legno-Diario-自閉症児は不思議生命体-

~自閉症のすーさん(小学1年生)といい婆さんのなんでもかんでも~

「難病」 と 「障害」 - 5 - ここに幸あれ

2007-07-29 10:52:05 | 婆さん
「退院したいよ、でも・・・やだな」

「早くすーさんに会いたいよ、でも・・まだ」

「爺さん、すまんかったな、でも・・・もっと」


これが、退院当日の婆さんの本音だった。


こんな本音は

「退院できる奴の驕り(おごり)」 に取られても仕方ない。


しかし、

「わしがもう少し入院していたらもっと何かできることがあったかもしれない」


と、いう思いは 相棒であるHaruさんがかんたん決済してくれた。


Haruさん: 役に立つことができるんだからもっとやっておくれ


Haruさんはそう言って婆さんを「大奥」からツマミ出してくれた。


婆さん: 8月3日に外来予約の時に会いにくるぞよ


しか~~~~~し、


退院の次の日には、退院記念で撮影した写真を持って「大奥」に参上した婆さん。


お笑いコンビのファン倶楽部に強制入会させられた看護師のMiss.モーリーから

「退院証明書と入院明細書をお部屋に忘れている」

と、電話が入り、

腹帯ギッチリ巻いて、すーさんを連れて、爺さんも仲間に入れて(笑)

