legno-Diario-自閉症児は不思議生命体-

~自閉症のすーさん(小学1年生)といい婆さんのなんでもかんでも~

それぞれの一等星

2005-11-30 07:55:49 | 婆さん
今年7月に2度目の追突事故に遭った。

すーさんと爺さんは早々に治療は終了している。

じゃが、わしは9月には一旦調子が良くなったみたいなので治療を中断して様子を見ていたのであるが、
ここの所どうも首の調子が悪い。

で、昨日の夕方いつものM整形外科へリハビリに行った。

できれば、すーさんと一緒に通いたいのであるが、すーさんはこれ以上明るい部屋はない!って位、白くて明るいリハビリのお部屋では婆さんの治療が終わるまでいられない。

40分のリハビリを終えて病院を出た。

気持ちは既に保育園に飛んでいた。

午後6:30であった。

突然、

「へんなことをお聞きします!!」

と、わしに宣誓するオジサンがいた。


わしは、自分がトコトン可笑しなことを言う人間だとわかっていながらも「身構えた」。


「な・なんでございましょうか?」

膝にすごく効くところはここでしょうか?」

「はっ???」

「えーとですね、膝に良く効く先生が駅の近くにいるって聞いたんですけどね」

(それってアバウト過ぎないかい?
駅に近い整形外科やカイロプラクティック・お灸・マッサージ系はゴマンとあるのじゃ)


「ここって駅に近い整形外科ですよね?」

「ええぇ、まぁ、近いですけど・・・・」

「他には駅の近くで膝に効くところはどこかありますか?」

(膝限定ってのが難題だよ。だって、わし、膝を患ったことないもんなーー)

「ここと同じ位の駅からの距離でもう1つクリニックモールがあって、その中に整形外科もありますけど。『膝!!』っておっしゃられてもわしには『膝!!』に効くかどうかはわかりません。」

「そこの先生はものすごく『膝に効く!!』と聞いたんですよ」

オジサンの目は必死だった。

そこの先生って言う位だから先生の名前だけでも相手に聞いてくればよかったのに・・。

そう思いながら、非常灯を点けて駐車している1台の車を見ていた。


「M先生は確かにプロスポーツチームのドクターをいくつかされていたことは知っておりますけど・・・」

「そうですか・・じゃ、『膝に効きますね?!』

(また1歩わしの方に踏み出して聞くオジサン)

「そ・それは、わ・わかりませーーん。でも、すごく良い先生ですよ」

爺さんもこのM病院に椎間板ヘルニアの治療で通っているが、
かなり調子が悪い時に先生の診察を受けるとマッサージされたわけじゃないのに
「スゥー」と痛みが消えるんだ・・とよく言っていた。

しかし、M病院は既に6:30過ぎたので今日の受付は終わっている。

たぶん、もう一つの整形外科も診療受付は終了しているだろう。


「もう一度、その情報を下さった方に『何先生』か『何病院』を聞いてみる方がいいかもしれませんね。お役に立てなくてかたじけない。」

「いやーー、こちらこそ本当にへんなことを聞いてすいませんでした」

そう言ってオジサンは同じビルにある小児科の入り口の方へ歩いて行った。

(そっちは・・・小児科・・・)

確かにオジサンは左足を引きずっていた。

婆さんは、自分の自転車の鍵を開け走り出そうとした時、

あのオジサンがずっと非常灯を点けて駐車していた車の方へ移動するのが見えた。

緊急だったんだねぇ。

膝によく効く先生が駅近くにいるって聞いただけですっ飛んで来たんだねぇ。

わしは改めて有益な情報をこのオジサンに提供できなかったことが残念に思えた。


今年の8月。
すーさんを県の自閉症・発達障害支援センターへ連れて行き「すぐに感覚統合をすべき」といくつかの情報をもらい、それだけを頼りに「何先生」がどこにいるのかを必死で探していた時のことを思い出していた。


追伸:

婆さんはまた暫く首の治療に通う。

もし、リハビリ室でこのオジサンに会ったら「こんばんは」と声をかけようと思う。


追伸2:

今、自宅を離れ自分の一等星を手にいれるため治療を受けているブログ仲間がいる。

わしは、心から応援したい。

一等星を手にいれてきておくれ!!




音の不思議-音の形

2005-11-22 14:32:56 | 保育園
日曜日、すーさんと二人で公園に行った時に「私は4歳なのよ」と話しかけてくる女の子がいた。

 婆さん:「そうかい、じゃ、すーさんと同じだね」

 女の子:「私、幼稚園に行ってるのよ、何組?」

 婆さん:「すーさんは保育園なんだ」

 女の子:「へぇーそうなの?4歳でも保育園にいけるの?」

 婆さん:「赤ちゃんでも6歳でもいけるよ」

 女の子:「じゃ、あなた『赤ちゃん組』なのね?」


 婆さんは返答に困った。

 その女の子の指すところの『あなた』は当然すーさんのことなのじゃが。

 全くの無関心・無反応のすーさんのことを自分より体は確実に大きいとわかっていながら

 「赤ちゃん程度」 と判断したのであろう。


 ここの所、保育園の迎えの時に立て続けて婆さんはインタヴュー攻めにあっていた。

 1つ上のクラスと2つ上のクラスの女の子からは


 「どうして、すーさんはウーウー とか アーアー しか言わないの?」

 「どうして、すーさんは4歳なのにちょっとしたことで泣くの?」

 「どうして、すーさんはうどんやスパゲティを手で食べるの?」

 「どうして、すーさんはまだヒラヒラ組なのにお昼寝をしないの?お昼寝しちゃうとどうして夜寝れないの?」

 「どうして、すーさんは呼んでもこっち見るだけで何も話さないの?」

   ・
   ・
   ・
   ・


 「どうして、すーさん?攻撃」 は、かなりヘビーだった。

 ウーウー・アーアーしか言えないわけじゃないし、

 嫌いな音楽や音がいきなり流れない限りはほとんど泣かないだろうし、

 全部が全部手で食べているわけじゃないだろうし、

 昼寝をさせないのは親がお願いしているわけだし、

 こっち見てくれるだけでも上等な反応でして、呼んでも見ない時も多いし・・・。


こんな風には答えなかったが、本当は言いたかったな。


こんな風に言いたくなる婆さんはまだまだだな。


なーんて、ちと沈んでいた婆さんが突然ある人のブログの言葉を思い出した。

このお方はすでにブログを置き土産に月に旅立ってしまったのであるが・・。



 いづれにしても、「なぜ何度言っても解らないんだろう」と考えずに、言語が見えない子にどうしたら理解させられるのか、言語の目を閉じて考えてみる必要があるのではないだろうか?


