legno-Diario-自閉症児は不思議生命体-

~自閉症のすーさん(小学1年生)といい婆さんのなんでもかんでも~

地震情報

2005-07-23 17:23:01 | 婆さん
うやぁ~!す・す・すごい地震

婆さんとすーさんはたぶん震源地の真上を車に乗って高速道路の下の国道で渋滞中でございました。

地面が左右上下に揺れ、電柱がしなり、周りの車が「回りながら止まって」いた。

自宅マンションのエレベーターは停止して動かなかった。

同じ階の若者から聞いた話だが、
近所のサティは物が散乱し、人々の動揺ですごかったそうだ。

だろう・・そのぐらいすごかったのじゃ。

帰宅後すぐに会社でお仕事中の爺さんに電話を入れたが携帯は見事繋がらない

携帯は災害直後はダメっすね。

仕方なしに会社へ直に電話をいれた。

婆さんの携帯へ電話を入れていたそうだが・・繋がらなかったそうだ。

震源地の近くに住んでいるリヴ友、
東京に住むリヴ友、
東京に住む兄弟、
震度5強だった所の近くに住む大爺、大婆、
大丈夫だったかな?

一応、我が家は無傷です。

水槽の水が少々こぼれていただけでした。

ここに生きている証をお届け致しました。



構造化 2

2005-07-23 08:24:17 | 療育

7月20日水曜日

3週間に一度の療育。
前回、構造化はすーさんにとって「やりやすい」と判明した。
今回は(またまた婆さんは1人残されたが)引き続き小部屋で行われた。

すーさん:
「すご~~~~い」  

二人の先生:
「すごいね~~~、すーさん!!」

すーさん、調子に乗って自画自賛大会ですかい?

でも、やっぱり中の様子が見たい・・・婆さんでした。

今回の見所はO先生からのお話の中にあった。



O先生:すーさんは、どうも「かえるをちょうだい?」と言うと
カエルはわかっていても【手渡し】がうまくいかないようなので
【カエルをここに入れて】と言ってみました。

最初は少ない選択肢の中から該当するものを
プレートにはめ込むことをしました。
スムーズにどんどんやり、自分から「すごーい」と言って
褒めてもらいたいと言う意思表示をしました。
「婆さんも聞こえましたよね?」


で、次、今度は欲をかきまして選択肢を2列・3列と増やし、
同時にプレートも2つ・3つと増やしてみました。



2つまではスムーズにできたのですが、
さすがに3つ(カエルとあひると傘みたいに)は少し戸惑い始めたので
すぐに取りやめました。・・・O先生。


確かにすーさんは人に触れられることも触れることも基本的には嫌いだ。
なるべく避けたい行為である。
「型はめ」ならお得意(笑)



こんなお部屋でやってます。


O先生に対しては最初からどっか何か解せない所があった。
だが、それは婆さんが「100%の療育の正解」を求めていたからなのかもしれない。

ここの建物に入ったとたんにトイレに行きたくなった婆さんは、
すーさんに「ここで待ってて下さい」と言って用を足した。
出てくると・・すーさんがいない。
ちゃっかり洋式トイレに入り、鍵をかけ、オシッコをして、
パンツとズボンを上げて、スマシた顔をして出てきた。

待っている間、婆さんは鍵を開けて出てくることができなかったら
真っ先に2階にいらっしゃるはずの先生を呼びに行こう!と決めていた。
鍵を開けて出てくることよりも鍵を開けられないと思ってた。

鍵を掛けて1人でトイレに入ることさえしたことがなかったからだ。

でも、すーさんは「いそげー」と言いつつマターリ出てきたのだ。

O先生とK先生に会ったとたんにこのことを話すと

「すーさん、やるもんだねー」 と笑っていた。

【手渡し】にすーさんがなんらかの抵抗があることに気がついてもらえたことを
心から喜ぼう。

そして、親なんてもんは「見ていること」が仕事なんだとなんとなく思ったのであった。


夏の夕方

2005-07-19 07:25:53 | すーさん
昨日は暑かった!

