20140721
国宝 犬山城(別名白帝城)
やっと来ました、国宝「犬山城」
国宝4城(姫路、彦根、松本、犬山)のうち、
ひとつ残っていた犬山城。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/2f/d357fd319a262a1ec8649af2049dbd66.jpg)
さすが国宝、にぎわっています。
中央の唐破風、平和な時代に城を豪華に見せるためにつけられた。
宇和島城にもついてたな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/60/130eaa4821c538e900791abbae712234.jpg)
天守の1,2階部分がやけに大きくがっしりしている感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/95/345efccf10204e5e46b75aee1353863a.jpg)
黒光りした厚い床板、急勾配の木の階段、現存する最古の天守。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c9/b92bada83f3a4064e9c42b9bb0ee4d29.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/0a/1da72347fa51d5febbf3624311e11cbf.jpg)
天守からの眺め。昔を思い起こさせるような船が通った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/35/ff1d1c86dc9324abfbdd729f7ce0fdbf.jpg)
木曽川のほとりの要衝の地、この城のドラマは?
大河歴女の私には、あまり知識がない。
パンフレットには室町時代の1537年に信長の叔父織田信康が築城。
戦国の三英傑、信長、秀吉、家康も奪い合ったと書かれている。
元和3年(1617年)尾張藩付家老、成瀬正成が城主になってから、
成瀬氏が代々受け継ぎ幕末を迎えた。その後も成瀬家は犬山の
名誉職を担っている。
さあ城下町を散策しよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/36/1fae1df18e870d39d3c197fb2e456aaa.jpg)
本町通り、ここも観光客でいっぱい。「尾張犬山も城で持つ」、かな?
犬山市は城を生かして、観光に成功していると思う。
明治村をはじめテーマパークがたくさんある。
公式ガイドのキャッチフレーズも「国宝が見守る町犬山」だ。
国宝茶室「如庵」(in有楽苑)
名鉄犬山ホテルに隣接する日本庭園「有楽苑」には、信長の実弟で大茶匠の
織田有楽斎が晩年、武家を棄て隠棲地にした京都建仁寺の境内に元和4年頃(1618)
建てた茶室と書院が移築されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/da/c498845a531fd0069987f9f4d7b595b8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/75/020212147667f549532cb5705902a8af.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/7b/3d4c186f59f02c9c0ff665b1acc7a7c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/93/0c26ad276069c311de418fd719f103e5.jpg)
萱門の近くの葉に止まっていた美しい蝶
木立の中にひっそりと佇む茶室や萱門、自然の素材は夏の暑さを忘れさせてくれる。
帰路
小牧北ICに行く途中、青塚古墳に立ち寄った。
東海地区最大級の前方後円墳だそうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/84/bf8228a2bfa9074461012d9319726e4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/06/c1060bc5cce53114e3c2250129735ee9.jpg)
古墳のそばに咲いていた、顔ぐらいの大きさの芙蓉?が
ぎらぎらの太陽に負けずに咲いていた。
これで百名山御嶽山、恵那山登山&観光の旅はおしまい。
国宝 犬山城(別名白帝城)
やっと来ました、国宝「犬山城」
国宝4城(姫路、彦根、松本、犬山)のうち、
ひとつ残っていた犬山城。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/2f/d357fd319a262a1ec8649af2049dbd66.jpg)
さすが国宝、にぎわっています。
中央の唐破風、平和な時代に城を豪華に見せるためにつけられた。
宇和島城にもついてたな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/60/130eaa4821c538e900791abbae712234.jpg)
天守の1,2階部分がやけに大きくがっしりしている感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/95/345efccf10204e5e46b75aee1353863a.jpg)
黒光りした厚い床板、急勾配の木の階段、現存する最古の天守。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c9/b92bada83f3a4064e9c42b9bb0ee4d29.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/0a/1da72347fa51d5febbf3624311e11cbf.jpg)
天守からの眺め。昔を思い起こさせるような船が通った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/35/ff1d1c86dc9324abfbdd729f7ce0fdbf.jpg)
木曽川のほとりの要衝の地、この城のドラマは?
大河歴女の私には、あまり知識がない。
パンフレットには室町時代の1537年に信長の叔父織田信康が築城。
戦国の三英傑、信長、秀吉、家康も奪い合ったと書かれている。
元和3年(1617年)尾張藩付家老、成瀬正成が城主になってから、
成瀬氏が代々受け継ぎ幕末を迎えた。その後も成瀬家は犬山の
名誉職を担っている。
さあ城下町を散策しよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/36/1fae1df18e870d39d3c197fb2e456aaa.jpg)
本町通り、ここも観光客でいっぱい。「尾張犬山も城で持つ」、かな?
犬山市は城を生かして、観光に成功していると思う。
明治村をはじめテーマパークがたくさんある。
公式ガイドのキャッチフレーズも「国宝が見守る町犬山」だ。
国宝茶室「如庵」(in有楽苑)
名鉄犬山ホテルに隣接する日本庭園「有楽苑」には、信長の実弟で大茶匠の
織田有楽斎が晩年、武家を棄て隠棲地にした京都建仁寺の境内に元和4年頃(1618)
建てた茶室と書院が移築されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/da/c498845a531fd0069987f9f4d7b595b8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/75/020212147667f549532cb5705902a8af.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/7b/3d4c186f59f02c9c0ff665b1acc7a7c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/93/0c26ad276069c311de418fd719f103e5.jpg)
萱門の近くの葉に止まっていた美しい蝶
木立の中にひっそりと佇む茶室や萱門、自然の素材は夏の暑さを忘れさせてくれる。
帰路
小牧北ICに行く途中、青塚古墳に立ち寄った。
東海地区最大級の前方後円墳だそうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/84/bf8228a2bfa9074461012d9319726e4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/06/c1060bc5cce53114e3c2250129735ee9.jpg)
古墳のそばに咲いていた、顔ぐらいの大きさの芙蓉?が
ぎらぎらの太陽に負けずに咲いていた。
これで百名山御嶽山、恵那山登山&観光の旅はおしまい。
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