 言語の目を閉じて考える。

 言語の目を閉じることそのものがわしにはまだできていない。

 ただ、すーさんが言語が見えない子であることだけは薄々理解し始めている。

 でも、まだまだ薄々だけだ。

 薄々だから
「どうして、すーさん?攻撃」にうろたえているわけだし(苦


 どうやら、わしは事あるごとに

 「すーさんの広がり」=希望 と

 「すーさんの頭打ち」=やっぱり自閉症だから的卑屈な状態

 を行ったり来たりしておるのであろう。


 ただ、まだまだヒントが転がっているんじゃないかと嗅ぎ回る気力は残っておる。

 言語が見えない子すーさんであるが、最近、ピアノのレッスンの時に「自分で音を探している」のである。

 形の識別能力は高いすーさんなので、鍵盤を「黒と白の音の出る四角」と捉えているのだとばっかり思っておった。

 スノー先生が「すーさん、ここね」って鍵盤に指を持っていってくれる行為が何回か続けば形と場所で覚えてしまうだろうって思ってた。

 だけど、そうじゃなかった。

 すーさんは正解しないのである。

 導かれればターゲットの鍵盤を押すが「覚えない」のである。


 なぜじゃ?


 しかし、ピアノのレッスンが毎週ではないけど土曜日にあると言うことは理解していて楽しみにしている。

 最近では、スケッチブック(楽譜になる)を見ることなくグランドピアノの前に座る。

 スノー先生が自分の左隣に座って伴奏と歌が始まると体でリズムを取り自分が弾く所に来ると両手は自然に鍵盤の上にかざす。


 ターゲットはあの2つ黒鍵!! なのだがすーさんは他の黒鍵から試していく。

 時々正解の黒鍵だけをすっ飛ばす(笑)

 スノー先生は待つ。

 婆さんも待つ。

 すーさんは、正解の黒鍵を探し当てる。

 音が出た瞬間にすーさん本人が正解だと確信している。

 1オクターブ上がろうと下がろうとすーさんは正解だと認める。

 わかりやすく言うと 「ド」は「ド」なのだ。

 こっちの「ド」でもあっちの「ド」でも・・・。(笑)


 わしは、聴覚過敏のあるすーさんがピアノの音だけは無条件に受け入れる姿を見てスノー先生のレッスンをお願いした。

 スノー先生は、すーさんの形や場所の記憶力の早さもレッスンの中でよくご存知である。

 だから、スケッチブックに鍵盤を描いてくれた。

 そして、ピアノ以外のウクレレやおもちゃのバイオリンも気軽に弾かせてくれた。
 
 ウクレレもバイオリンも大好きだ。

 時には耳塞ぎをする日もあった。

 じゃが、すーさんが得たのは、すーさんが知ったのは「鍵盤の位置や形」ではなく「音」だったと言えないか?


 自分の得意な「形」よりも「音」という形のないものを優先したってことなのじゃないだろうか?

 いや、音には波形という形がある。

 じゃが、わしら言語が見える人間には機械を使わないと見えないだけだ。

 すーさんは「音」を脳で形にすることができたのであろうか?

 
 すーさんが楽譜も読めないのに気に入った曲をいきなり奏でてしまう才能があるとは思ってない。

 絶対音感なるものも持ってないだろう。

 最近、あんなに音程の狂いに文句をつけるすーさんが音痴になったしwww

 歌詞も音程も全部完璧でないと気持ち悪くて辛かったと思われる頃もあったが・・・。

 歌がすーさんの唯一の言葉だった時期もあったが・・・。

 


追伸:


 ノンタンDVDやパソコンよりも婆さんや爺さんと向かい合って遊ぶことの方が楽しそうだ。


 今朝、着替え介助している時に

 「保育園のお迎えもっと早く来て欲しい?」

 なーーーんて、すーさんに聞いてしまった。


 「ほしい おむかえ」

 と即答された。 

 これもオウム返しだと思っておったが、

 玄関で靴を履いている時に

 「おむかえ はやく」

 と振り返って念押しされた。




[ MR I] の結果

2005-11-18 21:10:33 | すーさん
11月18日(金) すーさん4歳7ヶ月

 今朝、すーさんは保育園に行く途中で爺さんがこぐ自転車の後部座席から飛び降りた。

 婆さんも一度同じことをすーさんにやられた。

 これは物凄く怖いことなのだ。

 走っておるのに飛び降りるわけだから・・・。

 爺さんから自転車を止めすーさんと折衝しておると連絡が入る。

 ベランダからその二人のお姿は真正面に見えた。

 仕方なく再度自宅マンションに戻り車に乗せた。

 車でも保育園が近づくとジュニアシートごと揺らして暴れ出し拒否するすーさん。

 運転しながら婆さんは例のドスの聞いた声でフロントガラスに向かって言った。


「保育園へ行きます。保育園へ行ってからワンちゃん先生の所へ行きます。いいですか??」

「はい」 すーさんも言い切りの良い返事をしておとなしくなった。

 どうやら、すーさんはワンちゃん先生の所へ行く日を「感じていたらしい」と思われる。

 今すぐではなないが、保育園に行ったらその後ワンちゃん先生の所へ行くとわかればそれで納得したらしい。

 保育園に爺さんとすーさんを落としてすぐにわしは仕事に戻った。

 午後3:50 保育園に迎えに行く。

 すーさんがわしを見て第一声は


 「これからワンちゃん先生のところへいくよ」 だった。

 いつも早退する時は「車でいくよ?」「おでかけ」など主に単語だけの第一声なのだが、今日はさすがにきっちりとスケジュールを述べられた。

 これで予定変更となったらどうなるのであろうか?
 想像する気にもならない。(笑)