本当に「夏が来た」って感じだった。

家族3人ですーさんの大好きな「ブルーベリー狩り」をしに出掛けた。

今年は、完全不作の状態で目に入るはずであった深い紫色のブルーベリーはほとんどなく、
グリーンの小さな粒が申し訳なさそうにブル下がっていた。

すーさんは頭から流れてくる汗をTシャツに吸わせながら、
ブルーベリーととりあえず見える粒を必死に探す爺婆の後を
ゆっくりゆっくり付いてくるのが精一杯だった。

全然楽しそうじゃなかった。

広大な牧場の「日陰」だけを求めて歩く一日じゃった。

それでも、山の牧場を渡る風は気持ちよかった。

帰り道、やはり高速道路が渋滞しているとの情報を聞いて一般道を迂回して帰宅することにした。

婆さんの運転する車にピタリとついてくる嫌な車と3つの山をやり過した。

市街地に入った。

そろそろ高速道路に戻る道を選択しようと思い始めていた。

3桁国道の小さな郵便局の前の信号で止まった・・・その瞬間、



「 ゴッツン・ガン! 」


わしらの車は追突された。

ずっとわしらの車の後ろで車間距離を取らずに走っていた車にド突かれた。

2台の車は左に寄せ停止し、婆さんは車から降りて来た相手のドライバーに

「何やってんのよ!
 あなたがずっとピッタリくっついて走っていたのを知ってんのよ!!
 婆さんをバカにしてたでしょう?!」
 とにかく、警察、呼びなさい!!!!」


シルバーのおニューの車から出た来たドライバーは、グリーンのTシャツが良く似合う若い女性だった。


「 本当に申し訳ありません。
 警察すぐに呼びます 」



「 そんなミュールなんか履いて運転してること自体が間違ってるの!
 娘に何かあったら、わし、
 絶対に許さないから 」



婆さんがここまで声を荒げて見知らぬ相手に怒鳴り込むことは今までになかったことじゃ。


程なくミニバイクに乗った日に焼けた肌が似合う地元のおまわりさんが到着した。



わしらの車は幸いにも自走できる状態だったので帰路に着いた。

帰宅するまでの約60キロの道のりで3箇所で追突事故と思われる現場を見た。

昨日は本当に暑かった。

夏の最初の連休だった。

帰り道、ハンドルを握る人たちの疲労はかなりのもんじゃったのではないかと想像できる。


1番心配なのは、すーさんのことである。

1年半前、わしらはほぼ同じように信号待ちをしていて追突された。

そして、爺さんが椎間板ヘルニアの治療で通っておる整形外科へ家族全員受診した。

すーさんはパニックを起こしレントゲンを撮ることができなかった。

「痛い」とも言うこともできなかった。

この時は、爺さんも婆さんも最初は自覚症状がなかったが、
婆さんはレントゲンの結果「頚椎捻挫」と判明し3ヶ月近く治療を受けた。

すーさんは、有名メーカーのチャイルドシートにシートベルトをして車に乗っていた。

今回も同じように運転席の真後ろの後部座席で推奨スタイルで乗っていた。

我が家は車に乗っているスタイルだけは「うるさい」。


「 どうか、
 すーさんに何事もないようにお願いしたい 」
 



皆様の衆も 夏の夕方の帰り道には充分注意して下さいませ。


追伸:すーさんに「首、痛い?」・・と聞くと
   
   「くび、いたい」 ・・と答える。

   オウム返しの返答なのか?
  
   本当に 「いたい」 のか?

   わしにはまだわからない。







もうひとつの片思い

2005-07-13 12:28:53 | すーさん



ぼくは、毎日保育園ですーさんに会える。

ぼくは去年の秋にすーさんと同じ保育園に入った。

初めて会った時からぼくはずっとすーさんの後姿を見てきた。

「すーさん、かわいい」

ぼくは、見上げる程大きいすーさんを抱き上げ頬にチュっとしながらそう言い続けてる。



それでもすーさんは、ぼくを見てくれなかった。

すーさんはいつからか 「や~め~て」 って言うことがあった。

それでもぼくは 「すーさん、かわいい」 と言い続けた。



先生に 「すーさんはしつこくするとイヤなんだよ」 と言われて悲しかったこともあったけど、

「すーさん、かわいい」



このあいだ、すーさんが婆さんに 「Kくん、すき」 って言ってた。

Kくん・・ってぼくじゃないか?!

