タコことうちの娘「すーさん」は平成18年8月末に田中ビネーという知能検査をした。
その時、すーさんは【5歳4ヶ月】
検査結果は【3歳3ヶ月】
知能は標準発達の約60%程度しかない・・・ということになる。
しかし、おかげさまを持ちましてこの知能検査の結果によって、
爺婆の心が大きく揺れ、苦しみ、もがく・・・などということはありませんでした。
と、ご報告申し上げようかと存じましたが、
そうは問屋が卸さなかった状況となりました。
【検査当日】
● 検査官はいつも療育でお世話になっておりますK先生。
● 検査室はいつも療育をする部屋。
● 検査はきっちり親子(父母)分離で特注の扉の向こうの個室で行われた。
● 検査時間は約45分程度。すーさんは泣いたり席を立ったりしなかった。
【結果についてのK先生のコメント】
● 今回は、事前にきっちり検査方法のマニュアルを熟読し、マニュアルに則って行った。
● すーさんを知ってる人間としては
「問題の出し方」を別の言葉で変えたらきっとすーさんも答えることができただろうに
そう思ってしまう場面がたくさんあった。
● ホッと胸をなでおろしたことは、
「わからない問題」に対しすーさんが最初から諦めずになんとか答えようと
色々と知っている言葉を出してくれたことだった。
その後、詳しく問題の内容とすーさんがどうそれに答えたのか? の話になった。
K先生が「すーさん、とても
とおっしゃった問題がこれです。
赤いチップがいくつあるか?という問題である。
すーさんはすかさずチップを指差しながら数え始めたそうだ。
確かにそうである。
が、しかし、・・・これは田中ビネーにおいては
と、なるのでございます。
K先生は申し訳なさそうにお話を続けます。
答えようとしてチップを声を出して数えるのは良いのです が、
”不正解” となるのです。
このお話を聞いていた爺婆はほとんど同様の反応をした・・・・。
「あっはっ、そうですか、なるほどねぇ~」
婆さんは言葉通りの気持ちであった。
じゃが、爺さんの心の内はどうもそうじゃなかったのだ。
激しく
じゃった。・・・・そうだ。
爺さんとは、物静かな・・・というか、
婆さん的に言わせてもらうと
反応が薄くて物足りない部分が多い人物である。
ではなぜに爺さんはこのことに対し「残念」「無念」と思ったのであろうか?
それは、すーさんに
「数えるべきものを指を添えて声を出して数える」
ことを教えたのは爺さんだったからじゃ。
この検査結果を聞いてから、
爺さんはすーさんに「数を数える」の新バージョンを引っさげて挑んだのであった。
(注:新バージョン=しつこく個数だけ答えるように迫る とも言うwww)
爺さん:「これは何個ありますか?」
すーさん:「いち・にー・さん・しーー・ごっ!!」
爺さん:「これは何個ありますか?!」
すーさん:「いち・にー・さん・しーー・ごっ!!」
爺さん:「だから、これは何個ありますか?」
すーさん:「いち・にー・さん・しーー・ごっ!! ウワーーン」
壊れたレコードがまたまた復活してしまった。
とは言え、そのうちに
爺さん:「これは何個ありますか?」
すーさん:「いち・にー・さん・しーー・ごっ!! ごッです!!」
ちゃんと最後に数えて出た個数を答えられるようになった。
が、その成果と引き換えに
婆さん:「おうちに帰ったら何するの?」
すーさん:「おべんきょう」
婆さん:「そうだね、トイレに行ってうがいと手を洗ってからおべんきょうじゃ」
すーさん:「4番 おべんきょう」
婆さん:「あれ?1番トイレ・2番うがい、手を洗う・3番がおべんきょうじゃろ?」
すーさん:「3番 任天堂DS!!」
婆さん:「じゃ、おべんきょうが4番なの?」
すーさん:「おべんきょう・・・・・・しないの?」
やっぱり、おべんきょうが嫌になってしまったようだ(爆
とは言え、完全拒否ではないので帰宅後の家庭内療育もどきは地味に続いていた。
前回の療育で発達センターのK先生は少しずつ「きっちり答えられるための課題」を出してくれた。
ここですーさんはすぐさま躓いた。
すーさん:「5歳です!」
(あちゃー)
なぜ躓いたかというと
問題が「いくつ?」と尋ねられたからである。
爺さんの出題は「何個?」
だったシーーーーーーーーーーーーーーぃ。
現場にいる爺婆&K先生がすーさんの答えに対する反応に戸惑っていると
案の定、にわかに顔色が変わるすーさん。
K先生:「すーさん、もう一度これ見てね」
K先生の優しい声色に誘われすーさんが動いた。
何をする気じゃ?
