* はな わらふ *

すてきな人生のための、おぼえ書きみたいなひとりごと

音楽と私

2009-07-18 23:10:07 | たいせつなこと
私はピアノを弾きます

プロとして演奏しているわけではありません。

でも単なる余暇活動と言い切ってしまいたくはないという気持ちもあります。

この中途半端な状態を、時には持て余すこともあるのですが
音楽に没頭していた時に感じていたあの胸が痛くなるほどの美しい音の世界を
やはり見失いたくないのです。
(時に狂気にも似て。あるいは日常に潜む無限の暗闇にも似て。)

最近、自分の演奏があまりにも生活臭の漂うものになってしまっている気がします。

毎日の生活に追われている、埋没してしまっているとも考えられますが・・・

私が生きていてこそ弾くこともできるし、聴くこともできる。

だから「生きている」ということを感じさせない音楽はナンセンスだと思うし、
そもそも成り立たないとも思っています。

一方でトイレットペーパー特売!」な雰囲気ばかりでも、少し違う気がします。
(変な表現ですが・・・伝わりましたか?)

でも、これって、私が世界を
あるいは毎日の生活をどう見ているか、という問題なのかな?とも思います。

日々の営みが持つ美しさや崇高さを
私はまだよくわかっていないのかもしれません。

言い方を変えると、
「トイレットペーパー特売!」が持つ本質的な美しさを理解できれば
私の音もまた、進化するのかな?
ちょっと違う?(笑)

でもきっと、それに近いものはあるのでしょうね。

ネイティブアメリカンの言葉の中に
「美しさの中を歩め」
というものがあります。

私がどのような世界に生きるかは
私の心が決めるのです。

ひとは、自分が見たり聞いたり感じたりした世界の中に生きているのですから。

すなわち見ない、聞かない、感じないことは、認識されない。
つまりそのひとの世界を構成する要素にはならない。
(だって、「ない」ものなのだから、「それ」は存在しない)

でもひとは、自分がそうしたい!と思ったものしか
見もしないし、聞きもしないし、感じもしないものです。
(目の前にあったって、気づかない時は気づきませんものね)

・・・つまり、私の音が美しくなるためには
私が美しい世界に住めばいい。
言い換えれば、生きることの美しさを
もっと深く感じればいい、ということなのですね・・・

最近、丁寧に生きていないのかもしれません・・・

音楽のことを考えているつもりが、
生き方のことを考えることになってしまいました(笑)

でも、毎日の生活を見直すよいきっかけになったかな?

明日からまた、もう少し丁寧に生きていきたいと思います

今日のいいこと
 いつもより少し、ゆっくりピアノを弾けたこと