阜城は夏がお勧めである。



20140721

午前中、金華山の麓の川原町を散策した。



川原町からは、岐阜城は、山の上に小さく見える。



昼間見る「鵜飼」の観覧船
長良川の鵜飼は、1300年の歴史をもつ古典漁法だそうだ。
やはり夜見ないといけませんね。



レトロな街並みに着物の女性がぴったり。




岐阜提灯、美濃和紙に描かれた優美な絵が特徴。


岐阜というと、飛騨高山とか白川郷など観光で行ったことはあるが、
東海道新幹線の駅がエライ議員さんのせいで「岐阜羽島」になり、
岐阜市は通過点になってしまったようだ。


天下取りの舞台になった岐阜、その「岐阜」という地名に、
前から、何となく違和感を感じていたが、
やはり信長が「井の口」から改め「岐阜」に命名したそうだ。
「天下布武」と同じ漢語的意味があるのか…


現在の岐阜は戦国時代の面影より、ゆったり流れる長良川にいだかれた、
古きよき情緒あふれる町のイメージだ。


さあ、鮎菓子をお土産に買って、午後はいよいよ犬山城だ。
















大垣…輪中、水の都、歴史街道の町

2015-01-16 21:14:04 | 2014百名山+観光
20140720 大垣…輪中、水の都、歴史街道の町



御嶽山、恵那山登山のおまけの観光は「城めぐり」
戦国時代の舞台であった美濃地域には、国宝犬山城をはじめ、
たくさんの城がある。

7/19の宿泊地は大垣に決めていた。理由は地方都市。観光地は宿が取りにくいし高い。
それと「大垣」という地名に馴染があった。子どもの頃、
大家さんの名前が大垣さんといっこともあったが(笑)、
東海道沿線に住んでいた私は「大垣行き~」は湘南電車の終着駅として耳馴染んでいた。
でも正確な場所は??

7/20朝、大垣で何を見よう。観光案内パンフレットの「輪中」という字が目に止まった。
小学校か中学校か、社会科で習ったなー。水害から生活を守る…この辺りのことだったのか。

とりあえず、「輪中生活館(旧名和邸)」と「輪中館」に行ってみた。



輪中民家の模型



旧名和邸(輪中生活館)は輪中地帯の典型的な民家



住居式水屋(約2mの盛り土の上に建てられ、洪水時の避難場所になる)
母屋と渡り廊下(どんど橋)で繋がれている。



輪中館の展示 仏壇を滑車で吊り上げる仕掛けが目を引いた。

輪中は一軒一軒だけではなく、地域全体を守っていた。
今ではごく普通の都市に見えるが、ゲリラ豪雨が心配される昨今、
この地域が水害多発地帯であった歴史を忘れないでほしいと、
輪中館の女性学芸員が言っていた。

輪中の次は市の中心部、大垣城へ。



美しい城だ。関ヶ原の戦いのときに西軍の石田三成が
入った城だそうだ。



大垣城にも水害の記録がある。治水に
務めた戸田大垣班は廃藩置県まで続いた。


「水の都大垣」

川が多いだけではなく、湧水も多い。自噴帯があり地下水に
恵まれているそうだ。湧水めぐりはできなかったが、
水門川遊歩道を歩いて、「奥の細道」(芭蕉1644-94)
むすびの地ー大垣船町港跡まで歩いた。



水門川遊歩道の風景



水のカーテンが涼しげだった。



遊歩道の近くにあるチーズケーキ専門店でひと休み。人気の店らしく
お客さんがひっきりなしだった。



シンボルの住吉燈台

「蛤のふたみに別れ行秋ぞ」

古文に疎い私は、「奥の細道」の終着駅が大垣とは知らなかった。
そういえば出発地の深川も川のそば、昔の旅では水運は欠かせない。
船はタクシーのようなものかな?


