ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

ギリシャの時事ニュース、文学、映画、音楽がよくわかる
ギリシャの森林再生を支援する『百年の木の下で』の公式ブログです。

2016年寄付

2016-04-27 | 百年の木の下で

3−4月 3週間ギリシャへ行ってきました。

アテネ滞在中にEDASA : ΕΘΕΛΟΝΤΕΣ ΔΑΣΟΠΥΡΟΣΤΑΣΙΑΣ ΑΤΤΙΚΗΣ (アティカ地方森林火災防止ボランティア団体)へ100ユーロ(当日の換金レートで13,091円)の寄付をしてきました。

こちらが領収証です。今回の寄付も『太陽と森舎』の売り上げを元に支出しました。

2007年から継続して支援してくださっているTokoさんのお力で今年も寄付ができたことを、皆さまに報告方々心よりお礼申し上げます。

ギリシャは経済危機に加え行く当てのない多くの難民を抱えて苦しい立場にあります。それでも市民はできるだけの支援を難民とシェアしています。多くのEU諸国が壁を作り門戸を閉ざしているのと対照的です。

このとても小さな個人的なブログに心無い書き込みを繰り返す人がいて、心が折れてしまい続けていくことが困難になってしまいましたが、『百年の木の下で』の寄付の報告だけは続けたいと思っています。

いつか、その人が諦めたら、他の内容も再開できるかもしれません。

管理人

 

 


ミキスとサキス

2015-05-06 | ギリシャから

ギリシャを代表する作曲家ミキス・テオドラキスはこの7月で90歳になります。この偉大な人物を作曲家と「限定」することは実に馬鹿げています。

若い時はそのダイナミックな指揮のスタイルから踊る熊というニックネームで有名だった彼、クラシックを学んでいた彼が抵抗運動のために書いた数々の名曲は独裁政権下のギリシャで聴くことさえ禁止され、彼自身拷問を受けたり、ギリシャの寒村で幽閉され、国連などの努力の末に国外に亡命し、のちの首相アンドレアス・パパンドレウ、文化相メリナ・メルクーリと共にPASOKを立ち上げ、民主化を成し遂げるという、現代ギリシャ史の生きる化身のような人物です。今年は彼の90歳を祝う様々な催しがギリシャ中で行われています、

3月頃だったでしょうか久しぶりに『アクシオン・エスティ』全曲の記念公演を開くというスミルナ市の会見はギリシャ中で大きな注目を集めましました。最初に聞いた時は「何かの間違いか?」と思いました。

なんとサキス・ルゥバスが『アクシオン・エスティ』を歌うというのです。

ギリシャのノーベル賞を受賞した詩人オデッセアス・エリティスの代表作にミキス・テオドラキスが曲をつけた『アクシオン・エスティ』とシャツを脱ぐので有名なポップ・スターのサキスとはどう考えてもミスマッチとしか思えない....。というのが大方の意見でした。この2週間ほど実にたくさんのTV局がこの話題を取り上げていたものです。

ところで、ギリシャのニュースショウでは画面を細かく割って、5~6人のコメンテーターがお互いの意見など聞かずマシンガンのように喋りまくるので、ほぼ何を言っているのかわからないんですけれどね.....これまでのサキスのヒット曲はいろいろありますが、たとえばこんな感じ。Θελεις η δεν θελεις   .....恥ずかしいので貼り付けません。

過去に『アクシオン・エスティ』を歌うのに選ばれたのは、ΜπιθικωτηςビティコティスΜητσιας ミィツィアスΝταλαρας ダララスΚοτσιρας コツィラス、など。彼らは人気があって歌が上手いだけではない、強いメッセージ性を備えた存在でした。選この曲に対するギリシャ人の思い入れはとても強くこの曲を歌うように選ばれるのは、ギリシャ人男性歌手にとってある意味とても名誉なことなのです。

さて、このサキスの登用によって話題を集めた小さな市の公開広場でのコンサートは衆注目の的になり、その夜のテレビのトップニュースとして取り上げられました。

Άξιον Εστί ερμηνεύει ο Σάκης Ρουβάς -δηλωσεις

彼のパフォーマンスは驚くほど好意的に捉えられていました。これまでの彼とは違う新しい道を、ポップアイドルは切り開いたのかもしれません。悪くないです。もともと歌は上手い人なのだなとわかりました。

それよりも気になるのは主役のミキスの不在です。誕生日には元気な姿を見せてくれますように。

ΤΟ ΑΞΙΟΝ ΕΣΤΙ 1977 

 

 

 


春ギリシャ便り おまけ2

2015-04-13 | ギリシャから


2年前の11月に行った時もすでにそうでしたが、春のサントリーニは中国のカップルでいっぱい。挙式は本国であげて、ハネムーンでギリシャへウエディングーフォトブックの撮影に来るようです。小さなイアの街で、それが半端な数ではないので、中国のどこかを旅行しているのかと思うほど。有名な夕陽を見る場所では聞こえてくる会話のほとんどが中国語。

