9月中旬からすーさんの療育に対しての選択の機会が数多く訪れた。
それは、感覚統合を含む療育もだが「保育」と「療育」の配分に対しても親として選択肢が出て来ていた。
市の発達支援課の課長さんとケースワーカーさんにお会いした。
通園療育施設にも見学に行った。
発達につまずきのある子の保育グループにすーさんを連れて参加させてもらった。
通園療育施設にも保育グループにも婆さんの「すーさん探検隊長」としてくすぐられる部分が多くあった。
絵カードを使った指示、パニックを起こした時の先生の対処など勉強になった。
じゃが、それと同時に吐き出せない迷いも抱え込んでいた。
昨日、発達支援課へ結果として「C」を選択することを告げた。
要するに来年の3月までは「今まで通り」にすることにした。
しかし、婆さんはどっかでまだ迷っていた。
これでよかったのか?
そんな時、ティンカーベルくめくめ。親分の記事を読ませてもらった。
もう、婆さんボロボロのヘロヘロ。
.>乙武さんの本の内容に
「障害者に対する理解・配慮は、どこから生まれてくるくるのだろうか?
僕は、「慣れ」という部分に注目している」とある。
ジヘイ君をからかっていた○君、△さん、◇ちゃんは
小学校低学年時代に新しく入ってきた来た子達だ。
クラスの3分の一程度の子がそういう子達になってきている。
園から一緒に育ってきた子達は、前にも書いたが
自閉症の特徴やジヘイ君のことを感覚でわかってる。
「こんな事が嫌で泣く」とか「こんな事が大好き」とか
「ここではこんな台詞」などなど、一緒に過ごした時間が長い子ほど
ごく自然に扱い方がわかっている。
しかし、そういうタイプの子と接した事のない子供は
どう付き合ったらいいのか、適切な対処の仕方がわからない。
その変わった行動が気になるもんだからからかうのではないだろうか?
その後この子達もジヘイ君に慣れるだろうが
進学などで違う環境になればまた初めから・・
環境を整えるとは地域全体、いや、日本全体、いや地球規模の
意識改革が必要?(話が大き過ぎっ!)
↑ティンカーベルくめくめ。親分の記事より
今回の選択をする時に1本の柱として「友」があった。
すーさんはクラスメートとして関わり遊びなどほとんどしないが、
1歳9ヶ月から通っている今の保育園には立派に
「すーさんはこんな子なんだよ」 と語れる子がたくさんいる。
すーさんとの付き合いはもうそろそろ3年になるわけだし。
すーさんとは違う成長を遂げている子達はすーさんが教室にいることが当たり前で、
すーさんが怖がることがあれば
「すーさんが泣くから今はやらないよ!」 と先生の代弁をしてくれる子もいてくれる。
しかし、今年の春から新しく入ってきたクラスメートにはすーさんは「異質」だったようだ。
異質だから目立つ、目立つから気に入らない・・そんな気持ちからかすーさんを叩いたり、すっ飛ばしたりしている子もいた。
婆さんが病院や療育のため早々に迎えに行くとすーさんの存在に不慣れな子達はわしをにらんでおった。
そんな時、すーさんはちょっと表情を変えただけで逃げるだけだった。
月曜日にはっきりと「保育園 ないの」と言うようになったのも事実だ。
このままでいいのか?
そう思っていた。
しかし、この9~10月にかけて婆さんが知っている以上にクラスメートはすーさんをちゃんと受け入れていること。
すーさんをちゃんと見ていること。をご本人達の言葉で聞くことができた。
そして、春にはすーさんが憎たらしい存在に思っていた子も自然にすーさんの絵カードを持ってトイレに誘導してくれている姿も見ることができた。
更に、すーさんが友達を見るようになったことだ。
リアクションと認められるほどのことはないが、視界に入れて見ることをし出したのだった。
爺さんと婆さんは「友のいる環境をもう少し続ける」ことにした。
友だけではなく、保育園の先生方も友の親御さん達もすーさんの中では「いつもの人達」として受け入れているという大事な環境だからだ。
それでも、婆さんはこの選択を言葉にできなかった。
迷っていたからだ。
くめくめ。親分さんが「ジヘイ君を取り巻く環境」について語ってくれたことで
「今はこれでいい」 ではない。
「今はこれがいい」 と言えることができた。
それは、感覚統合を含む療育もだが「保育」と「療育」の配分に対しても親として選択肢が出て来ていた。
市の発達支援課の課長さんとケースワーカーさんにお会いした。
通園療育施設にも見学に行った。
発達につまずきのある子の保育グループにすーさんを連れて参加させてもらった。
通園療育施設にも保育グループにも婆さんの「すーさん探検隊長」としてくすぐられる部分が多くあった。
絵カードを使った指示、パニックを起こした時の先生の対処など勉強になった。
じゃが、それと同時に吐き出せない迷いも抱え込んでいた。
昨日、発達支援課へ結果として「C」を選択することを告げた。
要するに来年の3月までは「今まで通り」にすることにした。
しかし、婆さんはどっかでまだ迷っていた。
これでよかったのか?