「守屋多々志美術館」

「あっ、この絵、見たことがある!」
観光案内所にあった美術館のパンフレット。
そう、新聞記事で見つけてたのか、ラジオで聞いたのか、
「音楽のある展覧会、ウィーンに残る、日本とヨーロッパ
450年の足跡」(20121006~12)、於サントリーホール)に行ったときに
見た絵である。この絵も展示内容もとても興味深いものだったので
印象に残っている。




なんとこの絵の女性は大垣藩主でオーストリア全権大使になった
戸田氏共(うじたか)伯爵夫人極子さんとのこと。この大垣の人だったのだ。
そして新聞記事の写真、ベルンハルト・直樹・ヘーデンボルクさんは
極子さんの4代後の子孫だそうだ。どなたが国際結婚したのかしら?
今回は、美術館を訪ねる時間がなかったが、旅には発見があるものだと実感した。


「墨俣一夜城址」(大垣市墨俣歴史資料館)




秀吉の出世城。信長の美濃攻めの時に、一夜にして砦城を
築き名を上げたという話が有名。木曽川が長良川に合流する
地点にあり、川の向こうに岐阜城(旧稲葉山城が見える)
戦国時代の歴史の展示がわかりやすく、眺めも良い、いいお城だった。



遠く、中央の小高い山が岐阜城のある金華山。
城なんて見えたのかな? 昔の人は目がよかったのか…


これで大垣散策はおしまい。

さあ、今夜の宿泊地、金華山の麓、岐阜へ出発。








百名山と城めぐり

2014-10-07 00:51:34 | 2014百名山+観光

今、NHKBSで「百名山ひと筆書き踏破」という番組を放映している。
私たち夫婦も、できるだけ効率的に百名山に登りたいと思っている。


私たちは冒険家ではないし、冬山はやらない。
また、転勤族ではなかったので、生まれ育った所と、
結婚してから住んだ今の場所しか知らないから、
百名山登山にひっかけて、近隣の観光をするのが楽しみである。

寄り道の場所の決め手は「城」。

お城はその地方のシンボルであり、歴史が詰まっている。
一等地にあって見晴らしがいい。まずそこに登って市街を眺める。
今気が付いたが、なんか百名山めぐりと城めぐりは似ている(笑)

さて、御嶽山と恵那山の周辺の観光は?

国宝「犬山城」がある!
そして「大垣城」に「岐阜城」…、
秀吉の出世城、「墨俣城」にも寄った。

周辺の旅日記は追い追い書いていくことにして、
ここでは、岐阜、美濃という天下取りの舞台となった
城の写真を載せたい。

20140720 

恵那山、富士見台高原の宿泊地「萬学荘」の次は大垣泊

大垣城





大垣城、きれいな城である。
知らなかったが、関ヶ原の戦いで、西軍石田三成の本隊が最初に
入った城だそうだ。しかし9/14に関ヶ原に移動、15日に負けた。
どうも石田三成という武将?は好きなタイプではない。

寛永12年(1635)尼崎戸田氏が入封、治水に力を入れ、明治の
版籍奉還まで235年戸田氏大垣藩の太平の世が続いた。


墨俣(すのまた)一夜城(歴史資料館)





秀吉の出世城である。秀吉得意の一夜城(砦)だからこんな立派な
はずはないが、ご当地自慢? 天下統一の展示が分かりやすく、
面白かった。

墨俣城からの眺め





墨俣は木曽川本流(現境川)と長良川の合流点にある。
長良川の向こうに遠く岐阜城(稲葉山城)がある金華山が見える。
望遠で引き寄せると、頂上に城らしきものが。


岐阜城



金華山は高い。下から見上げると城は豆粒のようだ。
肉眼では見えないが、コンデジの望遠もたいしたもんだ。

山頂にはロープウェイで登って行く。今は夜景のデートスポット。

さすがに眺めがいい。



眼下に長良川、山並みの低くなっているところが関ヶ原



長良川上流の眺め



美濃を制する者は天下を制す。
信長はどんな気持ちでこの風景を眺めたのだろう。


20140721 国宝犬山城



木の床や階段に歴史を感じる。
ここも信長、秀吉、家康ゆかりの城。
関ヶ原の前哨戦で東軍が占拠。
元和3年(1617)家康の重臣成瀬正成が拝領。
以後幕末まで、成瀬家が城主を務める。

成瀬さんという人と結婚した後輩がいたが、
もしかしてプリンスだったの?



