organic journal

生活が楽しくなるきもちのいい " organic life " を楽しもう *

鏡よ、鏡よ、鏡さん。

2007-01-31 | 暮らしのこと
女のくせに私はほとんど鏡を見ない。
シャラっと簡単にお化粧をする時に、コンパクトの小さい鏡で
部分的にパーツ、パーツを見るくらいだ。
まったく、女らしくもなく色気の”い”の字もあったもんじゃない
とつくづく思う。
だから、鏡に中の自分の顔を見て時々びっくりすることがある。
昔からきれいだの、かわいいだのという言葉からは
かなり距離感を保っていてほど遠いので
今さら造作に驚きはしないのだが
びっくりするのは表情だ。
何だかしょぼくれていて、つまんなそうな顔をしている時がある。
こんな顔でいるなんて、ただでさえ全体的にダラーッと
下に弛んで落ちてきているというのに
これはかなりの問題だ。
いつも元気でニコニコをモットーとしているのに
こんなんじゃマズイぞっ!と背筋をしゃんと伸ばして
気持ちと顔に活を入れる。
明日もがんばろう。






テディ・グニャの一人旅

2007-01-30 | 仲間や人のこと
家には長年にわたり集まって来たテディ・ベアがいる。
どれも選りすぐられて家にやって来た子ばかりだ。
私の実家に里子に出しているテディたちもいて、
あんまり会うことができなくなってしまったが
家にいるよりきれいにしてもらっているようだし、しあわせにしているようだ。
クリスマスの時期になると、家のあちこちにいるテディたちが
全員集合でクリスマスを迎える。
みんなそれぞれにいい顔をしている。
クリスマス、お正月の宴も終わりそろそろ各自定位置に戻る前に
あらためてテディたちの顔を見ていると
小っちゃい目の”グニャ”で目が止まった。

他のテディに比べ由緒正しいわけでもなく
限定バージョンでもなく、ブランドものでもない。
雑貨屋さんから来たチビのテディだ。
柔らかくからだがグニャグニャしているので
そんなふうに呼ばれるようになってもう16年は経つ。

海好きのサディ、
いちばん大きなお兄さん的なルーパート、
ドイツ生まれロシア育ちのアルフォンゾ、
イギリスっ子チーキー、
タータンチェックのスコットランド民族衣装に身を包んだ貴族の子、などなど
あげていたら切りがないのだが、グニャほどの体験を持つテディは他にはいない。

もうずいぶん前になるが、スコットランドにゴルフトリップに行く時
チビで荷物にならないからと出かける寸前にバッグに入れて連れて行った。
旅の間中ずっと一緒でグニャなりの旅を続けていた。
セントアンドリュース・オールドコースホテルに着いた時も
他のホテルの時と同様に、ソファやベッドの上にきちんと座り
景色を見たり旅を満喫していた。

セントアンドリュースは、落ちついた古い町並みのゴルフ発祥の地だ。
世界最古のリンクスゴルフコース、オールドコースは
世界でいちばん有名なゴルフ場だ。
またセントアンドリュース大学は、イギリス王室のチャールズ皇太子の長男の
ウィリアム王子が通っていたので知っている人も多いだろう。

全英オープンがはじまると、1番と18番ホールを見渡せるコース横にある
ルサックスホテルはアメリカ大統領ブッシュのお父さんブッシュが宿泊し
部屋の窓からプレイを見ることで知られている。
100年以上も前にオープンしたビクトリアン調のホテルで
私はとても気に入っている。
1階のティールームでは、地元のきれいな白髪のおばあさんたちが着飾って
女同士、ホテルでアフタヌーンティーを楽しんでいた。
さすが本物。
ゆったりしていて優雅でステキなものだと羨ましく見ていたものだ。

ゴルフコースを挟んでルサックスホテルの反対側は
ウエスト・サンド・ビーチでダイアナ元王妃と一緒に
パリでの不幸な事故で亡くなったトディ・ファイドが製作総指揮の映画
"炎のランナー"のロケ地でもある。
そのビーチでは、バンカーショットの練習をしている人がいたり
ゴルフ場を横切るロードを犬の散歩をしている人がいたり
時間の流れがゆったりのんびりしている。

私はその時は、オールドコースホテルに泊まり
ニューコースでプレイすることができた。
ニューコースといっても100年以上は経っているコースだ。
オールドコースは400年も経つ、世界最古のリンクスコースだ。
半端な歴史じゃない。
スコットランド、イギリスのゴルフの歴史は恐るべしだ。