そんな時、ティンカーベルくめくめ。親分の記事を読ませてもらった。
もう、婆さんボロボロのヘロヘロ。
.>乙武さんの本の内容に
「障害者に対する理解・配慮は、どこから生まれてくるくるのだろうか?
僕は、「慣れ」という部分に注目している」とある。
ジヘイ君をからかっていた○君、△さん、◇ちゃんは
小学校低学年時代に新しく入ってきた来た子達だ。
クラスの3分の一程度の子がそういう子達になってきている。
園から一緒に育ってきた子達は、前にも書いたが
自閉症の特徴やジヘイ君のことを感覚でわかってる。
「こんな事が嫌で泣く」とか「こんな事が大好き」とか
「ここではこんな台詞」などなど、一緒に過ごした時間が長い子ほど
ごく自然に扱い方がわかっている。
しかし、そういうタイプの子と接した事のない子供は
どう付き合ったらいいのか、適切な対処の仕方がわからない。
その変わった行動が気になるもんだからからかうのではないだろうか?
その後この子達もジヘイ君に慣れるだろうが
進学などで違う環境になればまた初めから・・
環境を整えるとは地域全体、いや、日本全体、いや地球規模の
意識改革が必要?(話が大き過ぎっ!)
↑ティンカーベルくめくめ。親分の記事より
今回の選択をする時に1本の柱として「友」があった。
すーさんはクラスメートとして関わり遊びなどほとんどしないが、
1歳9ヶ月から通っている今の保育園には立派に
「すーさんはこんな子なんだよ」 と語れる子がたくさんいる。
すーさんとの付き合いはもうそろそろ3年になるわけだし。
すーさんとは違う成長を遂げている子達はすーさんが教室にいることが当たり前で、
すーさんが怖がることがあれば
「すーさんが泣くから今はやらないよ!」 と先生の代弁をしてくれる子もいてくれる。
しかし、今年の春から新しく入ってきたクラスメートにはすーさんは「異質」だったようだ。
異質だから目立つ、目立つから気に入らない・・そんな気持ちからかすーさんを叩いたり、すっ飛ばしたりしている子もいた。
婆さんが病院や療育のため早々に迎えに行くとすーさんの存在に不慣れな子達はわしをにらんでおった。
そんな時、すーさんはちょっと表情を変えただけで逃げるだけだった。
月曜日にはっきりと「保育園 ないの」と言うようになったのも事実だ。
このままでいいのか?
そう思っていた。
しかし、この9~10月にかけて婆さんが知っている以上にクラスメートはすーさんをちゃんと受け入れていること。
すーさんをちゃんと見ていること。をご本人達の言葉で聞くことができた。
そして、春にはすーさんが憎たらしい存在に思っていた子も自然にすーさんの絵カードを持ってトイレに誘導してくれている姿も見ることができた。
更に、すーさんが友達を見るようになったことだ。
リアクションと認められるほどのことはないが、視界に入れて見ることをし出したのだった。
爺さんと婆さんは「友のいる環境をもう少し続ける」ことにした。
友だけではなく、保育園の先生方も友の親御さん達もすーさんの中では「いつもの人達」として受け入れているという大事な環境だからだ。
それでも、婆さんはこの選択を言葉にできなかった。
迷っていたからだ。
くめくめ。親分さんが「ジヘイ君を取り巻く環境」について語ってくれたことで
「今はこれでいい」 ではない。
「今はこれがいい」 と言えることができた。
いい婆さんに教えられた気分です。
ジヘイ君もまた、来年、環境が一掃しそうな状態の今、
すごく宙ぶらりん。
最近はもうどーにでもなれ状態になって
なかばヤケクソ。
どこに進んだとしても一長一短はあるだろうし・・
っていうか・・進めるかも問題なんだけど、汗・・
くめくめ。親分さんへ
何を選んでも、どこへ行くことにしても、
「婆さんはきっと同じように思いますよ。あぁ~あっちを選んでおけばなぁ~(後悔)って。」
そんな風に言われましたわ。
「どうにでもなれ!」って放り出したくなりました。
どこだって同じならどこでもいいんじゃないかよ!
・・・なんてね。
それでも「子供にはどれがいいんじゃ?」ってシュミレーションする日々。
一掃は怖い。
でも、今ならできるか?
そんなことをセコセコ(失礼w)・じんわり考えることがくめくめ。親分さんにはきっとできるとわしは思えるのじゃ。
なんてったって、妖精であり親分さんなんですから。
とは言っても「15の春」を選択するのは大変じゃろうなぁ。