木曽川に睨みを利かす小高い丘に建てられた犬山城。
1階部分がやけに広い、珍しい形の城だと思った。


今回の城めぐりはこれでおしまい。
「国盗り物語」読むべしであるなー。

御嶽山噴火から1週間

2014-10-03 10:29:48 | 日記2013
戦後最悪の火山災害ということになった今回の噴火。



20140929 毎日新聞より

日を追って映し出される映像は、灰に覆われた死の世界だ。



下山できなかった人は、結局みな死んでしまった。
身元が確認された人は今日で47人。
まだ連絡の取れない人が残されているという。

生死の分け目は運不運?

紅葉のシーズンの土日、子ども連れの家族や職場の仲間たちの
絶好の行楽日和のお昼時が災害を大きくした?

これが夜中だったら、「御岳山が噴火しました」
というニュースで終わったかもしれない。

結局、犠牲になった人たちは火口付近にいた人たちだ。
火山性微動が観測された時点で、火口周辺立ち入り禁止に
するべきだったと思う。
結果論だと言われても、記録しておきたい。

その方が観光地としても面目躍如であったろう。
こんな災害が起きたら全国の火山観光地も影響を受ける。
これをきっかけに、制度が整備されるだろうが.

犠牲者が出なければ対策を怠る行政に憤りをおぼえる。


















御嶽山噴火

2014-10-03 10:19:27 | 日記2013
20140927 11:52 御嶽山噴火!!





(上の写真を一部拡大)


えっ!でも、まさか!とは思はない。
他人ごとではない。私は7/17-18に御岳山に登ったばかりだ。

今回噴火した地獄谷を覗いてきた。硫黄色をした谷が生々しかった。
硫黄の臭いがプンプンした。この火山は生きていると思った。
昭和54年に噴火したと聞いて、たった35年前のことじゃんと思った。



八丁ダルミ、剣ヶ峰を望む。左側から噴火した

多くの人が被災した何もよけるもののない広い八丁ダルミの登山道も歩いた。
不気味な色をした二ノ池も泊った二ノ池荘本館も灰に埋もれていた。

自分がその場にいたら、逃げ切れただろうか? 身につまされる。
視界が真っ黒になったという。灰だけでなく石も降ってきたという。
それも熱い。あやふやだが、普賢岳の火砕流は800℃だったど記憶している。



岩陰にひっそりと咲いていた小さな花たちも灰に埋もれてしまったの
のだろうか?

気象庁や、火山噴火予知予知連絡会の記者会見には腹が立った。
冷静でお説ごもっとも。彼らにとっては、たかが水蒸気爆発かもしれないが、
短時間に50センチも熱い灰が積もり、人命を奪う危険があることを、
知らせないのは納得がいかない。

噴火の予知は不可能としても、火山性微動=火山に変化が起きていることを、
関係者や登山者に周知することは当然のことと思う。

情報があれば、対処の仕方も変わってくる。
そこからは個人の責任の範囲になるだろうが、
日本人はそんなにバカではない。












富士見台高原のササユリ

2014-08-15 17:06:01 | 2014 百名山
20140719



恵那山に登る予定で萬岳荘に泊った。
木をふんだんに使ったシャレたデザインの山小屋というか、
野外学習施設というか。素敵な建物。



梅雨時の平日で、泊り客は私たち二人だけ。
何でも揃っている自炊室で好きなものを作る。

朝、曇り、雷雨の予報。
昨日登った御岳山も曇っていてあまり面白くなかったので、
気持ちが萎えていたら、管理人さんが恵那山には行かなくてもいいけど、
富士見台に行ってらっしゃい。ササユリが咲いているから、と。



