my旅写ろん

おもに旅の写真を眺めながら想いを語るサロンです。
ほとんど自分のための記録ですが、旅心がそそわれたら嬉しいです。

国宝犬山城と犬山市散策

2015-02-20 00:23:58 | 2014百名山+観光
20140721

国宝 犬山城(別名白帝城)

やっと来ました、国宝「犬山城」

国宝4城(姫路、彦根、松本、犬山)のうち、
ひとつ残っていた犬山城。



さすが国宝、にぎわっています。
中央の唐破風、平和な時代に城を豪華に見せるためにつけられた。
宇和島城にもついてたな。



天守の1,2階部分がやけに大きくがっしりしている感じ。



黒光りした厚い床板、急勾配の木の階段、現存する最古の天守。





天守からの眺め。昔を思い起こさせるような船が通った。



木曽川のほとりの要衝の地、この城のドラマは? 
大河歴女の私には、あまり知識がない。

パンフレットには室町時代の1537年に信長の叔父織田信康が築城。
戦国の三英傑、信長、秀吉、家康も奪い合ったと書かれている。
元和3年(1617年)尾張藩付家老、成瀬正成が城主になってから、
成瀬氏が代々受け継ぎ幕末を迎えた。その後も成瀬家は犬山の
名誉職を担っている。


さあ城下町を散策しよう。



本町通り、ここも観光客でいっぱい。「尾張犬山も城で持つ」、かな?
犬山市は城を生かして、観光に成功していると思う。
明治村をはじめテーマパークがたくさんある。
公式ガイドのキャッチフレーズも「国宝が見守る町犬山」だ。


国宝茶室「如庵」(in有楽苑)

名鉄犬山ホテルに隣接する日本庭園「有楽苑」には、信長の実弟で大茶匠の
織田有楽斎が晩年、武家を棄て隠棲地にした京都建仁寺の境内に元和4年頃(1618)
建てた茶室と書院が移築されている。









萱門の近くの葉に止まっていた美しい蝶

木立の中にひっそりと佇む茶室や萱門、自然の素材は夏の暑さを忘れさせてくれる。


帰路

小牧北ICに行く途中、青塚古墳に立ち寄った。
東海地区最大級の前方後円墳だそうである。





古墳のそばに咲いていた、顔ぐらいの大きさの芙蓉?が
ぎらぎらの太陽に負けずに咲いていた。


これで百名山御嶽山、恵那山登山&観光の旅はおしまい。





岐阜市散策

2015-01-30 21:57:15 | 2014百名山+観光
岐阜市散策

「岐阜はいいとこだよ、のんびりしてて…」

昨夏、大台ケ原の駐車場で会った男性が言っていた。
登山口の駐車場では、車のナンバーが気になる。

ナンバーの地名から話題が始まり、情報交換をする。

話をしながら、次は岐阜に寄ってみたいなー、と思った。


20141720

大垣から夕方、岐阜城のある金華山ロープウェイ駐車場に到着。
金華山は329mだが、てっぺんにある岐阜城は、下から見上げると豆粒のようだ。
夏場は夜景の人気スポットになっている。




ロープウェイを降りて、やっと見えた岐阜城。旧稲葉山城。
大河ドラマ「国盗り物語」の斎藤道三(平幹二郎)濃姫(松坂慶子)を思い出す。
1973年、もう40年も前の作品。あの頃はみな若い役者さんだったんだ!




信長も眺めた城からの360°パノラマの景色の
夕陽は関ヶ原の方角へ



城から東の方角に、稲妻が光る。その一瞬をとらえようと、
天守閣の欄干で押し合いへし合いシャッターを切るが、難しい。





天守閣から撮った長良川の鵜飼い風景。 コンデジの望遠も大したもんだ。



夜景を堪能して、下りながら展示を見ていると、クラシック音楽が聞こえる。。
お城のプロムナードコンサート?チェロの生演奏が聴けた。
美しい小品が心地よく、エルガーの「朝のあいさつ」など足を止めて聴いてしまった。