1番ティーの後ろには威風堂々とそびえ立つ格調高い
ロイヤル・アンド・エイシェントゴルフクラブがあり
世界のゴルフのルールの制定をしている。
どんなプロのゴルファーでも、このR&Aゴルフクラブを背に
ティーショットを打つ時に緊張しない人はいないだろう。

私はというと、ニューコースでブッシュに捕まったり
右へ左へとフェアウェイ以外を歩くことも多く
ヘナチョコゴルファーは本物のリンクスコースの洗礼を
思いっきり受けたが、ゴルフ発祥の地でプレイすることがうれしくって
コースを歩くことができて最高の気分だった。


オールドコースホテルはロンドンへ帰るための最後のホテルだった。
翌日はロンドンに1泊し、その後は東京へと帰る。
旅も終わりに近づき気が緩んだのか
急遽予定より早くホテルを出発することになったため
急いで身じたくを整えたためか、私としたことが
大事なグニャをベッドに座らせたままにして出てしまった。

数時間後に気がついて、ホテルに連絡をしてもらったが
その時すぐには返事がもらえず、見つかったらロンドンに住む友人の家に
送ってもらうことにし、東京に戻って来たのだった。
旅は充分に楽しめたのだが、かわいがっていたグニャが
スコットランドのどこかで淋しくしているのかと思うと
ちょっと切ない気持ちでいた。

3週間くらい過ぎた頃、イギリスから大きめの封筒が届いた。
私宛だ。
何だろうと不思議に思いながら開けてみると
何と、丁寧に包まれたグニャだったのだ。
このパッキンに入り遥か遠くスコットランドの
セントアンドリュースホテルからロンドンに渡り
そして友人が東京に送ってくれたのだ。
友人にも感謝したが、親切なホテルの方に大感謝だった。
追いかけてグニャが帰って来たのだから。
が、私は思った。
これがもし違う国だったら、ここまで親切にしてもらえただろうか。
イギリスはテディ・ベアが大好きな国だ。
子どもも大人もテディ好きで、ロイヤルアルバートホールでの
ラストイヤーコンサートの時に大の大人の男性たちもマイテディを片手に
"ジュレサレム"を合唱するイギリス人たちだ。
だから人一倍テディ好きなイギリス人だったからこそ
送り返してきてくれたのだろうと今でも思っている。

グニャは後から無事に帰って来たわけだが、帰りは遠い遠い1人旅で
ちょっと大人っぽくなって帰って来たように思えたのは
親バカみたいなものなんだろうか。
久しぶりにグニャの顔を見て、そんなそれぞれの旅のことを思い出していた。





まだまだ行けるぞ、サーフィン!

2007-01-25 | 海とsurfing etc.
冬のサーフィンは、けっこう気合いがいる。
普通に生活している日常、ウールのタートルのセーターにコートやダウンを着、
首にはグルグルにマフラーを巻き、手袋までしているというのに
水着の上にシャラッとウエットスーツを着て
真冬の海に入るというのだから
ふつうの人は聞いただけでもゾクッとするだろう。
当の本人にしたってオドロキなのだから。
こんな冬をもう何回も続けているが
サーフィンを始める前に比べたら、めったに風邪をひかなくなり
寝込むなんてこともなく、ありがたいものだ。

冬は5mmのウェットにグローブとブーツで完全防備。
ウエットスーツは普通はオーダーで作り
海に行く頻度にもよるが、寿命は2~3年といったところだろうか。
私のウエットスーツは1年中”アムステルダム"というブランドのもので
これはサーフィンをはじめた時からずっとそうだ。
去年両腕と胸の部分の直しをしたのだが、おしりや腰のあたりの痛みが激しく
傷ついたイルカのようになっているため、水が少し入ってきて冷たい。
そこで思い出したのが以前に買ってあって1度もしていなかった
極寒用のサーフギア、ハ・ラ・マ・キ。
遠赤外線で腰を保温してくれるウエストベルトだ。
これを巻いてウエットスーツを着る。
すると、ビックリ。
温かいと言うにはちょっと語弊があるが、大丈夫。
ホカロンみたいなものだ。
なぁんだ、みんながよく言ってたけど、こんなに違うものなんだ。
これなら真冬のサーフィンもまだまだ続けられる。
私の生活に欠かせなくなってしまったサーフィン。
なかなか思うように行けなくなってしまったが
私のこころのデトックスにもなっている。
何てったって楽しい。
今度はいつ行けるかなぁ~。
次の波が待ち遠しいなぁ。