ササユリはニッコウキスゲより大きめのピンクの百合できれい!
葉が笹に似ているのでササユリという。






うすいピンクと濃いピンクのものがある。
と、この人に説明してもらいながら歩いた。ササユリが減ってしまったので、
種を直播にして増やしているそうだ。 今日はどこにどれくらい咲いているか、
個体調査に来たそうである。



このかた、栗谷本さん。のり空木(右上白い花の木)の葉っぱを使った遊びや、
左下の写真のプロペラのような花を鼻の頭にのせて、どこまで飛ばせるか、なんて
実演して見せてくれた、楽しい人。ここは自分のフィールドとボランティアで活動
している。とおっしゃっていらしたが、おしえてもらったHP「栗くりワールド」
を見てびっくり。

http://www.takenet.or.jp/~kurikuri/creater/index.html

帰ったらすぐにササユリのことブログに書きます、なんて言ったのに、
今頃になっちゃてゴメンナサイ。ササユリのシーズン終わっちゃいましたね。







この黄色い花、小さい花だが蘭の種類で珍しいそうである。名前を聞いたけど
忘れたました。後で調べます。





富士見台高原は長野県阿智村と岐阜県中津川市の間に、
ゆったりと広がる、標高1739m、1000haの草原(千島笹)
阿智村の人が牧場にするために笹原にしたので、高原風景になったらしい。
今は、その下には中央道の恵那トンネルがはしっている。

あの上高地のウェストンさんが、恵那山に登った帰りに、富士見台高原にも
来たそうだ。恵那神社の近くにウェストン公園というのがあると聞いたので、
行ってみた。



りっぱな銅像がありました。
ウェストンさん、日本の山、いくつ登ったのかしら?
本が読みたくなりました。

今回の富士見台高原散策は、栗谷本さんのおかげで、1000%楽しめました。
オトギリソウの話も聞いたけど……これも後で調べます。



御嶽山

2014-08-15 17:05:20 | 2014 百名山
2014百名山、第2弾は御嶽山と恵那山である。
いつものように周辺の観光もセットの山旅である。

20140717~18 御嶽山(1泊2日)

今回は木曽路をたどりながら、木曽福島の駅前の宿で1泊。
駅からバスで田ノ原登山口へ、二ノ池本館に泊り、
御岳ロープウェイで下山というコースである。

このところの山行きは天気に恵まれない。
計画を立てると、台風発生。台風は遠くても、
前線を刺激して、局地的に大雨を降らす。ついこの前、
この近くの南木曽でも、土砂崩れがあり、犠牲者が出た。

前夜は雨、朝には雨は上がり、まあまあな晴れ。
木曽福島の駅から田ノ原行のバスで1時間(1500円)
登山口からはガスって御嶽山の姿は見えません。
またもや!最近はこういうパターンが多い。



とりあえず、黙々と歩く。



雪渓が見えてきました。
奥の院にトラバースする場所があるはずだが、
踏み跡や目印がないので,地面を歩く。
高齢者は無理をしてはいけない(臆病者の言い訳?・笑)



この大滝口コースは、あまり花が見られなかったが、大滝頂上山荘の下に、
お花畑が少々あった。

山荘の下から大滝奥ノ院へ





大滝奥の院は地獄谷を覗き見る岩場にある。



写真では落差がなかなか表現できないが、火山特有の
荒々しい絶景が、霧の合間に楽しめて、ラッキー。

この御嶽山、昭和54年10月28日に大爆発したそうである。
まだそう遠くない、35年前のことだ。今も硫黄の臭いがぷんぷんする。



奇勝、「日の門」、この穴にの中に山頂が見えるらしい。



八丁ダルミのまごころの塔から剣ヶ峰頂上をのぞめるはずだが……





雲の切れ目から、雄大な景色を覗かせてくれる。
山の気まぐれに感謝。



御嶽山頂 3067m
霧が晴れて、下方に不思議な色の二ノ池と今晩泊まる二ノ池小屋が見える。

「おはちめぐり」をして二ノ池小屋へ。




この「おはちめぐり」、けっこうな岩場の連続。





ガスがかかっていると不気味。



二ノ池の万年雪

小屋に着いたとたんザーザー降りに。
宿泊客は山の役所関係のグループと私たちだけ。
個室待遇で泊れたのはラッキー。週末は信者の人で
満室になるそうである。

今日は時々、雲の切れ目から景色を垣間見ることができたけど、
明日はどんな天気になるんだろう。


20140718 朝、小雨、三ノ池はあきらめて下山。



「覚明さん」御嶽山登拝の開祖覚明行者の像(9合目)