 先日受けたMRIの結果といつもの診察を受けるため、婆さんとすーさんは最寄の駅で会社を早退してきてくれた爺さんを拾い、3人になって国立病院のワンちゃん先生の所へ向かった。

 珍しく予約時間よりも早く名前を呼ばれた。

 爺さんは児童精神科の診察室へ入るのは初めてだった。

 爺さんが同席したのが初めてだったので、どことなくワンちゃん先生の口角が上がっているように見えた。

 ワンちゃん先生はMRIの結果を知らせることをすっかり忘れていらっしゃった。

 慌てて診察室を出て、MRIの撮影フィルムが入った大きな袋を持って戻ってきた。

 診察室はいつも薄暗い。

 たぶん、照度をさげて心の落ち着きを持ってもらおうという配慮であろう。

 その薄い蛍光灯の明かりに透かしただけ、それも何枚もあるフィルムから手前の1枚だけを見て


 「腫瘍などは見当たらないようですね」 とおっしゃった。

 「それだけかい?(これは婆さんの心の声)

 ワンちゃん先生はフィルムを下の袋に戻し始めたので婆さんは急いで聞いた。

 「あのー、脳の大きさがどうとかそういうのってわかるんですよね?」

 「ええ、ああー、それも大丈夫ですね。年齢にあった大きさで特別小さいとか言うのはないようですね。」

 「それだけかーーーーーい??」


いやはや、なんとなくこれっぽっちの話になるんだろうなぁ~とは予想しておったが、これほどまでにお話が短いとは・・・。

かなり笑える。


脳腫瘍がない、脳の大きさには問題がないとわかっただけでも喜ぶべきなんじゃろうが・・・。



脳腫瘍があるから、脳の大きさが年齢に見合っていなかったから自閉症的な症状が見られた。
脳腫瘍を取り除いたり、脳の発達を促進するような「医療を受ける」「治療受ける」ことによって自閉症的な症状は改善されるすーさんではない。

ってことがわかったわけだね

・・・と自宅に帰って来てからそう爺さんは言っておった。


たしかに。


妙な脱力感であった。



これは??

2005-11-15 18:04:07 | すーさん

「これは??」

いきなりすーさんがわしにちょっとだけ首を傾けて言うのである。

「これって、なんじゃ??」

「・・・・・・・・」



こんなことがここ最近何度かあった。


ついにすーさんも「本当の意味の疑問」を投げかけてくるようになったか!



とか




婆さん:「トイレいく?」

すーさん:「トイレいく?」


こんなオウム返しの会話もどきも無駄ではなかったな・・しめしめ。



また、




「これは??」

いきなりすーさんがわしにちょっとだけ首を傾けて言うのである。

「これって、なんじゃ??」

「・・・・・・・・ よくにゃアブリーズ」


「あん?????」


「これは??」


「よくにゃエイブン アブリーズ」



「あやっ、もしかして、あれか??」







「さっきのあれ、なんだっけ??」(CMの台詞)

※画像等をクリックして「CMを見る」をクリックするとご覧頂けます。



「あれまー、すーさん、あなた浮気性ね」




3週間位前に、車内用に





『リセッシュ』を購入し、すーさんのお楽しみとなって


「シュシュ する」 と言って 遠慮なく「シュッシュッ」されていた。


「残しちゃダメよ、野菜もにおいも♪」

「リセッシュ お願い・・・」
 と歌う。

※画像等をクリックし「CMライブラリー」をクリックするとご覧頂けます。


最近、『
セッシュ』から『セッシュ』と言えるようになったのじゃが。


すーさん、おぬし、

緑茶成分入り消臭スプレーのこだわりが新たに増えたのか?



最近、絵カードによるカテゴリー分類を始めてみた。

まだ「たべもの」と「のりもの」の分類しかやっていないのだが、すーさんはほとんど迷わずにやるので、製作にかけた時間と労力を考えたら拍子抜けして3回位やったらお休みをしていたのだった。



一昨日、マツモトキヨシで試しに「緑茶成分入りファブリーズ」をすーさんと一緒に探した。

見つけた時の反応を楽しみにしていたが、親子3人で探してもなかなか見つからずやっと爺さんが見つけた場所は陳列棚の最上の部分ですーさんの視界には全く入らない位置だった。


仕方なく精算後、すーさんに今度はわしが聞いてみた。


「これは???」


「緑茶ファブリーズ」


オウム返しじゃなかった。(ゾーッとする婆さん)


やはり

「緑茶成分入り消臭スプレー」

と言う極めて限定されたカテゴリーに心奪われたのか??


いや、もしかするとマツケンサンバの時の衣装で「緑」なら着れたかも?をヒントに考えると


緑・命!  か?



[ MRI ] に挑んだ日-2-

2005-11-12 00:43:03 | すーさん


[MRI] に挑んだ日-1-の続きです。



病院のメインカウンターの横にある立派な水槽の前にはすーさんは立っていなかった。

水槽の目の前にある長ソファーに爺さんと一緒に座っていた。


「おかあしゃ~ん」

そう呼ぶすーさんの目はドンよりしているように見えた。

わしの脳が「ドンより」見せているのであろうか?

わしからタオルを受け取ったすーさんは自然にソファーに横になった。

タオルがないと寝れない、タオルは眠気を強める。

しかし、タオルは絶対じゃないし確約もない。

爺さんと交互にすーさんを抱っこする。

絶え間なく会計の終了を告げるこの場所で、すーさんはいつも自宅の寝室でみせる入眠するまえの「宴」を催していた。

睡眠薬を毎日飲んでいるすーさんが、1番弱いと言われる検査用睡眠薬が効くのか?