ぼくは、おとうさんの後について行こうと急いでいたからすーさんに

「なんて言ったの?」 って聞けなかった。



ぼくがすーさんが大好きだってことはみんな知ってる。

でも、すーさんがぼくをすきだってことは知らないんだろうな。



喜べ・・それでいい

2005-07-12 18:29:13 | すーさん
「 おかあさん・・・しゅき 」


すーさんが無表情でそう言った。

この言葉の前にはこの言葉に繋がる状況も会話もない・・気がした。

だが、わしはちょいと照れて、小さな声で

「ありがとうね」

しか言えんのだ。

アホやなぁ・・婆さん。

もっともっと喜べばいいじゃないか?

「そうかそうか」って言いながら

抱きしめて
特大のチューの連発すりゃーいいじゃないか?

疑うなよ。

信じろよ。

無表情でも、

脈略がなくても、




喜んでいいんじゃよ!!





やっぱし、修行が足りんな。

わしはまだまだじゃ。



絵カードさん

2005-07-11 13:27:32 | 療育


絵カード・・それは知ってた。
すーさんに絵カードを必要とする場面はないようにも見えることがあった。


どんな時に、どんなふうに、どういう絵カードを使用するのかが、
わかるようなわからないような。

絵カードを使ったらずっと絵カードに頼らないと動けなくなってしまうんじゃないか?
そんな疑問もあった。

絵カードは「絵」の方が良いのか?
それともすーさんのいつも見ている物や人の写真の方が良いのか?

そんなこんなで時間だけが流れて行った。

立派な「PECS」や「PCS」ではないが作ってみました。


児童精神科の医師と発達障害支援センターの療育支援担当の方に
「おもらしと手づかみが目に見えて増えたこと」を相談した。

おもらしに関しては迷わず「時間排泄に戻す」ように言われた。
手づかみ食べには「はしで食べろ」ではなく「全介助するつもり」に戻してみるように言われた。

もう、1つ問題が出て来た。

「手はダメだよ」などとすーさんに言うと

「もう、ダメ!!」と早口で言って物凄い歯ぎしりをするようになった。
保育士さんが「カチカチなしね」と声をかけると歯ぎしりは止めるが、
足をバタバタさせて全然納得していない様子。

家庭でも同じようなことはあった。

「ダメ・いけない・やめて・しない」などの否定語は言わないようにとも指導を受けた。

すーさんの「もう、ダメ!!」と言った後の様子は、
まったく周りの言葉を受け入れられないようだ。
要するに「パニック」

ダメの代わりに「×」
じゃ、どうすれば良いかは「○」で示す。

順番は、数字で見せる。

順番がつけられないことは、矢印
「→↓↑←」で見せる。


↑これは保育園での帰りのお仕度の折りたたみ(笑)絵カード。

手づかみに関しては明らかに絵カードで理解できたようだ。
しかし、半分は介助するようにしている。
介助すれば・・よく食べる(笑)

保育園でのプールは週2回。
残り3回は水着を着て水あそび=プールには入れない。
プールを消毒している時もあるが、すーさん本人は水着を着ている。
複雑すぎて絵カードには示すことができない。

だけど、プール・水遊び・○・×のカードで理解できるかもしれない。

とにかく、久しぶりの「やってみるべし走法」はスタートしたのじゃ。


「マラソン」

2005-07-07 22:24:14 | すーさん
昨日、「マラソン」って映画を観てきたんですよ。
本当は仕事しなくちゃいけないのに・・・。
すーさんを産んでから初めて仕事さぼって1人で映画なんか観にいっちゃいました(笑)

暗い所・大きな音の中ではパニックを起こすすーさんを連れてじゃ、
映画なんか絶対に観にいけないですから(爆

この映画は「泣いてから爽やかな気持ちになる」との前評判でした。
自閉症の人とその家族のお話なんですけどね。

私は、泣きもせず、飛び切り爽やかになるわけでもなく、
目立った勇気が出たわけでも、残念な思いを持ったわけでもなく、
不思議な気分で1人映画館を後にしました。

そして、向かった先は「ダイソー」(笑)

色々な大きさのカードケースやクリアファイルを買い込みました。
青系の色のものを選んで。
青はすーさんが好きな色だから。

自閉症児に有効だと言われる「絵カード」を入れるために買ったのじゃ。
3週間に一度の療育で前回「構造化」を初めて経験したんじゃが、
その構造化にすーさんがえらくスムーズに反応したようなので。

すーさんは今まで何度も「絵カードの使用」を保育園でも家庭でも試みる話は出ていた。
ただ、工夫して話せば理解できる力があったので保育士さんも親も様子を見ておったのだ。