まあ、これもいつか来た道。
日本人も高度成長期と言われていた頃、団体でパリのシャンゼリゼ通りを札束を切って、のし歩いて、ひんしゅくを買っていましたから。

ところで地元の人によると、中国からの観光客は写真を撮るだけで、何も買わない。ドレスも持ってくるし、ヘアメイクさんもカメラマンも連れてくるので、島の経済にはあまりプラスにならないと。アテネではブランド品なども買っているようですが。

島では買ってもTシャツとか一個5ユーロくらいのキーホルダーとかを10っこ買うから半額にしろとむちゃくちゃ値切られると。そういう小物類の多くはおそらく中国製なのですが.....まあ、人それぞれです。

私達が島を出た翌日カップルばかりの巨大なツアーがイアへ来たそうで、腕を組んだ中国の花嫁花婿がまるでデパートのエスカレーターを降りるように、延々とあのイアの階段を降りてくる映像がテレビのニュースで放送されたそうで、アテネに住む人がびっくりしていました。

60ー70年代はアメリカ人、80ー90年代は日本人が多かったサントリーニ島の観光客の主流は今、中国、中東、インドに変わっていました。次の時代の波は南米?かしら。

それにしても、これほど美しい景観を持つ場所は他にいくつもない。厳しい自然が生み出した偶然の奇跡が、訪れる人を感動させ敬虔な気持ちにさせる。時代が流れ人の顔が変わってもサントリーニが人々の憧れの地である事に変わりはないでしょう。



春ギリシャ便り おまけ1

2015-04-11 | ギリシャから

よく行く島にはお気に入りのホテルがありますが、今回のサントリーニではインターネットの予約サイトを利用しました。シーズンオフの大幅な割引があるからです。

ハイシーズンの時なら1泊400ユーロのハネムーンスイーツに女性3人利用で110ユーロでした。部屋は昔の洞窟住居を改装した素敵なインテリア。


ピレウス港からフェリーのに乗り、冬ダイヤは高速艇がないので、サントリーニまで7時間の船旅。サントリーニの港からはイアの街へタクシーで向かいました。

イアの入口辺りでは何かの工事の真っ最中。「フーン」と思って眺めていると、なんとタクシーがそこで止まるではないですか!私たちのロマンチックなケーブ・ホテルは工事現場の真下だったのです。

考えてみれば、春のこの時期に、改装工事中なのは予想できること。しかしインターネットではそこまでの情報は得られません。静かなイアの雰囲気を求めて来た私たちはガッカリ。

しかし、翌朝になると、それは余計な心配でした。イアのホテルの多くはカルデラの断崖に掘られた洞窟なので、細い急な階段が唯一のアクセス方法。工事は人力と馬力で進められます。私たちが朝食を取っているテラスの前を、ラバの行列が行ったり来たりする、サントリーニの昔ながらの光景が繰り広げらました。

行列の最後のラバ子(?)ちゃんが一番の頑固者らしく、毎回の登り下りで、ミュールドライバーさんをてこずらせていて笑ってしまいました。昔はもっとラバたちを酷使していて、かわいそうと思った記憶がありましたが、今は観光客の手前?なのか?酷い扱いはされていないようでした。


春ギリシャ便り 10

2015-04-02 | ギリシャから


アクロポリスの北側辺りに住む猫たち。最近棄てられた子も、遺跡で生まれ、何代にも渡ってここで暮らしている子も、行儀よく並んでお食事中。
ボランティアで世話をしてくれている女性の声を聞くと、尻尾を立てて、「それっ!」と集まってくるのが可愛い。
1匹づづちゃんと名前も貰ってる。
それほど空腹でなくても、この女性に会いに遺跡のフェンスから
出てくるのは,やはり可愛いがられたいんだろうな。猫も人も同じだね。

春ギリシャ便り 9

2015-04-01 | ギリシャから


アテネのプラカにあるギリシャ楽器ミュージアムにて

リュート2種
左がポントス、右がコンスタンティノポリ。

春ギリシャ便り 8

2015-04-01 | ギリシャから


いつ見ても、何度見ても感動する景色。古代、ビザンツ、近代、現代。数千年の歴史が一望できます。さて、博物館ではなく、生きて脈打っている歴史を歩き回ってきましょう。

春ギリシャ便り 7

2015-04-01 | ギリシャから


ギリシャへ来たら、誰でも一度は食べるギロメピタ.持ち帰ると2ユーロくらい、肉、タマネギ、トマト、ヨーグルトソース、フライドポテトも入って、満腹です.