岐阜城は夏がお勧めである。



20140721

午前中、金華山の麓の川原町を散策した。



川原町からは、岐阜城は、山の上に小さく見える。



昼間見る「鵜飼」の観覧船
長良川の鵜飼は、1300年の歴史をもつ古典漁法だそうだ。
やはり夜見ないといけませんね。



レトロな街並みに着物の女性がぴったり。




岐阜提灯、美濃和紙に描かれた優美な絵が特徴。


岐阜というと、飛騨高山とか白川郷など観光で行ったことはあるが、
東海道新幹線の駅がエライ議員さんのせいで「岐阜羽島」になり、
岐阜市は通過点になってしまったようだ。


天下取りの舞台になった岐阜、その「岐阜」という地名に、
前から、何となく違和感を感じていたが、
やはり信長が「井の口」から改め「岐阜」に命名したそうだ。
「天下布武」と同じ漢語的意味があるのか…


現在の岐阜は戦国時代の面影より、ゆったり流れる長良川にいだかれた、
古きよき情緒あふれる町のイメージだ。


さあ、鮎菓子をお土産に買って、午後はいよいよ犬山城だ。
















大垣…輪中、水の都、歴史街道の町

2015-01-16 21:14:04 | 2014百名山+観光
20140720 大垣…輪中、水の都、歴史街道の町



御嶽山、恵那山登山のおまけの観光は「城めぐり」
戦国時代の舞台であった美濃地域には、国宝犬山城をはじめ、
たくさんの城がある。

7/19の宿泊地は大垣に決めていた。理由は地方都市。観光地は宿が取りにくいし高い。
それと「大垣」という地名に馴染があった。子どもの頃、
大家さんの名前が大垣さんといっこともあったが(笑)、
東海道沿線に住んでいた私は「大垣行き~」は湘南電車の終着駅として耳馴染んでいた。
でも正確な場所は??

7/20朝、大垣で何を見よう。観光案内パンフレットの「輪中」という字が目に止まった。
小学校か中学校か、社会科で習ったなー。水害から生活を守る…この辺りのことだったのか。

とりあえず、「輪中生活館(旧名和邸)」と「輪中館」に行ってみた。



輪中民家の模型



旧名和邸(輪中生活館)は輪中地帯の典型的な民家



住居式水屋(約2mの盛り土の上に建てられ、洪水時の避難場所になる)
母屋と渡り廊下(どんど橋)で繋がれている。



輪中館の展示 仏壇を滑車で吊り上げる仕掛けが目を引いた。

輪中は一軒一軒だけではなく、地域全体を守っていた。
今ではごく普通の都市に見えるが、ゲリラ豪雨が心配される昨今、
この地域が水害多発地帯であった歴史を忘れないでほしいと、
輪中館の女性学芸員が言っていた。

輪中の次は市の中心部、大垣城へ。



美しい城だ。関ヶ原の戦いのときに西軍の石田三成が
入った城だそうだ。



大垣城にも水害の記録がある。治水に
務めた戸田大垣班は廃藩置県まで続いた。


「水の都大垣」

川が多いだけではなく、湧水も多い。自噴帯があり地下水に
恵まれているそうだ。湧水めぐりはできなかったが、
水門川遊歩道を歩いて、「奥の細道」(芭蕉1644-94)
むすびの地ー大垣船町港跡まで歩いた。



水門川遊歩道の風景



水のカーテンが涼しげだった。



遊歩道の近くにあるチーズケーキ専門店でひと休み。人気の店らしく
お客さんがひっきりなしだった。



シンボルの住吉燈台

「蛤のふたみに別れ行秋ぞ」

古文に疎い私は、「奥の細道」の終着駅が大垣とは知らなかった。
そういえば出発地の深川も川のそば、昔の旅では水運は欠かせない。
船はタクシーのようなものかな?