玄米好きの友だち

2007-01-23 | 仲間や人のこと
家の小さな庭に毎朝、たくさんの友だちがやって来る。
レンガ色の屋根にペールグリーンの外壁のハウスだが
"pipi"という名前がついている。
この春にはそろそろ3回目の塗装をしなくてはと思っている。
実際には主人の友だちなので、私は友だちの友だちというところだろうか。
朝早くから庭の木々や瓦屋根の塀の上で待機している。
彼は精米していないお米、彼らのご飯を"pipiハウス"の突き出しの庭に置き
真ん中にある小さな穴へスプーンで1杯、気分で2杯入れる。
やいなや、じーっと見ていた友だちの鳥たち(すずめ)親子や親戚連中が
いっせいに群がって来る。
毎日のように見ている光景だが、どちらも何ともかわいいものだ。

玄米を食べるようになり、玄米好きになった時から彼は
栄養価が高いからと、友だちのご飯も玄米に変えた。
自分で近所のお米屋さんからフレッシュな玄米を少しずつ買ってくる。

先日私の友人が玄米を食べるようになったから、と
鳥たち用に白米を持って来てくれた。
彼は白米と玄米を交互にあげていたが先日、鳥たちはどうも白米より
玄米の方が好きみたいなんだ、と真顔で言っている。
一瞬、やっぱりなどと釣られて思ってしまったが
何とも彼の玄米好きもここまでくれば本物だ。
食べはじめた頃は圧力鍋で炊くのは難しいと思ったようで、
それでも1人の時は自分で炊飯器の玄米モードで炊いていて
私は感心していたものだが、もう炊飯器を使わなくなって2年は経つだろう。
最近、"家流圧力鍋での炊き方"を教えて欲しいと言われ、もう習得したようだ。
おいしいから食べたいらしい。
ちょっと食べない日が続くと禁断症状のように玄米が食べたくなるという。
私も同じだが、毎朝来る友だちの鳥たちもおんなじなんだろうか、
と、フト思いながら、今朝も彼のうしろ姿とその友だちを眺める。








からだの声 part 2

2007-01-19 | エコロジー・環境のこと
からだの声に耳を傾けることにより
食事を整え、からだを動かし
体調のブレを早いうちに軌道修正することが大切と思うと
きのう書いたつもりでいる。

生物はみんな本能的に自分を守る術を知っている。
からだの発する声、それにプラス私たちが持っている
五感を使い、身の安全を確保でき
健康で楽しい生活をおくることができる。
耳を澄ませて早いうちに対処をすれば
からだはすぐに健康を取り戻すことができる。
からだもこころも元気でいられるのだ。
が、長い間にだんだん気がつかなくなってしまったり
生きていくことができなくなった生物もいる。
気がつかなくなる。
自分の力だけでは自分をコントロールできなくなる。
私たちの失ったもの、失いつつあるものは大きいのかもしれない。

それと同じことが地球でも起こっている。
日々、たくさんの声を放っている地球。

生物が消滅している事実。
絶滅の危機にある生物も多い。
鉱物資源、エネルギー資源もなくなろうとしている。
気温の上昇、地球温暖化による異常気象。
過去100年前から0.5℃上昇し
これから先の100年では5.8℃上昇するそうだ。
海面は今後100年で0.9m上昇するという。
「ツバル」をはじめなくなってしまう国、島、
日本だって埋もれてしまう所も出てくる。
NASAは2040年には北極の氷はなくなると発表したそうだ。
アマゾンもなくなる。
先日、400年後には地球から木が1本もなくなるという
データが出ていると聞いた。
もっとも、その前に人間はいなくなるのだろうが。

地球からの声は大きくなりすぎて
私たちがリカバーするはんちゅうを
越えてしまったかのようだ。
そんな中でも技術者たちにより進歩していることもある。
私たちは“ecology”という言葉で覆い
カモフラージュしていないか
本来の“economy”であるのかどうかを
見極める目を持ちながら、1人1人が少しずつ
目の前の自分のできることをコツコツとすることが必要だろう。

