my旅写ろん

おもに旅の写真を眺めながら想いを語るサロンです。
ほとんど自分のための記録ですが、旅心がそそわれたら嬉しいです。

大垣…輪中、水の都、歴史街道の町

2015-01-16 21:14:04 | 2014百名山+観光
20140720 大垣…輪中、水の都、歴史街道の町



御嶽山、恵那山登山のおまけの観光は「城めぐり」
戦国時代の舞台であった美濃地域には、国宝犬山城をはじめ、
たくさんの城がある。

7/19の宿泊地は大垣に決めていた。理由は地方都市。観光地は宿が取りにくいし高い。
それと「大垣」という地名に馴染があった。子どもの頃、
大家さんの名前が大垣さんといっこともあったが(笑)、
東海道沿線に住んでいた私は「大垣行き~」は湘南電車の終着駅として耳馴染んでいた。
でも正確な場所は??

7/20朝、大垣で何を見よう。観光案内パンフレットの「輪中」という字が目に止まった。
小学校か中学校か、社会科で習ったなー。水害から生活を守る…この辺りのことだったのか。

とりあえず、「輪中生活館(旧名和邸)」と「輪中館」に行ってみた。



輪中民家の模型



旧名和邸(輪中生活館)は輪中地帯の典型的な民家



住居式水屋(約2mの盛り土の上に建てられ、洪水時の避難場所になる)
母屋と渡り廊下(どんど橋)で繋がれている。



輪中館の展示 仏壇を滑車で吊り上げる仕掛けが目を引いた。

輪中は一軒一軒だけではなく、地域全体を守っていた。
今ではごく普通の都市に見えるが、ゲリラ豪雨が心配される昨今、
この地域が水害多発地帯であった歴史を忘れないでほしいと、
輪中館の女性学芸員が言っていた。

輪中の次は市の中心部、大垣城へ。



美しい城だ。関ヶ原の戦いのときに西軍の石田三成が
入った城だそうだ。



大垣城にも水害の記録がある。治水に
務めた戸田大垣班は廃藩置県まで続いた。


「水の都大垣」

川が多いだけではなく、湧水も多い。自噴帯があり地下水に
恵まれているそうだ。湧水めぐりはできなかったが、
水門川遊歩道を歩いて、「奥の細道」(芭蕉1644-94)
むすびの地ー大垣船町港跡まで歩いた。



水門川遊歩道の風景



水のカーテンが涼しげだった。



遊歩道の近くにあるチーズケーキ専門店でひと休み。人気の店らしく
お客さんがひっきりなしだった。



シンボルの住吉燈台

「蛤のふたみに別れ行秋ぞ」

古文に疎い私は、「奥の細道」の終着駅が大垣とは知らなかった。
そういえば出発地の深川も川のそば、昔の旅では水運は欠かせない。
船はタクシーのようなものかな?


「守屋多々志美術館」

「あっ、この絵、見たことがある!」
観光案内所にあった美術館のパンフレット。
そう、新聞記事で見つけてたのか、ラジオで聞いたのか、
「音楽のある展覧会、ウィーンに残る、日本とヨーロッパ
450年の足跡」(20121006~12)、於サントリーホール)に行ったときに
見た絵である。この絵も展示内容もとても興味深いものだったので
印象に残っている。




なんとこの絵の女性は大垣藩主でオーストリア全権大使になった
戸田氏共(うじたか)伯爵夫人極子さんとのこと。この大垣の人だったのだ。
そして新聞記事の写真、ベルンハルト・直樹・ヘーデンボルクさんは
極子さんの4代後の子孫だそうだ。どなたが国際結婚したのかしら?
今回は、美術館を訪ねる時間がなかったが、旅には発見があるものだと実感した。


「墨俣一夜城址」(大垣市墨俣歴史資料館)




秀吉の出世城。信長の美濃攻めの時に、一夜にして砦城を
築き名を上げたという話が有名。木曽川が長良川に合流する
地点にあり、川の向こうに岐阜城(旧稲葉山城が見える)
戦国時代の歴史の展示がわかりやすく、眺めも良い、いいお城だった。



遠く、中央の小高い山が岐阜城のある金華山。
城なんて見えたのかな? 昔の人は目がよかったのか…


これで大垣散策はおしまい。

さあ、今夜の宿泊地、金華山の麓、岐阜へ出発。








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