HaruさんとOkaちゃんに会いに行った。


いや、会いに行ったのではなく、書類を取りに行ったのじゃ。(爆


Haruさんは真面目な顔して爺さんに言った。

「こんな面白い人、はじめてですよ」


・・・どうやらこれは婆さんのことを言っているらしい。


爺さん: そうですねぇ、やっと慣れましたね。


・・・これもどうやら婆さんのことらしい。


入院の後半は、「元気すぎる患者」で騒々しい婆さんであったと思うが、

Haruさんと再会したデイルームが即席お笑い道場になってしまったが、

いつもは完全ポーカーフェイスのHaruさんのご主人が、

Haruさんと婆さんの会話を聞いて、

「アハハ」 と 声を出して短く笑ってくれたことが婆さんには嬉しかった。



【追伸】

Haruさんから再会後にもらったメールに

わしら3人のことを「愉快な家族だね」と書いてあったことが、

退院後、思うように体を動かせない苛立ちを忘れさせてくれたのであった。



【追伸:2】

就学大戦1日目で戦線離脱してしまった婆さんが、

「婆さんが見学する日はいつがいい?」 と聞いてくる爺さんに

「新学期が始まって落ち着いた9月中旬頃にしようかな」 

と答えられるまでに心が先を見るようになったのも、

「運の悪い、偶発的自分」ではなく、

「それでも前を向く必然性のある自分」 と威勢良く言った、

難病と戦うHaruさんOkaちゃんスズランさんとの出会いがあったからであろう。

ありがとう。





この記事は5部作となっております。ご迷惑をおかけいたしますww


「難病」 と 「障害」 - 1 -



「難病」 と 「障害」 - 2 - コンビ


「難病」 と 「障害」 - 3 - 笑いの部屋


難病」 と 「障害」 - 4 - 笑いの力


「難病」 と 「障害」 - 5 - ここに幸あれ




「難病」 と 「障害」 - 4 - 笑いの力

2007-07-29 10:51:08 | 婆さん
Haruさんとお笑いコンビを結成した日に、

デイルームと呼ばれる大型TV、婦人ファッション雑誌、文庫本などが置かれている

談話室のような所に

「おしゃれウィッグ」の広告が目立つ所に置かれていた理由を知った。


Haruさんもスズランさんも肌触りの良さそうなオシャレなデザインの帽子を被っていた。

抗がん剤治療に「脱毛」が付いてくることを・・・わしは忘れていた。

そう言えば、

廊下ですれ違うご婦人方に帽子着用している人が多かったことを

改めて思い出した。

気付くの遅いぜ、婆さん。


「おしゃれウィッグ」の広告を見て

「入院してまでも装うのかよ!」 と 

腹の傷がまだまだガンガン痛い勢いでそんなふうにしか思えなかった。


お恥ずかしい。


すーさんが自閉症という障害を持っていると診断されてから、

「無知は凶器だ」


と、主張してきた。


でも、明らかにその時の婆さんは「無知という名の凶器」であった。


抗がん剤治療で髪の毛が抜ける恐怖と戦っていることは、

すーさんが「新しい場所」に恐怖を感じ、

その恐怖を軽減させるために「絵カード」等と使って1歩でも先に足を進めるようにすることと同じじゃないか。


装いじゃない、

この先を生きるために必要な支援 なんじゃよ。


絵カード作成に時間や労力とお金がかかるのと同じように

「おしゃれウィッグ」注文にも色々な手間と時間がかかる。


髪の毛がない自分で人前に登場するのは

「周りの人に余計な心配をかける」という配慮から

「おしゃれウィッグ」や「おしゃれな帽子」が必要なのだ。



何よりも大事なことは、

今を生きて、

また、先へ進む


ことなんじゃよ。



今よりも1歩先に進むには、

前を向かなければ進めないんじゃよ。


前を向くには、

笑えるエネルギーが必要なんじゃよ。


それも、

笑うべき人は「難病」や「障害」と闘う本人を含む家族親類だけじゃダメなんじゃ。

「難病」や「障害」を知った上で、

全ての人が笑える社会でなければならない。


婆さんの命にかかわらない病気から

宇宙規模な発言を導き出したことを恐縮するが、

ここは、あえて言わせてもらいたい。


「難病」 や 「障害」 を越えて

笑いは宝 だ。


ひねり出せ、 笑いへの道を!!






「難病」 と 「障害」 - 5 -に続く






「難病」 と 「障害」 - 3 - 笑い部屋

2007-07-29 10:50:21 | 婆さん
ピンクカーテンの仕切りがない「四人部屋」は、

病院の廊下を下向き加減で歩く他の患者さんが

「一瞬、顔を上げて覗き込む部屋」 となったことは言うまでもない。


特に、食事時の「家族団らん」にも近い「開け放たれた晩餐」

看護師さんにも驚かれた。


お笑いコンビの餌食は日に日に増えた。


看護師さんのネームプレートの「向こう側の情報」は、

(既婚 か 未婚か?)

(彼氏がいる か いないか?)

(寮に住んでいる か 自宅か?)

(本日の就業シフトは?)


などは、一日に何度も行われる 

検温、血圧測定、脈拍測定排便排尿の数、現在の症状の聞き込みに訪れるたびに

個人データとして増えていった。(笑)


それに、Haruさんと婆さんのデータ収集(お笑い道場)は病室のみではなかった。


大奥を離れ「殿方との交流」が持てる秘密の場所へもお笑いコンビは出没していた。

戦っている病気データはさて置き、

「二人はいつも一緒だね」

「仲 いいね」


と、ニッコリ笑って声をかけられ、その次に「会話」が繋がっていける喜びに

依存症(笑)にも近い快感を持っていった。


婆さんは強く思う。

これは 慰問 じゃない。


生ける者の笑い じゃと。 (大仰ですんませんw)


Haruさんとのお笑い入院生活に至福の感を無意識に持ち始めておった日、

新たに非常にお若い Okaちゃん がお笑い部屋の一員になった。

非常にお若いOkaちゃんは、既にJ大学病院に3ヶ月半の入院経験があり、

再入院であった。

あちゃーー、婆さんよりも先輩じゃないか!


Okaちゃんは至って健全な若者であった。

ピンク主体のキラキララインストーンを散りばめた携帯電話を所持し、

26cmのフライパンのような手鏡をベットの脇に待機させ、

心地よい眠りを得るために沢山の雑誌や本を持ち込み、

スリッパではなくオシャレな「ゴム草履」を履き、

Okaちゃんスペースは「若さ」で彩られていた。


が、が、が、が、


Okaちゃんは 「病名なき入院」 と言う。


病名がわからない??