病院のメインカウンターの前のソファーも夕方ともなれば人も疎らだった。

ソファーに横たわり体をグルグル・バタバタさせるすーさんを奇怪と見る人の数は少なかったことが助かった。

すーさんが薬入りジュースを飲み終わってから丁度30分後。

すーさんは目を閉じ動きが止まった。

5秒後再度鈍い動きがあった。


「ここはうるさいから放射線科のストレッチャーの所へ移動しよう」

「あの廊下に行ったら逆効果じゃないか?」と爺さん。

わしは診療放射線技師のお方の「なるべく早く戻って来てくださいね」って言葉が前頭葉に広がった。


「爺さん、悪いけど放射線科の人に『もしかすると寝るかも』って言って来てくれないかのう?」

とお願いした。

爺さんが戻ってきて
「さっきの優しい診療放射線技師の人は会議に行っちゃったってさ」と。

「じゃ、とりあえず放射線科に移動してみよう」

21キロのすーさんが寝ると想像以上に重い。

椎間板ヘルニアの持病がある爺さんが率先してすーさんを抱っこして歩き出した。

ものの7歩ですーさんは起きた。

放射線科へ向かっているだけでも
「ないのぉ」と叫ぶ。

また、水槽の前のソファーに戻る。

ただ今、
4時22分。

「すーさん、ごめんよ」

水槽の前のソファーに戻ると体は横たえているにもかかわらず

「くつ、はくよ」

すーさんははっきりとそう言って上体を起こそうと必死だ。

目はパッチリ。

でも、この時婆さんは久しぶりに
「すーさんは寝る」と確信した。

これは入眠前の
「クライマックスだ」。

2分後、すーさんは再びタオルを顔に被せながら動きを止めた。

「どうする?」

爺さんと婆さんは互いの顔とすーさんの顔を交互に見ながら息を潜めた。

「抱っこは俺がするから」・・・爺さんは長くて重いすーさんをソっーと抱き上げた。

「足はわしが持とうか?」  まるで死体を運ぶ二人組だ。

でも、爺さんは頑張った。

わしは放射線科に走る。


「寝ました!」

1番奥の検査室にはハワイで自主トレを終えて帰国し、成田空港でなんとなく笑顔を見せるプロレスラーみたいな診療放射線技師さんが

「あの~、担当者は会議に出てしまって・・・」 と自信なさげにおっしゃる。

「今、爺さんが娘を連れて来ます。ストレッチャーに乗せないとダメですか?」

「いえ、もう直接こちらへ・・」 と かなり威圧的なMRIの機械がある部屋を指差した。

婆さんはすーさんを抱っこしてこちらへ向かっている爺さんを迎えに行った。

長い廊下の向こうからすーさんが背中を見せながら宙に浮いて静々動いていた。

いや、一応爺さんがすーさんを抱っこしていた。


「お願い、お尻持って!」 爺さんは必死だった。

すーさんは長くて重い物体と化していた。

すーさんの体をMRIの寝台に乗せたのが
4時27分。

ウルトラマンのカラータイマーは煌々と点滅していた。



ハワイで自主トレを終えて帰国し、成田空港でなんとなく笑顔を見せるプロレスラーみたいな診療放射線技師さんが

「もう少し待ちましょうか?」 と言った。

一瞬、わしは止まった。


「いいや、すぐに始めて下さい」

そう言ったものの爺さんに意見を聞いた。

(ここまで来たら『MRIを受けたい』と思った。)


「そうだね、今すぐに始めてもらった方がいいかもね」

「わかりました、じゃ、すごい音がしますのですーさんが落ちるといけないのでそばにいて下さい。」
「X線ではありませんのでご一緒にいても大丈夫です。金属だけ外して下さい。」


爺さんと婆さんはファスナー以外の金属を部屋の外に置いてすーさんが横たわる寝台の両脇に陣取った。

「最初、すごい音がした時にビクッと起きるかもしれないのでお願いします」



ガガガガッ・・・


ゴゴゴゴゴゴ・・・


グイィ~~イ~~ン・・・


そのとたん、すーさんは心臓停止状態の人が電気ショックを受けた時のように全身が跳ねて目を開けた。



が・・寝台に着地してまた目を閉じた。

婆さんの寿命はこれで4年縮まりました。


皆さん、MRIってこんなに騒々しいもんだったんですか?

ご存知でしたか??

爺さんはヘルニアで何度もMRIを受けているのでその騒々しさを知っていたので


「うるさいよ」

と言っていたが、

「うるさいよ」どころじゃなかんべよ。

すーさんが目が覚めてしまった時に頭の周りにはガードがあって、ドームのような囲いもあって、音が凄まじい所に1人ぼっちでいる事実を見せ付けられたら、脳みそが頭蓋骨を突き破って飛び出してしまうだろうと想像した。





だから、祈った。

寝てておくれ。

ちょっとの間。

気絶してておくれ。


たぶん、正味7分位だったと思うがわしは手を合わせ祈っていた。

「お手手とお手手のしわを合わせて、南無~」なんて暇はない。


後半の2分間にすーさんの右足の親指がピクッと3度音に反応しておったが、それだけだった。


「これで終わりです」


「すーさん、終わったよ。・・・もう、起きていいよ」


「すぐには起きないよぉ~」と爺さんは笑っていた。


爺さんと婆さんは何気に予想を立てた。


「すーさんはいつ起きるか?」


二人の予想は同じだった。


「車に乗ったら起きるよね」


大正解!!