まず自分自身の “からだの声” を聞き、健康な状態でいられたら
“地球の声” も聞けるはず。
私たちは地球にいる生物だということを
忘れてはならないだろう。

今夜、待ちに待ったアル・ゴアのドキュメンタリー映画
「不都合な真実」を見に行く。
彼の世界中で1000回以上も講演しているという
“ゴアの声” も聞ける。楽しみだ。






からだの声

2007-01-18 | 食べ物のこと
胃や腸が疲れているような気がしていた。
その「気」はやっぱり当たりで、下唇にプツッとできてしまった。
からだが囁いているのは知っていたが、素知らぬ振りをしていたら
やっぱり・・・排出現象だ。
からだに必要のない余計な毒素を
からだの表面に直接、排出させているのだ。
お正月から調子に乗った食生活で内蔵が休む暇もなく
疲れているようだ。
運動不足もある。
よく考えてみると、おなかが空いてもいないのに
そろそろ食べる時間だからと食事をしている。
本当におなかが空いている時にいただくのが一番いいが
1人だけで仕事や生活をしているわけでもなく
おなか時計に合わせられない。
せめて、今はいらない、たくさんはいらないと
からだからサインを送られている時に
その声に忠実でいられたらよいのだろう。
これ以上いろいろと現われないうちに、ノーマルな状態に戻さなければ
れば・れば・れば・・・





ドーノック・キャッスルホテル

2007-01-17 | 食べ物のこと
お正月に生みたてで美味しいから、と卵を10個いただいた。
そして1週間後、別の方から20個もいただいた。
普通なら大喜びといったところだろうが、残念ながら
私はあんまり卵好きではない。
昨年も赤玉の6個入りパックを2回買ったくらいだ。

苦手な理由は、小学校の2年生くらいの時の給食にある。
ポロポロのゆで卵に野菜を少しとマヨネーズで和えた濃厚なサラダ。
たぶん旨味調味料もガンガン入っていたのだと思う。
当時は残さず食べるようにというのが定説だった。
無理をして食べたことがきっかけで、数十年も後を引くのだから
食べ物と食べるタイミングと量とは恐ろしいものだ。

ちょうどいい半熟のフライドエッグ
ごはんに生卵
ネギやみつ葉が入っただし巻き卵
カラフルなスペイン風オムレツ
ニラ玉
味噌煮込みうどんにポロリと落とした生卵
どれもおいしそうだ。

そんな世界中でバリエーションも豊富に楽しめる卵料理の中でも
すき焼きに卵は欠かせない。
割り下、それぞれの具、最後にさらりと卵にくぐらせることで
すき焼きという料理の味が完成するのだ。

卵があって完成するお料理といえば、卵なしにしたばっかりに
惜しい失敗をしたことがある。

スコットランドをゴルフトリップしていた時に
“ロイヤルドーノック”というゴルフコース、
ハイランドの最北端のゴルフ場に行った。
車でのゴルフトリップは楽しく、ツアートーナメントプロさながら
あちこちのコースでプレイし、どんどん北上して最後の目的地
ドーノックに行った時のことだ。
ドーノックはとても小さな町で、私たちは町の真ん中にある教会の向かいにある
“ドーノック・キャッスルホテル”に泊まった。
マドンナがガイ・リッチーと結婚式を挙げたことで知られるようになったが
それまでドーノックの町はマニアックな一部のゴルファーくらいにしか
知られていなかっただろう。

そのレストランでの朝食に、他のメニューに比べ卵がメインではなかったので
キッパー料理(にしんの燻製)にしてみた。
運ばれてきてびっくり。お皿からはみ出るくらいの大きさだ。
食べてみるとしょっぱい。塩っぽすぎる。
ロンドンに比べて、ハイランドの田舎で寒いせいもあるのだろうかと
思ってしまうくらい、強烈な塩味のキッパーだ。
食べてもなかなか減らない。食べながらどこまで食べて
どのくらい残しても失礼にならないか考えつつ食べた。
オーダーした私が悪いのだ。
なるほど、このキッパーに付いているポーチドエッグ、
苦手なばっかりに卵なしにしたのだが、
これは卵と一緒ではじめて成立するお味。
キッパーに柔らかくまろやかな甘味のある卵を付けていただくのが
パーフェクトだ。
with egg でなくてはお料理にならないのだ。

私はお料理はハーモニーだと思っている。
材料たちが作り出す味のハーモニーに、つくり手の気持ちがプラスされ完成する。
ひとつの材料だけが出しゃばっていてもいけない。
そのお料理に必要な材料たちが程よい具合に整って、
全体として調和されていたいものだ。
だからつくり手の気持ちもトンガラズにうまく溶け合っていたい。