これも 「難病」 と言えるのではないか。



今回の入院は「消去法から出てきた病名」で、

担当医から告げられた入院期間も超アバウトで、

治療は朝イチの小さな点滴のみで、

注意事項は「甘いものは控えてね」ぐらいで、


・・・なんとも「若さ」をもてあそんで下さい入院。


ピチピチなOkaちゃんには辛すぎる入院生活が安易に想像できる。


だけど、Okaちゃんもやっぱり前向きなんじゃよ。


自分からHaruさんや婆さんなどの年齢から算出された食事のカロリーと同じように

「カロリーダウン」をリクエストしていた。


若いもんはたくさん食べてほしい!!


しかし、「お笑いコンビ風(かぜ)」を察してからなのかどうかはわからんが、

Okaちゃんピンクカーテンを最初から開けていた。


若者よ、ありがとう!


お笑いコンビの人気はうなぎ上りだったが、

Haruさんの食欲は目に見えてなくなっていった。

「完食」が当たり前になっていた婆さんには

Haruさんが食事のトレーをさっさと返却しに行く後姿を見るのが痛かった。


おい Haruさんや、もっと食べておくれよ


病理検査で「悪性なし」の結果をもらった婆さんの退院は明日に決まった。




難病」 と 「障害」 - 4 -に続く



「難病」 と 「障害」 - 2 - コンビ

2007-07-29 10:49:42 | 婆さん
現代の白血病治療には目を見張るものがあるとは聞いていたが、

それでも、現代の医学の下においても白血病は死に至る難病であり、

社会復帰した有名人より惜しまれてこの世を去ってしまった有名人の数の方が多いような気がする。


だから、白血病とは「不治の病」だと思っていた。


しかし、Haruさん「考えたってショウガナイ」と言って元気なのである。

しかも、できることなら個室よりも四人部屋がいい・・とさえ言う。


痛いぞぉ!と大声で叫び、救急車で運ばれ、その日のうちに緊急オペをしてもらえて、

「病(やまい)」 が すぐに 「傷(きず)」となり、

カサブタさえできれば「完治」となる婆さんの病気(卵巣脳腫・茎捻転)、

退院の予定がすぐに医師から聞けるような病気、

日に日に行動範囲が広がっていく婆さんの存在なんて、

Haruさんスズランさんにとっては疎ましいに違いない。


でも、それは婆さんの勝手な

上から物見てる傲慢な思い込みでしかなかった。


「すぐに元気になって退院する人が周りにいてくれる方がいいのよ」

「だって、こっちも元気になるじゃない」


と Haruさんは当たり前のように言う。


そして、自然の流れで我が娘すーさんが自閉症という障害があることを話すと

「婆さんは娘さんのお母さんであることが生きる意味なんだから」

「娘さんは婆さんのところに生まれてくるべきして生まれてきたんだよ」



知り合ったばかりのHaruさんの言葉に

戸惑ったり、

照れたり、

誤魔化したり、

反論する、 ことはできなかった。


「そうなのかな?」


Haruさん:「そうなのよ!」



婆さんは、もっともっとHaruさんを知りたくて

自分のスペースをカッチリ確保していた「ピンクカーテン」を力任せに開け放した。


Haruさん「ピンクカーテン」を開けてくれた。


J大学病院の「大奥」と呼ばれるレディース専用階に


お笑いコンビ

が、誕生した瞬間だった。


腹に大きな傷を持ち、

愛娘の学校見学を1校しかできずに就学大戦から戦線離脱を余儀なくされ「蟻地獄」気分で、

その愛娘が自閉症児で、

母親が入院して「事の次第」が理解できずに不安な生活をさせられていて、

病理検査の結果に「悪性あり」とあったら「再手術が当然」と言い渡されている、

この・・・・いい婆さんと


急性骨髄性白血病で終わりの見えない治療計画を消化していて、

桁違いの治療代、入院代を請求され、

大好きな仕事を休職しなければならず、

故郷、高知から遠路はるばる親類が応援にかけつけてくれることを、

「ごめんね」 と言わずに 「ありがとう」 と喜ぶ、

チャキチャキ話すHaruさんと・・・・