なんじゃとぉ~~~???
またまたまた、反応に困る大人3人(爺婆&K先生)。
気を取り直したK先生がもう一度出題する。
すーさんがまた動いた。
思わず
婆さん:「あってるんだけどね、だけどさ~~、指で数えてもいいんだよ」
さすがにこの答えに対しなんて言ってやれば良いのか困ってしまった婆さん。
しかし、類似問題は続いた。
爺さん:「フフフフフフフフフフフフッ」(超小声)
婆さん:「なに?!」(爺さんに向かって)
婆さん:「何がそんなに可笑しいじゃ? えっ!!?」
(かなりイライラしておる→婆さん)
婆さん:「あぁ~そうだね」(素っ気無い返事)
類似問題が出題されるたびにハンカチ王子ならぬ
ミニタオル爺さんは笑いと鼻水を仰山タオルにしみ込ませていた。
(そんなにおかしいことか!!@怒り婆さん)
婆さんは、その場で爺さんの笑いの理由をちゃんと把握していなかった。
よくよく考えると非常におかしい。
笑える。
笑ってしまう。
すーさんとK先生と婆さんは至って真面目に課題と向き合っている。
しかし、すーさんはわざわざ引き算をして無理やり答えを出している。
不正解
間違い
には違いないし、
根本的にすーさんが問題の意味をわかっていないと判断されるのは当然じゃ。
数を答えることができない奴が、
引き算はおろか足し算だってわかってない奴が、
このような答え方をするのが
ただただ、おかしいのである。
【追伸】
その日以来、すーさんにとって
「怖い顔するお勉強爺さん」が嫌だった から
「時々笑うお勉強爺さん」 になり
お勉強は帰宅後3番にやるべきことに復活した。
【追伸2】
概ね、知能検査などで「数を問う」場合は
「何個?」 ではなく
「いくつ?」 という問題だそうである。
『いくつ?』 で5歳と答えたすーさん可愛いなぁ~
うちは 『何歳ですか?』 と言われなければ答えられない・・未だに。
それはええんじゃが、
検査に使われる共通の 『いくつ?』 には落とし穴よなぁ~!
と、いつも痛感させられるんだけども、
いつのまにか答えられる息子です。
いつ覚えたんだろか?
引き算ナイス!だけど、違うもんなぁ(爆)
ちょっと面白かったでげすよ~!
お勉強が面白楽しくなったのは、爺さんだな?(笑)
引き込まれたかのようにお勉強してるすーさんを想像出来るわぁ
あとね、おはじきなどで2つ以上を置いて、
パッと『2つ!』『3つ!』 と即答できるように、
右脳を働かせて数を数えて答えるやり方もありまする。
それだと慣れれば7つでも8つでもすぐに分かるようになるよん。
そうそう!
今日は学校で、息子っちは初めて親学級で1時限皆と過ごせたよぉぉぉ!
一緒に本読みを聞いたり、さんすうのプリントをしたんだって!
お掃除の時間も、掃除機かけたんだってぇぇ!