意思の疎通ができないわけじゃない・・・そう、思っておったのじゃが、
絵カードを使うことによってもっともっとすーさんが
外の人間と関わり易くなるのかもしれないなぁ~
もっとすーさんを知ることができるかもしれないなぁ~
と映画を観て思い買いに行ったわけでして。

映画を観た感想は
「できることからゆっくりやってみよう」と思ったわけです。
これはわしの為にじゃ。

映画のワンシーンで地下鉄のホームで
「頭がおかしいのよ、この子」と言われるシーンがあった。

これを聞いた親は
「もう2度と外へは出さない」と思ったり、
「ちょっと人に迷惑をかけてしまったけど、このことでこの子はほんの少しだけ成長したのかもしれない」と思ったり、
色々な考え方や捕らえ方があるでしょう。

婆さんは実際こんなシーンでどう思うのであろうか?
婆さんはどうするのであろうか?

でも、どの親も「愛する我が子を思う気持ち」は
子供が健常児であろうとなかろうと変わりはないと思いたい。

そもそも親は誰でも大変なのであろう。
障碍を持っている子供の親は更に大変なのであろうが・・・。

でも、いくら大変の極地であろうとも親も子も笑えないと生きてはいけない。
笑わないで生きられたとしてもそれは生きていることではないのではないか。
所詮、いくらあがいても親は大変なんだからどうせなら
「笑って大変」の方がいいじゃないか。

もしも、神様って名のお方が障碍児の親として選んだのであれば、
きっと「こいつらにはそれでも笑って生きられる力がある」と見込んで授けてくれたのだと
自分以外の障碍の親御さん達のブログやHPを見ているとそう確信してきておる。

思いっ切り力不足の婆さんではあるが、
デリケートで難しくて正解がない子育てになるべく疲れないように
できるだけ笑っていられるように願っておる。
まぁ、婆さんが楽をしたいからなんじゃろうがww。

障碍なんだから完治することもなければ、
健常児との差が埋まることも永久にない。

でも、「すーさんは確実に成長していますよ」と教えてくれる人がいてくれるのは
わしは幸せ者じゃと思っておる。


のぞいてみるかい?

2005-07-05 12:21:37 | すーさん


さて、「くまのがっこう」のお話をちょっとさせてもらいますかな。

「くまのがっこう」を知ったのはすーさんがスノー音楽スタジオへ行くお話しが
出た時に所謂「視覚情報」として受け取った。

「音情報」は今年4月、
スノー音楽スタジオの発表会にまだ見ぬスノー先生を拝みに行った時、
婆さんは「くまのがっこう」と出会っていた。

すーさんは会場であるホールへは照度の違いから
小パニックが起こり中へ入ることはできなかった。
中からピアノの音は聞こえてくるものの「先が暗い」ことで
足が前に進まなかったのだ。

婆さん1人中へ入り、わしが何十年も持っていた「ピアノの発表会」への常識を
全て捨て去るべき「コンサート」を観させてもらった。

舞台へ出て礼をし、
何ヶ月も前から練習してきた曲を右頬が焼け付く程のスポットライトの下、
立派なグランドピアノで弾く。
まばらな拍手。
時折、カメラのフラッシュ。
又、会場に向かい礼をして舞台を降りる。

これがわしの持っていた(やったことのある)「ピアノの発表会」であった。

しかし、スノー音楽スタジオ=ゆきこミュージックスタジオのコンサートは全く違う。
1人舞台ではなく、「みんなの舞台」「みんなの楽しい舞台」であった。
ピアノ演奏にスタジオのお友達がバックで合唱で応援する。
時には、日頃ちょっと距離の開いた父ちゃんがトロンボーンを持って我が子と合奏する。
照れくさい気持ちを持ったまま親子は合奏を楽しむ。
お母さんと兄弟以外に見守ってくれる人がいることに感謝しながら・・・。