ピンクカーテンを開けたことで


コンビ結成 と相成った。



Haruさんにも、いい婆さんにも別の「援者」、別の「同士」がおるが、

J大学病院内の「大奥」では、他に類を見ない

ボケ と ツッコミ の担当分別なしの

お笑いコンビ

になった。



そして、気が付くと、

あの 品の良いスズランさんも・・・ピンクカーテンを開けてくれていた。






「難病」 と 「障害」 - 3 -に続く








「難病」 と 「障害」 - 1 -

2007-07-29 10:48:46 | 婆さん
2週間ちょっと前、婆さんはJ大学病院の個室にいた。

個室を見渡すと立派なトイレに洗面台、衣類ロッカーに液晶テレビ・・・。

ここ数ヶ月の不調だった体を

「好きなように」「好きなだけ」休ませてあげて下さい。

そんなふうに優しく許された部屋だったのかもしれない。

しかし、一日 19,000円 也



術後、36時間後

「四人部屋が空きましたので移れますよ」 と 言われる。

さすがに、一日 19,000円 也 の個室はツライ。

でも、婆さんにはたくさんの心残りがあった。


「トイレ・・・一度も使ってないし」

「液晶薄型テレビも見てないし」


「病室の窓から下界を見下ろす儚(はかな)い病人役もやってないし」



「医師と看護師さんと爺さん以外の人とは会話してないし」


他の患者さんと会話する婆さんを想像できなかった。

腹は痛いし、

手術の時に口の中から入れられた管によって傷ついた喉が痛いし、

調子に乗れたとしても、乗りすぎて他の患者さんを傷つけるような冗談を言ってしまいそうで、

部屋の移動には憂鬱であった。


「婆さんがいやなら個室のままでもいいんだよ」


爺さんは何度もそう言ってくれるが・・・・。


移動先の四人部屋入り口には婆さんの名前と二人のネームプレートがあった。

しかし、お1人はネームプレートだけは残しつつ外泊されているようだった。

四人部屋に4つの個室

全て完全にピンクのカーテンで仕切られていた。

婆さんも同じようにビッチリとカーテンで自分のエリアを確保して2日間が過ぎた。

外泊から戻られた70歳過ぎの「品の良いご婦人」スズランさん

やっぱり、ビッチリとカーテンを閉めていた。


そのまた次の日、婆さんの隣にハスキーボイスでチャキチャキと話をするHaruさんが入院してきた。

でも・・・しばらくはそのハスキーボイスと本名のネームプレートしか隣人情報は得られなかった。

それだけ、厳重に4つの個室が守られていたのであった。


婆さんが一歩踏み出して同室の人達に声をかけられなかったのは、

点滴、投薬などの治療、採血、採尿などの検査、担当医との会話の内容などが 

明らかに婆さんとは違っていた。

厳重な仕切りであるピンクカーテンには接触を絶つ効力はあっても

気配や声だけは漏れてしまう弱点があった。


婆さん以外の3人の患者さんは「命にかかわる病気」で入院されている。


「命にかかわらない病気」の婆さんから声をかけることはできなかった。


口火を切ってくれたのは、品の良いご婦人、スズランさんだった。

スズランさんは卵巣ガンで5年前に摘出手術をし、

その後もガンの転移によりもう何度も何度も抗がん剤治療を受けているそうだ。

今が何度目の入院なのかは・・・数えないとわからないそうである。



次に、チャキチャキ話す、Haruさん

カーテン越しに漏れ聞こえてくる情報によると

・今回1週間は4人部屋で白血球の数値が下がったら個室へ移り、
 3週間部屋からはでられない治療をする人

・入院した次の日は「体を綺麗にする点滴」をして、その次の日から「本格的な治療」をする人。

・治療することにより、激しい吐き気などを始めとする様々な副作用があらわれる治療をする人。


でも、Haruさんご自身は

「個室に移ったらタヒチアンダンス」をするつもりだと・・断言している人。

「私、注射嫌いじゃないんですよ」 とキッパリ言える人。


Haruさんって、何の病気で入院して何の治療するんだ?