意外なところで、お料理の基本を教わった気がした。
“ドーノック・キャッスルホテル”での“しょっぱい思い出”は
これからも忘れないだろう。






セルフコレクション

2007-01-15 | イベント
Organic Base主催の“ セルフコレクションのススメ ” に行って来た。
ボディワークへの導入部分で、典子先生のお話はあったが
今回はいつもと違う。
ドイツ人のクリス・武生・スプリンクさん(通訳に奥さまのナオコさん)による
ムーブメント、からだを動かすことがメインなのだ。

仕事やストレスで疲れて陽性よりになった時、
食べ物だけで調整するのではなく、からだを動かし陰性化し
本来のからだの正しいバランスに戻そうということだった。
つまりは自分で自分を正しく(correct)する。
崩れてしまったバランスを自分で整え、まずはゼロの状態に戻すための
5つの具体的な提案と、「セルフコレクション」のルーティーンを
クリスさんに導かれ、実際にからだを動かす。
呼吸が大事だったり、跪座でストレッチなど、
ヨガに通じていたり、武道にも通ずるところもあり
また、リフレクソロジーの要素もあった。
ともかくsmile、smile、楽しむことだとも。
私にとってはおもしろく、とてもいい時間が過ごせて楽しめた。

自分のからだが発している声を聞き
その声を大切にし素直に行動する。
私たちが思っている以上に、自分のからだは多くのことを
発しているはず、と思う。
見過ごしがちなその声を、時々ゆっくり聞き取り、整え、
からだに必要のない毒素は排出し、いいエネルギーの流れにする。

食べる物を含む物質的なもののエネルギーと
人や自然からいただくエネルギー。
この両方のバランスがよければ、人はいつも元気でニコニコ
楽しく生活できるはず。
自分がニコニコしていられれば、家族、職場の人も仲間も
みんなが元気でしあわせでいられることだろう。




“セルフコレクション”の時、楽し過ぎて写真を撮れず
この写真は初めのお話の時の様子>>






japanese surf art 展

2007-01-12 | イベント
1/27-2/25まで、カリフォルニア・ラグーナビーチの “ the surf gallery ”で
「 japanese surf art 展 」が開催される。

去年 の“サーフトリップ”の旅の途中、
George Greenough他の「 ON HOLIDAY DOWN UNDER」の
展覧会のオープニングに行くチャンスがあり立ち寄ったのだが
着くやいなやスタッフルームのトイレをお借りした
ちょっと恥ずかしい思い出がある。
だが作品もライブも充分に楽しめた。

何とそこで、Bueno! Books主催の日本人アーティストの展覧会をするという。
1ヶ月間の開催なので、サーフトリップに行く方は
是非立ち寄ってみてはいかがでしょう。

出展アーティスト
小林昭/佐藤傳次郎/芝田満之/豊田弘治/西岡昌典/松田大児/横山泰介
(50音順)

2007.1/27~2/25
the surf gallery in ラグーナビーチ









近所のお風呂屋さん

2007-01-10 | 暮らしのこと
家の近くに「奥の湯」という銭湯がある。
おそらく40年くらい前からのお風呂屋さんだろう。
典型的な銭湯の入口のように威風堂々とした感じではなく、
残念ながら湯船の壁に富士山と松の木の絵もないのだが
真っ白く塗られた高い天井と壁は眩しく、
床の白タイルはピッカピカで鏡のようだし、目地まで真っ白白だ。
焚き場との境の小さめの引き戸は、このお風呂屋さんの創業当時からのようだが
長年のそうじで木地の色が薄くなり、表面の肌も優しくなっているように見える。
数年ぶりに入る住んでいる町の近所のお風呂屋さんというのも、いいものだ。

番台に座っていたご主人のおじいさんは、都会的で洒落ものと見え
ウールの柄物のシャツにワインカラーのVネックのセーターを着て
イヤホンでTVを見ている。
結構お年のようだが、肌の色艶もよくお元気そうだ。
やはり、毎日の大きなお風呂のおかげなのだろう。

私はカラスの行水なのだが、せっかく来たのだからと45分入っていた。
その間、出たり入ったりで常時2~3人というところだ。
こんなに利用する人がいないのだから、経営もたいへんなのだろう。
マンションにし1Fを銭湯にしたり、廃業に追い込まれるところも数多くあるようだ。
430円の入場料も頷ける。