すーさんは、車のドアを開けた瞬間に目だけはパッチリ開けた。

「おうちに帰るよ」 と言った。


今日はね、



「ごはん食べにいくよ」

爺さんも安堵の声色であった。



追伸:

MRIを受けたことでわしらに何を知らせてくれることになるのかはわからない。

ワンちゃん先生も「どこの神経がどう繋がってないのか」は、MRIでもわかりませんよ、と言っておった。

そうじゃろう、それはわからないのはわかっておるよw

でもね、そんなこといいんだよ。

すーさんの大きな頭の中がどうなっているのかが見れるものなら見たいよ。

あんなに大変な思いをしたんだからさ。


追伸2:

MRIをはじめ、色々な検査も「親一人」では相当大変だと実感した。

今回は爺さんがたまたま同行してくれたので受けることができたが、わし一人だったらと思うとすーさんが寝てくれても最後まで病院にいられたかどうかはわからない。

親じゃなくてもいいから、応援団の同行が望ましいと思った。

[ MRI ] に挑んだ日-1-

2005-11-12 00:40:51 | すーさん
2005年11月8日(火) 16:00~

すーさんは国立病院でMRIの検査の予約が入っていた。

MRIは「寝て受ける」というプレッシャーは婆さんにとっては相当なもんだった。

いつも睡眠薬の「グッドミン」を飲む容器に当日飲む「水薬を入れたらこうなるだろう」カードを作り、リヴィングに置いて1週間ほどの間すーさんに見せていた。





当日、激忙の爺さんが病院へ一緒に行ってくれることになって「よかった」が、婆さんの緊張は緩むことはなかった。

保育園に爺さんと一緒に迎えに行き、窓から出現した親二人にビックリした後、飛び上がって走りよって来たすーさんを見る限りでは体調は悪くなさそうだ。

しかし、ドール先生から

「午前中、プールサイドに座りちょっと元気がなかったが、給食を一通り全種類おかわりしたら元気になったんです。」

と聞いて、思わず苦笑したのだった。


そうか、午前中動いて疲れさせる作戦はうまくいかなかったわけだな。


病院へ向かう車中では「くすり」の絵カードを持たせて摺りこんでいた(笑)


病院へは初めて来た爺さんは、すーさんが何も戸惑うことなく病院のご立派な水槽を見てから児童精神科へMRI用の薬を取りに行く姿を後方から「慣れてるな」と見ていたに違いない。


MRI用の水薬を受け取ると放射線科へ移動。

横に長い国立病院は移動距離も長い。

放射線科の受付で「こんにちはぁ~」と言ったまでは良かったが、1番奥の検査室へ向かう間に「嫌な感じ」を受けてしまったすーさん。

人口密度が一気に減った検査室前の廊下は、壁に沿って並んで誰も座っていないベージュのソファーが静けさを強調させていた。

婆さんが水薬をいつもの薬を飲む容器に移し替えている姿をジッと見ていたら・・・

突然、すーさんはパニックを起こした。


「のまないのぉ~」

「いやないのぉ~(いらないの)」

「ないの、ないの」



検査前に食事や飲み物の制限はMRIにはないのでM&Mのチョコレートを先に食べて落ち着いてもらうことにした。


そこで、薬の絵カードを車から持って来なかったことが判明。


婆さんは爺さんを責める責める。



「どうしてよ!なんのための絵カードよ。意味ないじゃない!」


爆発


「チョコレートを食べたらお薬飲もうね。お約束だよ」


爺さんはパニック真っ只中のすーさんを膝に乗せて繰り返す。


婆さんは既に魔人のような顔で仁王立ちしていた。



「わしが車からカードを取ってくるから


結局、こうなったら絵カードを見せてもなんの効力もなかった。


わしらの周りに数人スタッフの人が立ち


「今日はワンちゃん先生いらっしゃらないんですよねぇ」

と話をしていた。


ワンちゃん先生ってすーさんの担当のワンちゃん先生かい?


ほんのわずかに長い廊下には人が座っておったので、その患者さんの担当がたまたまワンちゃん先生って同じ名前なんだろう・・

そんなことだけしか思わなかった。


依然、チョコレートを食べても薬を飲まないすーさん。



「せっかく予約が取れたのに・・」

「せっかく絵カードを作ったのに・・・」

「せっかく爺さんも来てくれたのに・・」


無数の「せっかく」がわしの頭の中で増殖する。

すーさんはチョコレートを食べた後「Qooちゃんのジュース」を要求して飲み始めていた。

あまり美味しそうに飲んでいるわけではなかったが、
「ないの~~」と叫び続けていたので喉が渇いていたのであろう。

爺さんが
「Qooちゃんに薬を混ぜたらどうかな?」と静かに提案をしてきた。

「混ぜていいのかな?良いわけないよね?」

でも、他に今はすーさんに薬を飲んでもらう方法が見当たらない。

仕方なく、爺さんにお願いしてすーさんをその場から離しててもらって薬をQooちゃんのペットボトルに注入した。

まだ、爺さんとすーさんの姿は長い廊下の見える位置にいたので


「仕込んだよ」・・・おっと、いけねぇ

「すーさん、Qooちゃんのジュース飲もうよ」

呼び戻してジュースを勧めた。

水薬は合成香料がきつかったので、ジュースに混ぜたら味に敏感なすーさんにはきっと「バレル」に違いない。

そう思いながら、ジュースを飲むすーさんの隣で石のように堅くなっていた。



「気長にいきましょう」

そう声を掛けてくれた人がいた。

たぶん、診療放射線技師のお人であろう。


「さっきのお子さんも結局寝なかったんですよ」

わしには「さっき」とおっしゃられても放射線科の廊下を歩き始めてからは何も気に留めておく余裕はなかったので・・わからなかった。

爺さんは 「ああ~」 とわかっているようだった。

「今日はワンちゃん先生がいらっしゃらないんです。こう言う時は担当の先生をお呼びして今後の指示を頂くのですが今回は無理のようです。」

「あの~薬をジュースに混ぜてしまったんですけど大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ、なんでも」