Haruさんの楽しげな発言と担当医師からの「通達」内容の違いに

婆さんは・・・・久しぶりにしなびたハートがブルブルした。



次の日、Haruさんに担当医師が言った。

医師:「この点滴によって角膜異常を起こすかもしれないから目薬を出すからね」

Haruさん:「私、乱視だからワンデーのコンタクトがないんです。その目薬ってコンタクトしていても大丈夫ですか?」

医師:「コンタクトしてても大丈夫かどうか調べてから目薬を持ってくるね」


だけど、目薬がHaruさんの所に届いたがその目薬がコンタクト着用でもOKか?の返事はまだ。


婆さんいつものように 「気になる」。


コンタクト着用でもOKな目薬なのか?(余計なお世話じゃがww)


Haruさんの点滴の点検に来た看護師さんとHaruさんの会話に婆さん割り入った。

当たり前のように、ずっとHaruさんと友達のように。


Haruさんの患っている病名は

「急性骨髄性白血病」 だった。


かの有名な病名をHaruさんは「カッコイイでしょ?」と笑って教えてくれた。


確かに  「カッコいい・・」


このHaruさんという人物は

突然、自分が患ってしまった白血病を

どうやって受容できたのであろうか?


どうしてこんなに前向きに考えられるのであろうか?


もしや、今、Haruさんが受けている点滴には

「最悪」の状況と思えること を 「やるしかないじゃん」 と変化させる成分

混入しているのかもしれない・・・


と、完全おバカな面して点滴に目を凝らして近づく婆さんであった。




「難病」 と 「障害」 - 2 - に続く









爪噛み・指しゃぶりに「バイターストップ 」

2007-07-28 07:46:25 | すーさん
まだまだ梅雨も明けない関東地方。

「衛生!」 に気を配らなければならない季節。

なのにだ、

我が娘 自閉症児すーさんは婆さんの入院の影響もあってか、

「爪を噛む」 行為が 目立ってきた。


それも時々

自分の
桃尻をナデナデしてから・・・


気になる
ゴミを触ってから・・・


爪を噛む!!!


きっちゃねぇーーー




それに、とうとう 
流血 付き 爪噛み に発展してしまった。

当然、流血 & 深爪 してしまった指に絆創膏を貼った。


が・・・・
性懲りもなく


絆創膏なしの残りの指
は自由に口元へ持っていく 。



久々に 




トリャー!!




婆さん、一喝!! 







見たか! 
バンドエイド砲!!



Mr.マリックの
 「ハンドパワー」 状態に指を広げ、


しまいには・・・シクシク泣き出す 我が娘すーさん。


すーさんの爪噛み・指しゃぶりが 「刺激を求めて」 している行動であれ、

自ら、落ち着きを取り戻す手段として用いていたとしても、

すーさんにはツライ状況かもしれないが、

「阻止」 したかったのじゃ。



でも、やっぱり、娘が泣く姿は
鬼ババアとしても心がチクチクする。


しかーーし、鬼ババアにも 0.00001グラム の お情けが。


睡眠障害を持つすーさんが、

入眠する際にどうしても必要な
親指だけはバンドエイド砲攻撃を免除した。



婆さんはやっぱ、
「いい婆さん」 じゃろ?(笑)



でも、バンドエイド砲も長期戦には向かない。


もっとスマートな戦法はないか?


そこで

爪を噛んだりなめたりする癖を、苦味で抑制するためのグッズ。




マヴァラ バイターストップ 10ml

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「苦味」コートが効力あるのかまだわからないが


今朝ほど購入したので試してみたいと存じます。



当然、マヴァラ バイターストップ 10ml のレビューはきちんとしたいと思っております。


その時、すーさんは?