そして、障碍のある少女がスタジオの皆が応援する中「くまのがっこう」に参加した。

たった2音、3音の参加なのだが、障碍があるゆえにスムーズにはいかない。

だが、その少女はスノー先生とお母さんとそしてスタジオの皆、会場の人達の前で

ディッキー」の音を奏でた。

そう、「
ディッキー」とは、くまの一番目お兄さんの名前である。

後にスノー先生から聞いた話であるが、前日まで障碍のある少女のお母さんと先生は
色々と段取りを組んだそうだ。

だが、当日、完璧だった段取りを捨て「ぶっつけ」に挑戦したのだそうだ。

確かにその少女がディッキーを奏でるまでには「待ち」があった。
しかし、その「待ち」をホールにいる人すべてが楽しんでいたに違いないことはわかっておった。

スノー先生がお母さんと決めた「ぶっつけ」は成功したのである。

さてさて、そんな素敵なコンサートのことなど知らないすーさんが「くまのがっこう」に出会った。
当然レッスンで出会ったわけだが、知っての通り「りんごが3つ」でスタートし、
「ノンタンこんにちは」で盛り上がり・・・「ノンタンこんにちは」オンリーの世界になっていた時、
「くまのがっこう」はすーさんの前にやってきた。

この時を境にスノー先生はすーさんに電子ピアノではな
くグランドピアノ(生ピアノ)に触れさせることを希望された。

どんな気持ちでピアノに触れているかがはっきりとわかる生ピアノの方を
弾かせたいと思われたのであろう。

「1番目の兄さんは
ディッキー
「2番目の兄さんは
ウーリー
「3番前の兄さんは
アントン
「4番目の兄さんは
アルバート

「くまのがっこう」のくまの子達は全部で
12匹。

すーさんが初めて出会ったのは4番目の兄さんのアントンまで。
でも、すーさんは全部覚えてしまった。
ディッキー」が「リッキー」としか言えないけど・・・。(笑)

先日、爺さんが初めてスノー音楽スタジオにレッスンを見に来た時には
「5番目の兄さんは
マックス
「6番目の兄さんは
トフィー
「7番目の兄さんは
ハリー
「8番目の兄さんは
ベルナルド

「7番目の兄さんはハリー」は、
虫が大好き。
「8番目の兄さんはベルナルド」は
一番背が高い。

と、人物の特徴も織り交ぜての出会いだった。

当然、レッスンからの帰り道の車の中では「5番目の兄さんは「
マックス」からの
ソロコンサートだった(笑)

3日後、「構造化1」の療育があった。

5つの課題が終わったら(強化子の)おかあさんに会える」と
5番目の兄さんはマックス」が

すーさんに
数の概念の扉を開けさせたと言い切ってよいだろう。

7月1日にヘルパンギーナに侵略されたすーさんの体は

「くまのがっこう」の歌とおはなしのCDと


「くまのがっこう」のPICT.BOOK



ジャッキーのパンやさん―くまのがっこう    PICT.BOOK



ドップリ浸かって回復を待った。

婆さんは2冊のPICT.BOOKに関してはすーさんになんの説明もしなかった。
だが、すーさんはCDのお話と歌に合わせ自らそれぞれの本のページをめくり
視覚的世界を広げていった。

「くまのがっこう」はまだ神話にはなっていない。
すーさんの中では「ノンタン信者・神話」の上に「くまのがっこう」が存在する。

それは、それでよいのである。

何かを覆すのではなく、何かが重なることがいかに楽しいかを知ってくれたことが

いとうれし。


おまけ:
スノー先生とスノー先生の娘さんも「くまのがっこう」に通ってます。(笑)




おまけ2:「くまのがっこう」はチャイムの音と共に時間を進める。
学校なんだから・・これは自然じゃな。
これもすーさんにはわかりやすかったみたいじゃ。
確かに「タイマー」や「順番カード」も有効なことなんだろうけど、
ちょっぴり楽しげな区切りを教えてくれる「チャイム」も聴き所かのう。



構造化 1

2005-07-02 08:45:57 | 療育
6月29日水曜日

発達支援センターにて3週間ぶりの療育(練習)があった。

3週間前は保育園の担任の先生も一緒に見学してもらった。
まぁ、このときのお話はちょいと置いておいて・・・。

6月29日水曜日は、K先生とO先生が同時にすーさんの目の前にやってきて

「すーさん、今日はいつもと違うお部屋だよ」 と言った。

案内された部屋は、今年の1/27に最初に自閉症の診断を受ける時に
チュー先生と一緒に長い間待っていた部屋だった。

いつもなら入り口ですーさんと別れ婆さんはマジックミラーのある隣のスペースへ移動する。

が、この部屋にはない。

「婆さん、ここでちょっと待っててね」・・O先生はなぜか弾んで言い渡した。

すーさんは、全く遊具のない小さな部屋へ入っていった。
すーさんにとってもその小さな部屋は3度目。
間は開いたものの記憶にあったらしく抵抗せずに入室。

ガチャン

婆さんは1人滑り台やボールプールや平均台のある大部屋に取り残された。

すーさんがいる部屋からはかすかな声がもれる程度。

これが・・・母子分離か?