うるるるるる
思った。言い方って人によって違うから
それに合わすのはすーさんたちは難しいよね。
これを答えるときはこの言い方ってのが
形にはまらないと答えにくいのが
今の現状。
これにバラエティを加えて、トッピングして
意味の数が増えていくんだろうね。
数の意味は理解できてるんだけど、
いや~難しい。
でも、すーさんは
回数こなしたら理解できそうだね。
爺さんがんばれ!
>るるんさん
息子さん、クラスのお友達を
安心できる仲間と認識してきましたね。
できることが増えると自信にも繋がりますね。
その場で見たかったでしょうね
Oh!息子君!!
親学級に潜入して”授業”が受けられたんだぁ!!
すごいじゃないかい!!
親学級の扉を少し軽くできたんじゃな。
少しずつでいい、毎日じゃなくてもいいから
集団でいる時間が少しでも多く持てるようになるといいね。
うれしいいねぇ~、まったく。
>あとね、おはじきなどで2つ以上を置いて、
>パッと『2つ!』『3つ!』 と即答できるように、
>右脳を働かせて数を数えて答えるやり方もありまする。
いやね、↑の方法で「数」ではなく「分別」をやってみたんじゃよ。
そしたら苦手な分別がすごいスピードでできるようになった。
スピードに乗った所で「反対言葉」を初投入してみた。
そうしたら・・すごい覚えが早いんじゃよ。
それも「考える気」になってるのがよくわかる。
今日の婆さん塾で「早回し数当て」をやってみるぞよ!
>お勉強が面白楽しくなったのは、爺さんだな?(笑)
そうだと思うぞよ。
爺さんはセオリー通りにまずやってみるタイプ。
婆さんはとにかくすーさんから笑いを取ってから進めるタイプ。
しかし、奴らはセオリー通りには進まない障害があるのだと
このことでわかったようじゃ。
だから、最近爺さんは療育中によく「笑ってる」よ。
>これにバラエティを加えて、トッピングして
>意味の数が増えていくんだろうね。
ひろりんさんや、すこぶる”good!”な表現をなさるなぁ。
そうなんじゃよ、決まった質問形式(同一言葉を使用)でしか
答えることのできない障害ではあるのじゃが、
世の中は常に同じじゃない。
だから、↑ひろりんさんの表現にもあったように
1つ1つ理解できる・答えられる種類を増やしてあげたいよのう。
わしなつくづく思うのじゃよ。
すずちさんやすーさんが”答えられること”を
1つでも多く経験することが今の二人みたいな子には
最高の療育なんじゃないかと。
知能検査から学んだことは”正解への厳しさ”ではなく
どうやったら奴らがニコニコで答えられる問題を増やせるか?
ってことじゃった。
これを甘やかしていると言われようが・・・。
沢山、親も子も笑いたいもんなぁ~?!
すーさん、田中ビネーを単独で受けたのね。
すごいじゃん。
うちの息子は母子分離できなかった。。。。
今回は口は出さなかったけど、
絶対、分離して検査したら出せなかった今回の数値。
ま、いっか。
この言い回しの違いで答えられない事って、
沢山あるよね。
同類語の語彙を増やしてあげなくてはなぁ~と常々思ってた。
でも、知能的には、言い回しを変えて答えられるんだったら、それはそれで、OKだと思うんだけどなぁ。。。厳しいね。
家庭療育を毎日施すのは大変だから、
気分が乗ってるときにしか今はしてないよ。
とほほ。
毎日机に向かうのが習慣になればいいんだけどね。
気まぐれ次男は、毎日が続いた後は、
全くやらないのが続く・・・。_| ̄|○
>絶対、分離して検査したら出せなかった今回の数値。
そんなこたーないと思うよ。
一応、口を出さない、目配せしない(笑)で
「壁になった母さん」状態だったんじゃろ?