2007-07-23 12:12:40 | すーさん

2007年7月21日土曜日 9日振りに下界に降り立った婆さん。

退院 です。


なんと、下界はあぢぃー(暑い)んじゃ。


そうだよ、”すーさん”迎えにいかないとな。


我が娘、自閉症児すーさんは婆さんの入院中、爺さんの実家で

お健やかにお過ごし・・・・と聞いている。


お昼ごはんも食べずに

ガソリンメーターの燃料切れ警告を見ながら

首都高速を走った。


「シートベルトが腹に食い込むぅ~~~」


妊娠してた時のベルトストッパーよ、come back!


皆様が婆さんの手術&入院に際し

多大なご心配を頂戴したと同時に


「すーさん」はどうしてんだぁ~~??


との至極真っ当なご心配も平行してお持ち下さいました。


じゃ~~~ん、 注目のすーさんは

婆さんの手術後すぐに舅&姑の家に引き取られました。

手術は深夜11:30頃終了でした。

義理姉がすーさんの肩を抱き、

多数のチューブ絞めの婆さんのそばに連れて来てくれ、

おか~さ~ん


と弱々しく声をかけてくれたのことはなんとなく覚えております。


12日(深夜)13日 14日 は爺さんの実家(埼玉)で宿泊、

15日の午後、爺さんが実家にすーさんを引き取りに行き、

15日、16日、17日 爺さんと自宅泊

17日、18日 は ちゃんと保育園に行き、

18日の夕方、再度、舅&姑が引き取りに来てくれ実家へ。

18日 19日 20日 爺さんの実家(埼玉)で宿泊


爺さんとすーさんの二人暮しは2泊3日だったわけです。



15日 16日 の2日間、すーさんが病室に見舞いに来てくれた。

婆さんとの時間を過ごすと言うより、

病室にある飲食物を「食い漁る」時間にしやがったすーさん。


まったく、よく、こんなに喰うもんだ!


ちょっぴり(うそつけ!しこたまだろ?)

母子の感激の対面を期待していた婆さんは、

食い漁る我が娘すーさんをただ見ているだけだった。


しかし、

なんの効力も見出せなかったすーさんの見舞いに思われたが、

その日を堺に、婆さんは病院食を「完食」するようになった。


すーさんみたいに美味そうに食べている姿は、

やっぱり・・・幸せそうだもんな。


そんなふうに・・・わしの体が感じたのであろう。


退院後のすーさんとの対面は、微塵も期待をしていなかった。


爺さんの実家に到着。

爺さんは婆さんを玄関に置き去りにして

さっさとすーさんのいる居間へ直行。


おと~~さ~~~ん


すーさんの声が聞こえた。


姑が気を利かせて

「お母さん来たよ」(この時点では嫁姑の戦慄はない)


婆さん、居間に登場!


お・おか~~さん!!




「そだ、お母さん だよ」


おと~~さ~~ん

おか~~さ~~ん



爺さんと婆さんの間にちょこんと座り、

爺さんと婆さんの顔を何度も交互に見て、


おと~~さ~~ん だよ


おか~~さ~~ん きたね




自閉症児すーさんはソワソワしていた。


自閉症児すーさんは、確かに 最高に喜んでいるようだった。


そんな娘を見て婆さんが言える言葉は、



「ごめん ね」  と

「ありがと ね」 だけだった。




すーさんはすぐに真顔に戻り居間から出たが、

爺さんはもの凄く満足げに



「すーさん なり にすごく嬉しいんだね」


意義なし。


100% の同感である。



でも、

ここに「飲食物」があったらどうであったろう?


父母の姿に集中して喜んだろうか?


まぁ、いっか・・・な?



舅は商いをしているので土日祭日も家にはいない。

姑は「自閉症」という障害のことはよくわかっていない。

わかっていることと言えば、

「すーさんは自分の孫である」ということだけに近い。

そんな姑1人ですーさんとどんな昼間の長い時間を過ごしていたのであろうか?