「よかった・・・」

「でも、今回はダメでも仕方ないんですよ。興奮してしまうと薬が効かないこともよくあることですからね」

「もし、今回MRIが撮れなくても次の診察の時に『強い薬を飲んでまでMRIを取る必要があるか?』などご両親でお話になって下さい。この薬は1番弱い薬ですし。」

「すーさんは睡眠障害があるのでワンちゃん先生に診てもらって睡眠薬を飲んでいるんです。」

こんな噛み合わない会話をしているうちにすーさんは薬入りのQooちゃんジュースを飲み干してくれた。

すーさんは一秒でもこの場所にはいたくないらしく怒り出す。


「すーさんの大好きな水槽の所へ連れて行きます」

爺さんとすーさんはソソクサとその場を去っていった。

わしは、身の回りの物を片付けた。


「落ち着いたらここに寝かせてもらって。4時30分まで待ってみましょう」

ベテランの診療放射線技師のそのお人は細長いストレッチャーを整えながら説明してくれた。

放射線科の受付のご婦人もことの他心配そうにその説明を聞いていた。

「じゃぁ」 婆さんは爺さんとすーさんのいるだろうと思われる場所に行こうとしたら、


「なるべく早く戻って来てくださいね」 と送り出された。


『当てがないけど・・・』



「療育」と「保育」

2005-11-09 08:16:28 | 保育園
何事にも浅い婆さんではあるが、「療育」と「保育」についてちょっとウンチクたれてみるかな。


わしが通園療育施設に見学に行った時ご案内をしてくれたケースワーカーさんはこうおっしゃった。


「保育園に療育を求めるのは『無理』です」



わしは、すーさんのこととなると即答ができなくなるので


「はぁ~」


そう言ったような言わなかったような・・・。


わしのリアクションが曖昧であったことでいつもマショマロみたいな話し方のケースワーカーさんが、歌舞伎揚げ(せんべい)みたいに濃い味のバリバリした話し方に変化してこうおっしゃった。


「職員はみんな声に注意しています。決して大声を出しません」

(ガシャ → 袋を勢いよく開ける)


「給食時間は決して好き嫌いを克服する時間ではありません。食べなくても『ごちそうさま』か『他のものを食べるのか?』をはっきりさせるだけです。決して無理強いはしません。」


(バリッ → そこそこ大きな1口目)


「担任の先生方は休日返上で色々と勉強している人ばかりです。」


(ボリボリ → ありゃ、この人残りを全部食べちゃったよ、てな感じ。)




ちょっと待てや・・・婆さんはまた
「はぁ~」と答えた。


まず、もしすーさんが入園するとなると・・と言うクラス(幼稚園で言うと年少さん)を見学させてもらったのでその時のことを簡単にレポートすると。





●TEACCHを土台にして、絵カード(写真とイラストが主で文字カードはほとんどなし)を使い、混乱を防ぎコミュニケーションを取る目的がはっきりと見える。


●すーさんの「わかっているようでわかってない」部分は多々あるので、再度これらのことをヒントにすーさんの中の「理解」の領地を広げてることはしたいと思った・・・のであった。


すーさんが通っている保育園では

▲下駄箱やロッカーには名前が貼ってあるだけだ。
ただ、下駄箱は4月に変わった直後から自分の場所はわかっていたし、荷物ロッカーも名前だけの表示だが保育園用のリュックを毎日置く、リュックをそこから出して帰りのお仕度をするので混乱することはなかったようだ。

すーさんと全く同じ保育園用のリュックを持っているクラスメートもいるのであるが・・。

▲「マイ椅子」なんてありませんし、給食やおやつの時間に「マイ場所」なんてありませんがな。

手を洗った順に好きな場所に座る。

何度もすーさんが席に着く様子は見ているが「ここらへんが好きなのか?」って所もほとんど見当たらないし、「○○ちゃんの隣はヤダ」みたいのもないようだ。

▲給食も5~8月頃は手づかみが増えて絵カードの提示をして来たが、食欲がない(食が細くなった)こともあってか、食の興味が失せていたことも原因の一つだったのであろう。

食欲の秋になったらおもむろに「手」で食べ出すことはなくなった。

ごちそうさまの意思ははっきりと表す。

遊び食べなど今のすーさんにはない。

▲すーさんに付いてくれているドール先生の声は
いつも静かだ。

召集をかけるときだけは確かに大きいがすーさんに話しかける時は普通である。

無理強いはしない。
(親はするがww)


そりゃぁ、療育施設にお勤めの保育士さんと今回初めて障碍児の担任になったドール先生とは「知識や技術」と言う面では違うだろうけど・・・。

なんてったって、ドール先生はすーさんが大好きな先生には違いない。

もう1人の担任のスナップ先生の体を張った「グルグル」(字の如くすーさんをグルグル回す)やオルガン演奏にちゃんと心弾ませておるのである。

それに、すーさんが保育園で脱走する場所が「赤ちゃん組」と「事務室」だけ。
「赤ちゃん組」には1歳児クラスと2歳児クラスで担任だったキリン先生がいるし。
「事務室」にはパソコンとちょっと特別な絵本があるからだ。


で、
こればっかりは・・・と言う2点だけが残った。




1:通園療育施設の教室に入った時、わしは「しずかだぁ~」と思わず口走ってしまった。
保育園の中の音が何ホーンあるかはわからないが、とにかく午睡時間以外は賑やかだ。

聴覚過敏のあるすーさんが「よく過ごせるな」と心配するが、シャットダウンしてようがなんだろうがその凄まじい音の中で毎日を過ごしていることだけは事実である。

療育施設の静けさだけは保育園に持ち込むことはできない。


2:すーさんと同じ年齢のクラスまでは母子通園なのである。次年度からは単独通園になるのであるが、入園3ヶ月は母子通園が原則であるそうだ。

わしは、これでも仕事をしておる。
それに4.5.6月なんて仕事サイボーグになる時期なのじゃ。
仕事を辞めなければ入園はできない。


わしが仕事を辞め、今、すーさんの療育に全てを傾けることがすーさんにとって最良ならば。

そんなことも考えた。

「療育施設の静かさ」と「わしの仕事」

これが

「療育」と「保育」 ってことかな?


