my旅写ろん

おもに旅の写真を眺めながら想いを語るサロンです。
ほとんど自分のための記録ですが、旅心がそそわれたら嬉しいです。

no.5 中辺路をちょっぴり歩く

2013-05-21 00:20:33 | 備忘録2012紀伊半島の旅
20120207 小雨

朝食後、宿の車に滝尻王子まで送ってもらい、そこから宿の近く高原神社まで、3.7キロを歩いてみた。
熊野古道の中辺路(滝尻王子~熊野本宮大社 37.7キロ)の、ほんのさわり程度である。
マイカーで旅する時の難点は車に戻らなければならないことであるが、その中で最大限「歩き」を入れる工夫も楽しみである。



出発点の滝尻王子でお参りをしてスタート。
面白半分で洞穴に入り込んだ胎内めぐりでは、ザックを先に外に放り出し、身一つでやっと外に這い出し、後になって、変なものに出会わなくてよかった、と胸をなでおろす。
道中2時間ほどだったが、点在する苔むした小さなお地蔵様や祠に手を合わせては、ひたすら歩くしかなかった古人の知恵が偲ばれ、熊野古道の雰囲気を味わえた。



高原熊野神社からは車で熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社・青岸渡寺、熊野速玉大社)訪ねる。
途中あちこちで、前年の紀伊半島を襲った長雨の傷跡が生々しく残っている。反面、非情な自然というか、ゆったりと蛇行する熊野川は、平安時代の優雅な船の熊野詣でを想わせ、那智の滝の上空は抜けるような青空が美しかった。

★熊野詣メモ
延喜7年(907)宇多天皇に始まった「熊野御幸」
折しも2012年NHK大河ドラマ「平清盛」(清盛1118~1181、白河法皇の落とし種)に登場する天皇方がずいぶん熱心に詣でられたようだ。おかげでお名前とイメージが身近に感じられた。

白河上皇(12回) 鳥羽上皇(23回)崇徳上皇(1回)後白河上皇(33回)
待賢門院(9回)美福門院(4回)建春門院(3回)
他計23方、141度。侍従長 入江相政 謹書と刻まれた石碑があった。

極楽往生を願うとはいえ、(ドラマ中)勢力争いにドロドロの戦いをしていた御方々がよく何回もお出かけになったものだと、そちらの方に感心してしまった。
(参:「宮尾本 平家物語」にこんなくだりがあった…ご承知の如く、内裏という世界は妬み恨みが渦巻いている場所にござれば、ご落胤をひけらかせばひけらかすほど、寄って集っての袋叩きに遭うは必定。…)本当にそうなんだ。大河ドラマ「平清盛」は視聴率がパッとしなかったようだが、内裏の描写には迫力があったなー。

「伊勢へ七度、熊野に三度」江戸時代には庶民も熊野詣でを行うようになり、山道は参詣者で数珠つなぎになった様子を「蟻の熊野詣」といったそうだ。

熊野三千六百峰?、自然崇拝の神道と、外来の仏教が結びついた
「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」実に日本的ですね。

no.4 霧の里 高原 (中辺路)

2013-04-09 00:21:48 | 備忘録2012紀伊半島の旅
20120206

道中雨。夕方、宿「霧の郷 たかはら」に到着。
入口の感じとは違って、部屋は白木のインテリアが可愛く居心地がいい。荷をほどき、一息ついて外を眺めると、
「あっ、雲がきれてる。山並みが見える」あわてて外に出ると、
目の前は墨絵の世界!





「これが霧の高原か!」
宿の人も外に出てきて、いっしょに刻々と変わる目の前の幻想的な風景を眺める。
たった1泊の滞在でこの有名な景色にお目にかかれたのは、実にラッキー。宿の人もそう言ってた。

霧あり霧なし、どっちがいい?



食事は地元の家庭的なお料理。作ってくれたおばちゃんと話をしながら食べた。
「熊野古道を歩くのは冬がいいですよ」
「えっ どうして?」
「温かくなると、虫がいるし、木から蛭が降ってくる」
「上から蛭! ひゃー!」

照明を落とした食堂には、ラテンギターの曲が流れていて、いい雰囲気である。
でも「なぜ?」

スペインの聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラを目指す「サンチャゴ巡礼路」と姉妹提携をしているそうだ。
ともに世界遺産(熊野古道 平成16年7月1日登録)
壁にはホタテ貝(聖ヤコブのシンボル)が飾られている。
「あー、映画で見たことがある。”サンジャックへの道”(2007)」



いい映画だったなー。あちらはトレッキングスタイル。私も歩いてみたいと思ったが、1500キロ!

「霧の郷たかはら」は日本とヨーロッパ、古代と現代が同居する不思議な宿。
若き支配人?はミュージシャンだそうだ。
また訪ねたい宿の1つである。
http://kirinosato-takahara.com/index.html



no.3 和歌山市内散策

2013-03-30 00:22:25 | 備忘録2012紀伊半島の旅
2012,02,05

 観光ガイドを手に、さあ、どういうルートで回ろうか。
まず「番所庭園」。昔、黒船の見張り番所(ばんどこ)があったという、細長く海につきでた高台は、今は日本庭園風に整備されている。さすが見晴らしがいい。遠くは明石大橋も見えると聞いたが、今日はだめ。

「紀の国の 狭日鹿の浦に 出で見れば 海女の燈灯 波の間ゆ見ゆ」

 次は「和歌浦天満宮」。大宰府、北野とともに日本の三菅廟のひとつ。階段が絶壁のように見えるのがスゴイ。これなら津波も大丈夫?