「うわぁ~~すごいねぇ~」と2人の先生の声。

時折「おかあ~しゃ~ん」とすーさんの声。

「1.2.3.4.5」  と、3人の声。

何をやっておるのじゃ???

たっぷり25分経過した。

「5終わったよ。おかあしゃ~~~ん」とすーさんが部屋から出て来た。
すーさんの顔はなぜか晴れやかであった。

O先生から今日やったことのお話が始まった。

今日はね、「構造化」をやってみることにしました。・・とO先生。
1のカゴ
2のカゴ・・・5のカゴと今日の課題をすべてすーさんに見せて、
それを順番に進めて「5が終わったらおかあさんの所へ行こうね」と言いながら進めました。

まず、トピックスです。
すーさんは以前からやっていたボディー(女の子の絵を組み立てる)で
初めて「手」が下に向けてつけることができました。



最初は、さすがに椅子に座ってもすぐに立ち上がって落ち着きませんでしたが、
K先生が課題を進め、私がすーさんを「5が終わったらね」と引き止め役をしていました。

そのうちに椅子に座って1つが終わると2つ目に進むということを理解して、
進むことが楽しくなっていったようです。



これが5つ目の課題です。
形を白抜きしたものに「赤・黄色・緑」の3色だけのクレヨンを出して
「これは何?」ではなく
「これに色をつけてみよう」と言いました。
選択肢を3つに絞ることですーさんは1度も迷うことなく、
りんごを赤、バナナを黄色、キューリを緑に塗りました。
「もう少し丁寧に塗ってくれるともっとよかったけど・・色の選択は全部正解です。
それにそれぞれの物の中を塗りました。はみ出していません。」

確かに、婆さんの前にはそれぞれの物がそれぞれの色に塗られておった。

黒の紙の上に白抜きのりんごやバナナを置くことでそれぞれの存在をわかりやすくしたようだ。

「あの~~、課題5つ全部やったんですか?」  と、婆さん。

「もちろんですよ、だから部屋から出てきたんです」  とO先生。

でも、私達はびっくりしたんです。こんなに早く課題をこなせるとは思っていませんでした。
予想を遥かに上回る結果で驚いてます。・・・とO先生は笑った。

K先生もこの時はすーさんから離れわしらの所へやってきて
「本当にびっくりです。すーさんの過敏さを知るのに色々やってましたが、
もっと早くにこれをやっていればよかったと思ってます。
すーさんは、本当は色々なことを理解していたんですね。」 と付け加えた。


新しい課題と今までK先生が遠慮がちに進めていた課題を織り交ぜての5つだったそうだ。

この日を境にすーさんは物を5つまでしっかり指を添えて数えるようになった。
たまたま、音楽スタジオでやっている「くまのがっこう」と重なっていたので数えることが面白くなったようだ。
(「くまのがっこう」に関しては次にご紹介したいと思っております。)

数を30ぐらいまでは言えるのは言えたが、それは数えることではなかった。
それはすーさんにとっては歌の1つだったことはわしにもわかっていた。

O先生に「今日のはTEECHとABAってことですかね?」などと聞いてしまったが、
O先生は「ご褒美は飴玉でもなくおもちゃでもなく・・お母さんでしたけどね」と言葉を濁した(笑)



いちご味でお願い

2005-07-01 10:50:55 | すーさん



皆様の有難いコメントにお返事をと思いましたが・・

すーさん・・38.8度の発熱でございます。

昨日は保育園からお休みをもらって親子3人気まぐれ休日を過ごしたのですが、
夜は婆さんが張り切って

「薬なしでいこう」

と軽はずみなことをしてしまったせいか・・なんなのか?
午前2時から起きだして歌を唄ったり物語をお話下さったりと。

で、今朝かなり遅くまで寝かせて置いたら・・発熱発覚。
まぁ、カバ先生の所の午前33番の予約を待とうじゃないか!
(かなり気休め状態)

既にすーさんは3杯目のカキ氷消化済み。
それも
ブルーハワイの味の虜・・のようです。

カキ氷と言えば・・
「いちご」じゃろ。