壁母さんがいたことで不安は少なかったろうが
「できた」には違いない。
爺婆がすーさんのそばにいても結果は同じだったと思うし。
>同類語の語彙を増やしてあげなくてはなぁ~と常々思ってた。
いやーわしもじゃよ。
やらんといかんと思っておったのじゃが、
同一質問でありながら違う言い回しのバリエーションを
考えていたらこっちの頭の中がグチャグチャになった(笑)
>毎日が続いた後は、全くやらないのが続く・・・。
我が家だって平日の病院や療育がない日しかやってないし、
保育園でイベントがあったりした日はなし!
それに爺婆が疲労困憊時にはあっさりやめる(笑)
すーさんだって同じような内容だとすぐ飽きるし
かと言って「毎日違う内容」なんて無理!
毎日やったからって身につくってもんじゃないしさ。
次男君には「簡単すぎる内容」なのかもしれんぞよ。
いつもお世話になっております~(笑)
「いち、にい、さん、しい、ご~~!」
なるほど~~×か~~~
母子同室で受けた時の記憶がよみがえってきました!
(あの時のあの答えは、×だったんだ。。。)
で、気付いた事。
現在小学一年生の息子。
プリントテストで、「答え」の欄になかなか答えを書かない。
どうして、〇+△=☆だけじゃなくて、わざわざ答えの欄が四角く囲ってあるのか、不思議だったんだけど。。。(不思議と思ってる方がおかしいかな?)
答えを、ハッキリさせるために、
「答えは☆個である~~~~!」
と、示すためにあるのね。。。。
計算式や、数字だけでは、あいまいだもんね。。。
(だったら、問題も曖昧さをなくして欲しいんだけど・・・)
答えは、一つってわけなのね。。。
できたら、問題に
「いくつありますか?」
じゃなくて、
「何個ありますか?」とか、
「何人いますか?」とか、
「何本ありますか?」
と、してほしいな~~~~だったら、答えられそう。。。
自閉君たちの頭、問題の内容でまず悩み、問題自体で悩み、答えを示す事で悩む。。。
疲れるはずだわ。。。。
婆さんのフラッシュ(ひかく)後ろ向きで右、左って示してくれてるでしょ?
あれ、すご~~~~く助かりました~~~
(目からウロコ~~~~!)
お勉強も、そういうちょっとした所だと思うんだけど・・・
難しいね。。。
初めてで、長々失礼しました~~~~~
ようおいで下さいました。
お返事すごく遅くなってしまいすまんこってす。
やっぱり、はるぼんさんは「目」の付け所が違うのう。
(感動中)
息子殿が答えを書き込む□(四角)に欄に
「答え」を書き込むことに違和感があること、
物凄く婆さんには理解できる。
計算問題の全てが答えを書く所に□(四角)で
囲まれているわけじゃない。
それに視覚優位の子にとっちゃ、
□(四角)はただの「四角」という図形であって、
その中に答えを書くべきものだということを
想像できないのではないかのう。
「問題」と「答え」をしっかり分別しているつもり(出題側)でも、
「問題はここまで」と「答えはここに!」が伝わっていないのじゃ。
計算の問題の場合(インスタントで今婆さんが考えた(笑)
2 + 3 = □
---------- ---
ここ問題! ここに答えを書く
2 + 3 = →□のないノッペリ問題
---------- --------
ここ問題! ここに答えを書こう!
と、線を引いてあげたらどうじゃろうか?
□に答えを書くのもあるし、
ただ計算式 = の次に答えをかく場合もある。
じゃが、正解は「5!」なのであることを
同じ問題(2 + 3 = )で見せて答えて頂いたら
どうであろうか? と 思った。
うしろ向きで「左右」を示したのは
「自分がどこにいるのか?」「自分から見た右左」ってのを
はっきりさせたかったからなのじゃ。
だってね、婆さんが「左右の理解」にこだわりがあったせいか
スムーズに理解できなかった記憶が残っているからなのじゃ。
本人はどこにいて、何を見ているべきものなのかを
なるべく「第一」に考えていきたいと思っておりまする。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。