標高が下がってきたら、遠くの山々が見えてきた。
宗教的な建造物がたくさんあり、その興隆の歴史を感じさせる。

時間にゆとりがあったので、ロープウェイには乗らず、中の湯に下山。

御嶽山を歩いていて、白山に似ていると思った。信仰の山、
火山で、山容も、近景も遠景も、他の山脈から独立して探しやすいし。
そんなこと言ったら、地元の人に叱られちゃうかな。

去年の白山も似たような天気で山全体をすっきり見ることができなかった。
登山道も複数あるので、「また来いよ」ということか…



大台ケ原山 (紀伊半島と四国の百名山 no.2)

2014-06-14 23:17:22 | 2014 百名山
5/15 大台ケ原山(東エリア) 日出ヶ岳~大蛇(だいじゃぐら)

大台ケ原は年400日雨が降るという。
屋久島は年366日と言っていたから、やはり日本一だ。



昨日着いたときは晴れていたが、18時ごろから朝まで
ザーザー降りになった。雨が降って当たり前と思っていれば、
がっかりすることはない。



宿は標高1570m、最高峰の日出ケ岳1690m、1時間ほどで着く。
外の様子を見ながらゆっくりスタート。

まずは苔探勝路から





日出ヶ岳山頂に着いた頃には晴れてきたが、厚い雲が立ち込めていて、海(熊野灘)は見えない。



牛石ヶ原の神武天皇像
伝説的な天皇が、この地を経て東へ向かったと言われている。
いつごろからあったのか、深田久弥も書いている。



シャクナゲには霧が似合う



大蛇では少々粘ったが、ガスは晴れなかった。

明日の方が天気が良くなるという予報だ。


5/16 大台ケ原(西エリア)


予報通り晴れました!



大台ケ原は山頂付近まで「大台ドライブウェイ」という
観光道路が通じていて、大きな駐車場がある。
東エリアは自由に入れるが、西エリアは、自然環境を守るため、
立ち入り人数を制限している。
土日祝日:50人、平日:30人
利用集中期 土日祝日:100人、平日:50人

日本で初の「利用調整区域」に指定され
事前に申し込みが必要で有料。
ビジターセンターで事前レクチャーを受けてから入る。


バイケイソウの群落
毒があって、鹿も食べないので、はびこって困るそうだ。


ミヤマシキミ
これも毒があって、はびこって…… と巡視員さんが苦笑いしていた


かぼちゃのような形をしたミズナラの巨木=徳利の木?


リョウブの黄色い新芽が鮮やか。
向いの山の白く見える岩場が、昨日行っ大蛇


大蛇から見た景色はポスターになって雄大だが……


「利用調整区域」に入るのは初めてだったので、
期待を膨らませ過ぎたせいもあるが、専門知識がない私には、
その価値が正確には分からない。
昭和30年代の伊勢湾台風で、亜高山性の針葉樹が大量に倒れたため、
森林の風景が変わってしまったそうだ。東日本大震災といい、
自然の脅威は凄まじい。
すぐそばにドライブウェイが通っているし、人間にできることは、
現状を守る努力を地道に続けることであろう。

私たちが入った日は、10人ぐらいしか会わず、
おかげで静かに自然を満喫できた。



13:00 西大台散策修了





こんなに晴れたら、もう一度日出ヶ岳まで行って海が見たい。





見えました! 尾鷲湾です

これで満足して、明日の大峰山に向かえます。