「守屋多々志美術館」

「あっ、この絵、見たことがある!」
観光案内所にあった美術館のパンフレット。
そう、新聞記事で見つけてたのか、ラジオで聞いたのか、
「音楽のある展覧会、ウィーンに残る、日本とヨーロッパ
450年の足跡」(20121006~12)、於サントリーホール)に行ったときに
見た絵である。この絵も展示内容もとても興味深いものだったので
印象に残っている。




なんとこの絵の女性は大垣藩主でオーストリア全権大使になった
戸田氏共(うじたか)伯爵夫人極子さんとのこと。この大垣の人だったのだ。
そして新聞記事の写真、ベルンハルト・直樹・ヘーデンボルクさんは
極子さんの4代後の子孫だそうだ。どなたが国際結婚したのかしら?
今回は、美術館を訪ねる時間がなかったが、旅には発見があるものだと実感した。


「墨俣一夜城址」(大垣市墨俣歴史資料館)




秀吉の出世城。信長の美濃攻めの時に、一夜にして砦城を
築き名を上げたという話が有名。木曽川が長良川に合流する
地点にあり、川の向こうに岐阜城(旧稲葉山城が見える)
戦国時代の歴史の展示がわかりやすく、眺めも良い、いいお城だった。



遠く、中央の小高い山が岐阜城のある金華山。
城なんて見えたのかな? 昔の人は目がよかったのか…


これで大垣散策はおしまい。

さあ、今夜の宿泊地、金華山の麓、岐阜へ出発。








百名山と城めぐり

2014-10-07 00:51:34 | 2014百名山+観光

今、NHKBSで「百名山ひと筆書き踏破」という番組を放映している。
私たち夫婦も、できるだけ効率的に百名山に登りたいと思っている。


私たちは冒険家ではないし、冬山はやらない。
また、転勤族ではなかったので、生まれ育った所と、
結婚してから住んだ今の場所しか知らないから、
百名山登山にひっかけて、近隣の観光をするのが楽しみである。

寄り道の場所の決め手は「城」。

お城はその地方のシンボルであり、歴史が詰まっている。
一等地にあって見晴らしがいい。まずそこに登って市街を眺める。
今気が付いたが、なんか百名山めぐりと城めぐりは似ている(笑)

さて、御嶽山と恵那山の周辺の観光は?

国宝「犬山城」がある!
そして「大垣城」に「岐阜城」…、
秀吉の出世城、「墨俣城」にも寄った。

周辺の旅日記は追い追い書いていくことにして、
ここでは、岐阜、美濃という天下取りの舞台となった
城の写真を載せたい。

20140720 

恵那山、富士見台高原の宿泊地「萬学荘」の次は大垣泊

大垣城





大垣城、きれいな城である。
知らなかったが、関ヶ原の戦いで、西軍石田三成の本隊が最初に
入った城だそうだ。しかし9/14に関ヶ原に移動、15日に負けた。
どうも石田三成という武将?は好きなタイプではない。

寛永12年(1635)尼崎戸田氏が入封、治水に力を入れ、明治の
版籍奉還まで235年戸田氏大垣藩の太平の世が続いた。


墨俣(すのまた)一夜城(歴史資料館)





秀吉の出世城である。秀吉得意の一夜城(砦)だからこんな立派な
はずはないが、ご当地自慢? 天下統一の展示が分かりやすく、
面白かった。

墨俣城からの眺め





墨俣は木曽川本流(現境川)と長良川の合流点にある。
長良川の向こうに遠く岐阜城(稲葉山城)がある金華山が見える。
望遠で引き寄せると、頂上に城らしきものが。


岐阜城



金華山は高い。下から見上げると城は豆粒のようだ。
肉眼では見えないが、コンデジの望遠もたいしたもんだ。

山頂にはロープウェイで登って行く。今は夜景のデートスポット。

さすがに眺めがいい。



眼下に長良川、山並みの低くなっているところが関ヶ原



長良川上流の眺め



美濃を制する者は天下を制す。
信長はどんな気持ちでこの風景を眺めたのだろう。


20140721 国宝犬山城



木の床や階段に歴史を感じる。
ここも信長、秀吉、家康ゆかりの城。
関ヶ原の前哨戦で東軍が占拠。
元和3年(1617)家康の重臣成瀬正成が拝領。
以後幕末まで、成瀬家が城主を務める。

成瀬さんという人と結婚した後輩がいたが、
もしかしてプリンスだったの?



木曽川に睨みを利かす小高い丘に建てられた犬山城。
1階部分がやけに広い、珍しい形の城だと思った。


今回の城めぐりはこれでおしまい。
「国盗り物語」読むべしであるなー。