爺さんがすーさんとコンビニに買い物に行ったので、

姑と二人だけになった。


それとなく、かなりダイレクトに姑に聞いた。



「すーさんとずっと一緒だと面白くなかったでしょ?」


姑:「ふ~~ん・・」(あはっ、率直な返答じゃなww)


姑:「すーさんはおとなしいけど・・・」(おいっ、「けど」の後は言わんでよろし)

嫁(婆さん):「あいつは色々な所には行かないもんね」

姑:「それは助かるんだけど・・・」(おいっ、「けど」の後は言わんでよろし)

嫁(婆さん):「お手伝いもちゃんと指示しないとしないしね」

姑:「お手伝いしてくれたわよ・・・けど・・」(又、けど・・かよ?)

嫁(婆さん):「お手伝いなんて高尚なことをしたんですかい?」

姑:「助かったわよ、だって、何を出してもなんでも食べるんだもん」




嫁(婆さん):「なんでも?」



姑;「なんでも・・よ!」(珍しい、「けど・・」なし じゃないか)


母として「なんでも」の内容を確認しようとしたが、

タイミング良く爺さんとすーさんがコンビニから戻ってきた。


姑は息子である爺さんにも

「なんでも食べる 助かる すーさん」の話をしていた。


そして、

「口にいれればなんでも食べるのよ」

と言い切って席を立った姑。



複雑なイメージが婆さんの傷口の上で旋廻したが、

自閉症児すーさんと沢山の時間を

二人っきりで過ごしてくれた本物のバアチャン(姑)に

心から感謝し、

なんでも食べたすーさんに

改めて


「ごめん ね」  と

「ありがと ね」 と言いたくなった婆さんである。




ピンクカーテンにピンク本

2007-07-18 08:00:21 | 婆さん
婆さん、入院6日目の朝を迎えました。

おはようごさいます。

皆々様の有り難い励ましのお言葉、数々の「何かできることがあれば」のお申し出、

感謝感激、梅雨前立線、泌尿器科。
(入院患者に寛大なお見逃しを)

さて、婆さんがこのピンクカーテンに囲まれている「婦人科」に辿り着くまでに色々な科を経由して参りました。

泌尿器科、外科、消化器内科→
そして、ピンクの婦人科へ。

婆さん、正直言ってピンクに弱いのじゃ。

それも女性専用の階。

ゾクゾクします。

なんてったって「レディース」ですから。

個室から四人部屋に移動すると仕切りがすべてピンクカーテンでございますもんで更に落ち着かない。

でも、もうここまで来たら「ピンク乙女」になりきり呪文!(ハリポタ読みすぎ)

だけど、なんかうちの四人部屋・・・・

婆さんだけ、浮いてる。

ユカちゃん、ヨシミちゃん、明菜ちゃん、(すべて仮名)

高度投薬治療中。

実年齢もたぶん婆さんが

ベスト オブ ヤング。

できれば、

こんな機会も滅多にないので
(ちょくちょくあっては困る)

隣の「若妻ムンムン部屋」に行きたいな。

でも、無理っぼいので

差し入れのピンク本(ぼくちゅう)読んで、笑い殺しの技を研いております。

傷が裂けそう・・

携帯からのアクセスですから各各皆々様に返事が書けません。

親指一本入力、恐ろしく遅いんです。

お許しくだせい。

婆さん、闇夜に斬られる

2007-07-15 15:53:53 | 婆さん
ただいま、婆さん、入院中でございます。
7月12日21:15緊急オペ開始
卵巣一個と卵管を摘出致しました。
その日からやっとすーさんの学校見学が始まったというのに。

誠に悔しい。

この二ヵ月あまり婆さんを苦しめてきた激痛の原因が見つかったのは嬉しいのであるが。

コメントのお返事もしない不義理な婆さんをお許しくだせい。

しばらく、入院患者になりすまします。