私が小学校に上がる前の夏、家族でわざわざ歩いて10~15分くらいの
所にあったお風呂屋さんに行くことがあったのを覚えている。
私は銭湯に行くと飲める、牛乳びんに入った白っぽいオレンジ色の
フルーツジュースが大好きだったので、たまに行くお風呂屋さんが楽しみだった。
洗面器に用具一式を持ち、夕陽に向かってたわいもないおしゃべりをしながら
ゆっくり家に戻ったのだから、お休みの日、早い時間に行ったのだろう。

父は帰りにはいつも大きなバスタオルを首にかけていた。
きちんと畳んで持っていた母は、父のその様子が何となく気恥ずかしかったのか
何か言っていたが父は動じない。
私は女の子のくせに父の真似がしたいのと、
ボクサーのようでカッコイイと自慢げに
お揃い、お揃いと喜び、闊歩していたように思う。

その頃の銭湯代は30円くらいだったようだ。
洗髪の場合はプラス10円だ。
髪を洗うために追加料金を支払うシステムは、昭和44年まで続いていたらしい。
昭和50年で100円だ。
銭湯の利用客がいかに多く、銭湯も多かったということか。
ちょっと郊外には、1日中楽しめる至れり尽くせりの日帰り温泉、
都会の真ん中でも、スパ付き温泉などはあたりまえ。
誰のことを考えてなのか、多種多様だ。

寒い冬、家族と一緒に、住んでいる町の近所のお風呂屋さんで
心もからだもポッカポカもたまにはいいものだ。





organic journal のオーガニックコットンタオル>>









想定外なエコロジカルライフ

2007-01-08 | エコロジー・環境のこと
先日細々としたものをアチコチのお店で買い物をし
その度に袋や包装を断っていた。
ドイツに住む友だちから「ドイツゴミ事情」を聞き
先日の“ journal*journal ”でも書いたように
エコバッグは勿論だがまずは「reduse」。
なるべくゴミを家に持ち帰らないように心がけている。

まず1つ目のお店では、前もって袋の有無を尋ねられた。
お断りすると“ありがとうございます”と言われ、そのまま受け取る。
お店の方の対応もスマートだった。
☆5つ。
二つ目のお店。ここでは印刷されたプライスの上に1つ1つ
お店の名前の入ったテープを無造作に長くカットし貼られる。
燃えないゴミとなるプラスティックのフックを
取り外すことができなかったので☆2つ。
3つ目のお店では袋に入れる方が簡単と見え、面倒くさそうに
どこでもいいから貼らなくては、という感じで商品をクルクル回した後
やはりお店のテープを長~くカットし、ラベルの上にまで斜めに貼る。
☆なし

最近お買い物の際、1人採点ランク付けをして遊んでいる。
お店の方の反応もさまざまでなかなか面白いし
彼らを通してオーナーや会社の社風も見えてくる。
プレゼントでもない場合は、家に持ち帰るだけなので
いちいち包装の必要もない。
それにしても何故いちいち商品にテープを貼らなくてはならないのだろうか。
ビルでもないお店の出口まではたったの2m先にすぎないこともままある。
おそらく習慣なのだろう。

実は私は、ものに付いているシールやプライスがどうも苦手なのである。
以前は家にあるもの全てに値段やシールのついているものはなかったと思う。
最近は年のせいか、解っていても見て見ぬ振りをすることを覚えた。
それでも冷蔵庫を開けた時はそうもいかない。
¥294、¥493などとプライスやシールが貼ってあるとガッカリしてしまうのだ。
そのため買い物から家に帰ると、まずは荷物を取り出しテープ剥がしから始まる。

テープを上手にゆっくり剥がさないと、下のラベルの印刷の表面まで
テープののりと一緒に剥がれてしまうことがある。
こうなってはたいへん。
上手く剥がせなかったものとこれから、ちょっとした
長いお付き合いが始まるからだ。
そんなわけで、買い物の際のテープにはちょっと神経質になってしまう。