どっちにしろ通園療育施設には4月か10月からでないと入園できないので、もうしばらく「生のすーさん」と暮らしていきながら、感じたり、考えたり、そして、笑ったりしてみようぞ。



保育園にいる「友」

2005-11-04 13:16:25 | 保育園
さて、「吐き出したくて吐き出せなかったこと」に至るまでに「第二のいい婆さん」が保育園にいた!!とお伝えしたくなった。



些細なこと・・でも、これは自閉症児には一大事なことってことが多くある。


10月1日、すーさんの保育園では運動会があった。

すーさんは結局の所、「マツケンサンバ」の衣装は着れなかった。



だが、ご褒美ということで運動会直後メダルを先生から頂戴した。


そのメダルにある我が姿を見たすーさんは一週間位

「ウヒヒ」状態であった。

そのメダルとは



の衣装を着たすーさんが写っていた。


しかし、正規のすーさんのマツケンサンバの衣装はこれ↓





違いがわかるであろうか?


身頃の色と帯の色が逆である。


身頃が
で帯がオレンジなのがお解かり頂けるであろうか?


この衣装は、同じ3歳児クラスの
「トコトコ組」の衣装なのである。


すーさんは
「ヒラヒラ組」なので身頃がオレンジで帯がなのである。



10月1日の夜、保育園の3歳児クラスの
「ヒラヒラ組」「トコトコ組」の飲み会があった。


飲み会にすーさんと同じクラスの
「ヒラヒラ組」の桜子ちゃんも参加した。


桜子ちゃんは婆さんに会うと必ず

「すーさんの誕生日は桜子の次だよね?」

と確認してくる。


「その通り!桜子ちゃんの方がすーさんより早いよ」 

と婆さんは毎度答える。


桜子ちゃんはその名の通り「4月初旬」の誕生日だ。


「あのね、すーさん、最初はマツケンサンバの洋服を着たんだよ。」


桜子ちゃんはそう話し出した。


「だけどね、少ししたら『ヤダ!』って言い出したんだよ」

「桜子はね、『なんでだろう?』って思ったんだよ」

「だってね、すーさん
『トコトコ組』ののやつなら笑っていたんだよ」

「だからね、
『トコトコ組』なら着れたんだと思うよ」



わしは『トコトコ組』の衣装を着て笑って写っているメダルを半分ヨダレを垂らしながら眺めていたすーさんを思い出していた。



「そうか、すーさん
の次にが好きだっけな」



「それからね、すーさんかわいそうなんだよ。
 すーさんはね、セブンちゃんに叩かれるんだよ。
 でも、すーさんはね、泣かないの。
 すーさんはね、何も言わないの。
 だから、桜子はね、先生に言うの『すーさんがセブンちゃんに叩かれた』んだよって」


「セブンちゃんはね、先生があっちを向いているときにすーさんを叩くんだよ。時々、ボールみたいに蹴るんだよ。」


セブンちゃんとは今年の春に新しくクラスメートになったお子さんである。


婆さんより桜子ちゃんの方がエキサイトしてきた。


桜子ちゃんの言葉を聞いて、
「ヒラヒラ組」「トコトコ組」のお母さんさん達は声を出した。


「そうなの、セブンちゃんはね乱暴なの。うちの子も嫌いだって言うの。だけど、最後には、『すーさん、大丈夫かな?』って言うのよ。」


婆さんはアドレナリンが通常の量の100倍に膨れ上がっておったが、抵抗できないすーさんを気遣うことで締めてくれる『友』の言葉に感謝するばかりだった。


「すーさんは逃げるから大丈夫だよ」 

 婆さんは桜子ちゃんと他の親御さんに言った。


「我が子かわいい」のは当然なのだが、その時は悲劇のヒロインの親を演じるわけにはいかなかった。



10月3日月曜日、連絡帳に桜子ちゃんが言っていた


「だからね、
『トコトコ組』なら着れたんだと思うよ」 


を書いてみた。


「良く見ていますね。そうかもしれませんね、気がつきませんでした」


と、スナップ先生が返事を書いてくれた。


その通り!!!

わしも気が付かなかった、
ならよかったかもしれないなんて。


それに、この話をしてくれたのが桜子ちゃんだと聞くと後日スナップ先生は教えてくれた。


「桜子ちゃんはね、すーさんが泣くこと、喜ぶことを報告してくれるんですよ。
 すーさんがこれが嫌で泣くってわかると他の子が『やりたい』って言っても
『さっきやったでしょ!今日はこれで終わり。又やったらすーさんが泣くでしょ!』
と説得に回るんですよ」




桜子ちゃんのお母さんはほとんど泣き言を言わないお人であるが、

たった一つこぼしたことは

「桜子が0歳児の時から
『4月生まれなのに』って言われて『4月生まれ』のプレッシャーにすごいストレスがあったみたいなの。」

そうか~、誕生日の認識がわかる子には4月生まれはプレッシャーだったんだ・・・


「でも、体はすーさんより小さいけど『4月生まれだから、それにすーさんよりお姉さんなんだから』と自分ができることをしてあげられる相手がいることが嬉しくって仕方ないみたいなの。それにね、桜子はすーさんが
大好きみたいなのよね。」