「和歌の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」 (山部赤人)

 行く先々に万葉の歌碑がある。紀の国は万葉ゆかりの地だそうである。奈良はお隣だものね。万葉集の歌枕(古歌に詠み込まれた諸国の名所)「和歌の浦」。そうか和歌山県の和歌は、日本の詩歌の和歌からきているのか? いや、和歌の浦という地名が先にあったのか? 和歌らん? 分からん。
 県名の由来など、今まで関心がなかったが、調べてみると面白いかも知れない。わが生まれ故郷、神奈川の意味って???

和歌山城
 徳川御三家の城、吉宗さんのお城 これははずせない
全体は多門(城壁を兼ねた長屋)で繋がれていてだだっ広い感じだ。
姫路城の城壁の造りも多門だったな。
西の丸庭園(紅葉溪公園)の堀に浮かぶ鳶魚閣(えんぎょかく)や斜めに架けられた屋根つきの木製の橋(御橋廊下)など 往時の雅な生活が偲ばれる


御橋廊下の向こうに見えるのは和歌山市役所

和歌山の名産は? みかん、梅干し、材木…

名物料理は? 人気はらーめん!
日曜日だからか、お城の近くでたった1軒、営業していた店でやっと食べ、
南紀白浜に向けて出発。


no.2 堺~岸和田~高野山

2013-02-17 03:07:11 | 備忘録2012紀伊半島の旅
2012.02.03

長崎からの帰りだったので、夜、リーガロイヤル堺にチェックイン。一泊5000円!信じられなかったが正夢。私はデフレ大歓迎なんだけど…。

翌朝、レンタサイクルで観光スタート。堺市は自転車の街という顔も持っていて、コミュニティサイクルが充実している。商人の町というので、なんとなく東京の下町のようなごちゃごちゃした街をイメージしていたが、道路が広い!広くて整然とした街というのが印象だ。自転車で半日廻っただけだから何とも言えないが。

堺と聞くと、頭に浮かぶのは、商人の街、自由都市堺、鉄砲、千利休、与謝野晶子、などなど。日本史には必ず出てくる有名な所である。でも訪ねるのは初めて。土地勘のない関東人の私にとって、あの仁徳天皇陵も堺にあるのは驚きだった。商人の街どころか古墳時代から歴史の中心舞台だったのだ。



観光マップの主だったところをひとまわり。
市役所21階の展望ロビーでは、ボランティアガイドの女性が、竹内街道の説明をしてくれたが、とにかく予備知識が乏しくて…ごめんなさい。
旧堺港の景色は、何処のリゾートといった感じで、21世紀の堺を象徴しているようだ。中央の建物がリーガロイヤルホテル。

堺という地名は、摂津、河内、泉国の境だったところからきているそうである。
大和川の左岸地域ということであるが、この大和川、今さら地図を見てみると、斑鳩、奈良に通じていて、歴史的にかなり重要な役割を果たしてきたような気がする。

岸和田
H23年 朝の連続テレビ小説「カーネーション」の舞台で注目度アップ。ここまできたら寄らなきゃ損損。まずは「洋裁コシノ」を見つけに。



大急ぎの旅で、日本庭園が見られる趣のあるお食事処、「がんこ岸和田五風荘」のランチタイムには間に合わず、昼飯抜き。勇壮な「だんじり祭り」はテレビのニュースなどで見知っていたが、立派なお城があってビックリ。私は城のある町が好きである。

高野山に行く途中、「貝塚」という地名を見つけた。そうだ、あの日紡貝塚はここにあったのか… これもコシノファミリーを育む下地だったに違いないと、ひとり納得。

堺、岸和田は、関東でいえば、川崎、横浜、といったところか。大阪、東京のベッドタウンとしての役割は似ている。横浜生まれの私が、川崎や東京のことに詳しくないのだから、まして近畿のことを知らなくても不思議ではない。でも、歩けば、そこらじゅう歴史の足跡だらけというのは面白い。もっと下調べをして、ゆっくり歩きたいと思った。

no.1 雪の高野山

2013-01-20 17:17:42 | 備忘録2012紀伊半島の旅
2013.1.14成人の日、南関東は初雪、ベシャベシャ雪だが、いつものごとく交通マヒ。
雪で思い出したが、去年の今頃、長崎帰りに紀伊半島をドライブした。コースはとにかく初めての所に行く。堺~岸和田~高野山~和歌山~南紀白浜~熊野古道・中辺路~熊野大社(那智の滝)~自宅
20120203~04
堺、朝の連ドラ「カーネーション」の舞台、岸和田を散策して、夕方、高野山の宿坊「西禅院」に到着。その日は普通の冬の晴れた日であったが、翌朝目覚めたら一面の雪!10センチは積もっている。何故?と聞くと、ここは標高が高いから。(約900m) 聖地には雪景色が似合う。さあ奥の院へGO!


宿坊 西禅院 綺麗に雪かきがされていました。


国宝 金剛三昧院多宝塔。北条政子が夫源頼朝の菩提寺として創建。この二人は昨年の大河ドラマ「平清盛」に出ていたなぁ。


墓標原、武者たちの墓。墓の名前を読むのは楽しい。生きた歴史の教室?現代は会社が主人公。


1番石、崇厳院供養塔と案内に書かれているのは、大河ドラマ「江」の墓。溺愛された次男、忠長、駿河大納言が立てたというのが、やはり面白い。


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