今度からお店の方に「シールを小さめにお願いします」と
声をかけてみようかと思うのだが、
そんな小ちゃなことをいちいち言うのもためらわれる。

家に持ち帰るゴミ減らしをランク付けで楽しむ反面、
私にとっては想定外なシールとの格闘を余儀なくされてしまった。
やれやれエコロジカルな生活もたいへんだ。




organic journal の小粋なエコトート>>







motorcyclist

2007-01-05 | 仲間や人のこと
お正月に高速道路を走る3台のオートバイを見た。
ナンバープレートと服装からして日帰りのちょっとした
初乗りツーリングのようだ。
あんまりスマートなライディングではなかったが、
冬のツーリングもなかなか気合いがいるものだ、と
そんな3人のライダーの後ろ姿を見ながら、オートバイの免許を取った時、
楽しかったツーリングのことなどを思い出す。

まずは「原動機付自転車」の免許を取り、
真っ赤なボディにブルーと細い白のラインが爽快な〈 HONDA MB50〉に乗る。
ロードスポーツタイプとして1979年に発売され、
ホンダ初の2サイクル50ccバイクだった。
いろいろなカタログを見ても、他のバイクとはまるで別物のように私には思えた。
アップハンドルではないのもよかったし、丸いライトもきまっていた。
街中でも長距離ツーリングにも何の問題もなく、かなりの優れものだったと思う。
その後も乗り継ぐことになる私のオートバイの原点といえるバイクだ。

そのうちすぐに中型免許にトライする。
教習所の重たい 〈 HONDA CB400T HAWK2 〉のえんじ色、400ccのオートバイには
タンクや太いマフラーを凹ませたり、傷つけないようガードのため両側に
サイドバンパーが派手についていた。
ただでさえ重たく、タンクも大きいオートバイなのに幅が倍以上にもなって、
ものすごい威圧感だったのと、やけに野暮ったい奴で
私が乗りたいオートバイとはほど遠いデザインだなぁと思っていた。
そうは言っても、アップハンドルのお陰で、小さい私でもシートに跨がると
スレスレでつま先が地面に届くのがうれしかった。

そのホーク2をあらかじめ倒して置いてある。
この寝ているオートバイを起こし、サイドスタンドを出し、
きちんと立てなくてはならない。
まずは、これが出来ないと中型の免許は取らせてもらえず、
小型、中型と順を追って免許を取らなければならない時代だった。
ましてやその頃、女性で中型オートバイに乗ろうなんて人はいなくて
模擬試験の日もその後の教習所でも、いつも女は私1人だけだった。

私にはオートバイを起こす自信があった。
50ccとは大きさも重さも比べものにならないが、コツをつかんでいたし
なぜか元来かなりの力持ちなのだ。
今でも引っ越しの時には重宝されるし、冗談でする主人とのお相撲でも
私がいつも勝つ。

ただちょっと油断をして勢い余って反対側に
体もろとも倒れないようにだけ気をつければいい。
その日は思ったとおり上手くいった。
教習所の教官を驚かせ、唸らせることが出来たのだ。
“ すっごい力あるなぁ~” とおまけのことばまで頂き、
気分を良くしてさっそく翌日から、仕事のあい間をぬって
大崎の教習所に通い出した。

今とは違って相当重たいオートバイでの一本道、八の字、スラローム、踏切など
よく出来たものだと思うし、短制動は苦手だったがそれでもよく一発で
受かったものだと懐かしく思い出す。

晴れて中型免許を取得し 〈 HONDA CB250RSZ-R 限定車 〉を手に入れる。
赤と白のカラーリングにゴールドのフロントホークとホイールがおめでたく
寿カラーと言ったものだ。まず、フロントカウルを取り払い、
四角いヘッドライトを「CIBIE」の丸いライトに変え、
シングルシートに取り替えた。
当然、左右のフラッシャーも小さいものに交換する。
当時は改造と見なされ違反だったクリップオンタイプの
セパレートハンドルに変える。
寿カラーで軽くておとなしい4サイクルが女っぽくて気になっていたが
これで、いっぱしのライダーになった気がして愛着も増し、
いつでも、どこでも、どこまでも安心して走れるオートバイだった。

その後〈 HONDA TL125 〉を友人から譲り受け
2ストロークの名車〈 YAMAHA RZ250R 〉に乗る。
タンクが大きく250ccとは思えない大きさだった。
なかなか荒い気性の奴だったが、このオートバイで走り屋の怖さと
楽しさを味わえた。

最後に〈 YAMAHA SDR 〉2ストロークの200cc。
クロームメッキのフレームが格好よく、クリップオンハンドルにシングルシート。
スピードメーターが丸くて気に入っていた。
そのままでパーフェクトなデザインだったが、マフラーだけ取り替えた。
小さくて軽いのにすごい加速と、馬力には驚いた。