春ギリシャ便り 6

2015-03-31 | ギリシャから


アテネのレストラン入口にあったパスハ(復活祭)の飾り付け。街角にパスハ用のキャンドルを売る屋台が出て買物客で賑わっています。

春ギリシャ便り 5

2015-03-29 | ギリシャから


ワイナリーを見学してサントリーニ島の南東にある漁港ブリカダで見つけたタベルナ・プサラキ。色々な小さな魚と野菜を煮込んだプサロ・スパ(魚スープ)は海岸を歩き回った後の冷えた身体に最高。気分はエーゲ海の漁師さんです。

春ギリシャ便り 4

2015-03-27 | ギリシャから






サントリーニには猫がたくさん住んでいます。観光客にカメラを向けられるのにも慣れているのか、みんなカメラ目線でポーズをとってくれます。まるでプロのモデルみたい。

私のホテルの部屋にも猫たちがにゃ~んと訪ねてくるのですが、マナーが良くて驚きます。テーブルに載ったりしないで大人しくしています。出て行きなさいというと、ちゃんと出て行きます。言ってることがわかるのかなあ。

イアの町の至る所にフードと飲み水が用意されています。自動車が入れないイアで,猫も犬も安心して暮らしているようです。

春ギリシャ便り 3

2015-03-26 | ギリシャから

昨夜からキクラデスの名物、強い南風メルテメが吹き荒れています。
定期航路のフェリーは運行中止で港に避難中。サントリーニの沖にやって来た大型クルーザーも上陸用の小型船が接近できないようです。海岸のタベルナも閉鎖中。

春ギリシャ便り 2

2015-03-25 | ギリシャから


3月のサントリーニはシーズンを前にお化粧直しに余念がありません。

断崖に作られた伝統的な建築、洞穴を利用したホテルの手入れは昔ながらの方法。千年前も今もこのようなラバと人力で資材を運びます。

春ギリシャ便り

2015-03-24 | ギリシャから


サントリーニのイアに来ました。夏のような日差しに海の蒼さが目にしみるようです。

最強のパワースポット

2015-03-10 | ギリシャから

 

 

不思議な力を感じる場所はギリシャ全土にいくつもあるのですが、私にとって最強のパワースポットは、ちょっと意外かもしれませんが、サントリーニ島です。

この島はその美しさから世界中から観光客を呼び寄せ、夏は人が道をすれ違うことも困難なほど混雑します。なので、私はオフシーズンに行くのが好きです。人のいないサントリーニはまさに火の神の住む所という気がします。

幸いなことに、その荒ぶる神は今はおとなしく眠っています。下の動画は6分間でサントリーニのなりたちを見せてくれます。ナレーションはギリシャ語ですが、見るだけでもわかりやすいですし、英語のサブタイトルも付いています。

簡単に説明すると約100万年前に最初の噴火があり海中から島が現れます。以来サントリーニは常に姿を変え続けています。3万年前は丸い島でしたが3700年前頃に中央が陥没してカルデラができました。

 その島に最初の文明が現れるのは4500年BCころの都市アクロティリです。その人口は3万人、現在の人口の2倍というのが驚きです、これだけの人口のための水はどうしていたのでしょう?食料や燃料は?

繁栄していたアクロティリは紀元前1613年の大噴火と大地震で壊滅します。その時の津波は30mもの高さがあり、付近の島々とクレタ島の北岸を襲います。噴火ででた石や岩などの総量は6300万軒分の建材に匹敵する量で、それは現在の日本中の家を建てられるくらいだそうです。島は60mも積もった火山灰に完璧に覆われてしまいます。ポンペイと違うのは人骨が一体も発見されていないので、住民は事前に避難することができたのでしょうか。避難先で助かったかどうかはわかっていません。

しかし、この噴火がミノア文明を滅ぼすことになります。影響を受けたのはミノア文明だけではありません。地球の北半球は2週間も真っ暗闇になり、気温摂氏4度の冬が2年間途切れることなく続いたのであろうと思われています。食料不足で多くの人が亡くなったことでしょう。

火の神はしばらく休んでいましたが、紀元46年にカルデラの真ん中あたりから噴火しパリャ・カメニとネア・カメニの二つの新島が生まれます。一番最近の噴火は1950年で、22日間続き住民のほとんどがアテネなどに避難したそうです。

2006年のケンブリッジ大学の調査によるとネア・カメニの地下には巨大なエネルギーが蓄積されているそうです。その溶岩の量は3年間は噴火し続けるくらいの量がたまっているというので、次の噴火がいつになるのか、注意深く観察しているそうです。

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最初にあげた私たちがよく知っている美しいイアの街の景観は、こうした自然の強大な力と、人間の知恵と歴史の営みが作り上げた偶然と必然のおりなす賜物なのです。破壊と再生を繰り返すサントリーニの長い長い歴史の中で、おそらく一番美しい景観を堪能できる稀有な時代に、幸運にも私たちは生まれついたのです。

オフシーズンのサントリーニは神々しさが満ちています。春の野草が花ひらく春の遺跡を歩いていると、時間の帯がねじれているような不思議な感覚と、神々と人間の境もうやむやなほど古い古代人たちの魂の気配がそこここにしてくるのです。

 サントリーニの火山の歴史