それを聞いた数日後の朝、

すーさんが登園すると桜子ちゃんはジグソーパズルを1人でやっていた。

すーさんは、桜子ちゃんがやっているジグソーパズルに手を出した。

すーさんは、桜子ちゃんがやっているジグソーパズルは得意中の得意なのだ。

じゃが、わしは大きな声ですーさんに言った。


「コラッ、桜子ちゃんが終わるまで手を出してはいかん。ここに座って見てなさい」


担任のドール先生も婆さんのデカイ声に「???????」の表情だったが、

「すーさん、婆さんの言いつけ通りに桜子ちゃんがジグソーパズルを終えるまでずっと向かい側の椅子に座って見ていましたよ」


と連絡帳で報告してくれた。


「桜子ちゃん、いつもありがとよ」


「すーさん、たまには見てるのもいいじゃろ?」




吐き出したくて吐き出せなかったこと

2005-11-02 17:15:51 | 療育
9月中旬からすーさんの療育に対しての選択の機会が数多く訪れた。

それは、感覚統合を含む療育もだが「保育」と「療育」の配分に対しても親として選択肢が出て来ていた。

市の発達支援課の課長さんとケースワーカーさんにお会いした。

通園療育施設にも見学に行った。

発達につまずきのある子の保育グループにすーさんを連れて参加させてもらった。

通園療育施設にも保育グループにも婆さんの「すーさん探検隊長」としてくすぐられる部分が多くあった。

絵カードを使った指示、パニックを起こした時の先生の対処など勉強になった。

じゃが、それと同時に吐き出せない迷いも抱え込んでいた。

昨日、発達支援課へ結果として
「C」を選択することを告げた。





要するに来年の3月までは
「今まで通り」にすることにした。


しかし、婆さんはどっかでまだ迷っていた。


これでよかったのか?


そんな時、ティンカーベルくめくめ。親分の記事を読ませてもらった。


もう、婆さんボロボロのヘロヘロ。


.>乙武さんの本の内容に
「障害者に対する理解・配慮は、どこから生まれてくるくるのだろうか?

僕は、「慣れ」という部分に注目している」とある。


ジヘイ君をからかっていた○君、△さん、◇ちゃんは

小学校低学年時代に新しく入ってきた来た子達だ。
クラスの3分の一程度の子がそういう子達になってきている。

園から一緒に育ってきた子達は、前にも書いたが
自閉症の特徴やジヘイ君のことを感覚でわかってる。

「こんな事が嫌で泣く」とか「こんな事が大好き」とか
「ここではこんな台詞」などなど、一緒に過ごした時間が長い子ほど

ごく自然に扱い方がわかっている。
しかし、そういうタイプの子と接した事のない子供は

どう付き合ったらいいのか、適切な対処の仕方がわからない。
その変わった行動が気になるもんだからからかうのではないだろうか?

その後この子達もジヘイ君に慣れるだろうが
進学などで違う環境になればまた初めから・・

環境を整えるとは地域全体、いや、日本全体、いや地球規模の
意識改革が必要?(話が大き過ぎっ!)

ティンカーベルくめくめ。親分の記事より



今回の選択をする時に1本の柱として「友」があった。

すーさんはクラスメートとして関わり遊びなどほとんどしないが、
1歳9ヶ月から通っている今の保育園には立派に

「すーさんはこんな子なんだよ」 と語れる子がたくさんいる。

すーさんとの付き合いはもうそろそろ3年になるわけだし。

すーさんとは違う成長を遂げている子達はすーさんが教室にいることが当たり前で、
すーさんが怖がることがあれば
「すーさんが泣くから今はやらないよ!」 と先生の代弁をしてくれる子もいてくれる。


しかし、今年の春から新しく入ってきたクラスメートにはすーさんは「異質」だったようだ。

異質だから目立つ、目立つから気に入らない・・そんな気持ちからかすーさんを叩いたり、すっ飛ばしたりしている子もいた。

婆さんが病院や療育のため早々に迎えに行くとすーさんの存在に不慣れな子達はわしをにらんでおった。


そんな時、すーさんはちょっと表情を変えただけで逃げるだけだった。

月曜日にはっきりと「保育園 ないの」と言うようになったのも事実だ。

このままでいいのか?

そう思っていた。


しかし、この9~10月にかけて婆さんが知っている以上にクラスメートはすーさんをちゃんと受け入れていること。

すーさんをちゃんと見ていること。をご本人達の言葉で聞くことができた。

そして、春にはすーさんが憎たらしい存在に思っていた子も自然にすーさんの絵カードを持ってトイレに誘導してくれている姿も見ることができた。

更に、すーさんが
友達を見るようになったことだ。

リアクションと認められるほどのことはないが、視界に入れて見ることをし出したのだった。


爺さんと婆さんは「友のいる環境をもう少し続ける」ことにした。

友だけではなく、保育園の先生方も友の親御さん達もすーさんの中では「いつもの人達」として受け入れているという大事な環境だからだ。


それでも、婆さんはこの選択を言葉にできなかった。
迷っていたからだ。


くめくめ。親分さんが「ジヘイ君を取り巻く環境」について語ってくれたことで


「今はこれでいい」  ではない。

「今はこれがいい」  と言えることができた。



初冬のわらべ唄

2005-11-02 00:42:35 | すーさん
先週からアレルギー喘息でそれでなくても安眠不可のすーさんの睡眠時間は減り、婆さんも自ずと眠い。

31日は37.2度の微熱があったが、かかりつけのカバ先生の所でインフルエンザの予防接種を受けてきた。

夜は、加湿器バンバン、エッセンシャルオイルはフンダンに使って部屋中を「対策」と言う垂れ幕で覆った。

咳は減ったものの幾度となく眠りが浅くなるすーさんはちとかわいそうじゃった。

昨日の夕方、保育園に迎えに行くとすーさんは何故だか年長さん数人に囲まれてパズルをしていた。

後ろから


「帰るぞよ」  と声をかけると

にっこり笑ってパズルを置いて






「なんじゃ?その声は?」


まるで「森進一」のギャグを飛ばしているようじゃった。


家に帰って来てもよく動くしよく喋る。


元気そうなのはいいのじゃが、

アロマポットがろうそくの光でボヤーと映し出され、

加湿器から出てくる風の音とかすかな水の音のする薄暗い寝室で

わしの両手を取り

いやに楽しそうな顔なのにしゃがれ切った力のない声で





と歌ってから、バタッ! といきなり寝るのは怖すぎるがな。


追伸:歌っている時のすーさんののど○んこはこんな感じだったのか?