ボーフレンドがバイク好きなら話もわかるが、そんなこともないのに
いつのまにかオートバイにのめり込んでしまっていた。
1台だったり2台だったりと乗り継ぎ、オートバイの時代は長かった。
ヘルメットを取るとジロジロ見られ、ようやく女であることに気がつかれ、
よくビックリされたものだ。
東京の暑い夏、お化粧と一緒に汗のしずくを垂らしながら
フルフェイスのヘルメットをかぶり
寒くて手がかじかむ真冬には、信号待ちでエンジンに触って手を暖めた。
1人でフラッと行くツーリング、数人で泊まりのツーリング
楽しい思い出ばかりだ。



ある時、1人で箱根までフラッと走った帰り道、旧道を降りた辺りから
15台位のオートバイが連なって走っているようで
私はその最後尾を走る"しんがり"の後ろに付き一本道をずっと走っていた。
そんなつもりでいたのだが、どうやら本物の"しんがり"は私の後ろにいたようだ。
私は知らぬ間にこのチームの一員のように、
後ろから2番目を走るライダーになっていた。
カーブでチラチラ見える前方のオートバイやウエアーからして
かなりの “ 極めた人たち ” の集団だったし、統率感もあった。
マナーや腕もいいのだろう。
そんなライダーズチームのメンバーになったようで、気分も良かったし
半日以上も1人で走り、山越えをして来た私にはちょっとホッとし、
気分が楽になった時間帯だった。

しんがりを務めるライダーは一番上手な人と決まっている。
その"しんがり"は私を抜くチャンスはいくつもあったのに
決して追い越さずに、いつも私を前に走らせた。
顔が見えないが"しんがり"のスマートな走りとやさしさにカッコイイと思いながら
かなりの距離を一緒に走った。
対向車線を走るライダーに左手でお決まりのVサインを何回もしたし
ほんとうに長い時間、チームのメンバーだったのだ。

が、突然 別れはやって来た。
渋滞の信号で"しんがり”と離れてしまっているうちに
私は帰り道の左に曲がってしまったのだ。
少し走ったが当然”しんがり”は後ろにいるはずもない。
別れのあいさつが出来ずに道をそれてしまったのだ。
曲がる前に止まって待っているべきだった。
あの”しんがり”の温かい人には「ありがとう」のVサインをしたかったなぁと
その後しばらく悔やまれた。
そのことは今でもツーリングをしている人を見る度に思い出す。

あのライダーは20年以上たった今でも、まだオートバイに乗り
風を切ってスマートな走りで"しんがり"を務めているのだろうか。





波の教え

2007-01-04 | 海とsurfing etc.
私はからきし寒いのが苦手である。
暖冬とはいえ冬。
体の末端が冷えないように、タートルネックのセーターは欠かせないし、
さもなければ首にストールをぐるぐる巻き、
ウールのソックスに帽子と手袋、いつも完全防備だ。

そんな陸では寒がりの私だが、サーフィンをしないわけにもいかない。
寒い冬の海岸でウェットスーツに着替える時には、心を決めて
歌舞伎役者の早替りのように一瞬にして " 別人 " になる。
三角ビキニの水着の上に5mmのラバーのフルウエットスーツを着て、
グローブにブーツ。
風の強い日にはキャップも必需品だ。
冬はこんな黒ずくめの恰好でサーフィンをする。

太陽が眩しい夏のワイワイサーフィンも好きだが
柔らかい日差しのもとで、また、どんよりとした雲の下の
寡黙な冬のサーフィンもまた格別にいいものだ。


忘れもしない2年前の初乗りサーフィン。
ちょっとハードだったが、最高に形のいい波だった。
いい波に乗れて、乗りながら " 別人 " の自分にビックリする程だった。
が、代償を支払うはめになった。
風が強かったのでボードをあおられ右手を痛めた。
3日後に医者に行ったら剥離骨折だった。

それ以来、初乗りの波はそこそこでいい、と欲張らない。
お日様と空と乗れる波があるだけで充分だ。
今日の波もそんな波だった。
これから入るちょっとパッとしない、そんな波をみていたら何故だか
" ふっ " と浮かんだ。
「初心忘るべからず」。

今日一のロングライディングを思い出しながら、
お風呂場で冬の海水を含んで重いウエットスーツを洗う。
この1年、この原点のことばを相棒にゆっくりいこうと思う。