白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

human nature

2006-07-02 | こころについて、思うこと
世の中には、孫をひざに抱き、預金通帳を見せ、

「さあ、○○ちゃん、ここ見てごらん。
 そうそう、そこそこ。
 さあ、0の数が、いくつあるか、数えてみようかぁ。
 いーち、にー、さーん、しー、ごー、ろーく、しーち、
 はーち、・・・ほーら、8つもあったねぇ、うひひひひ。
 億っていうんだよ、これねえ、いひひひひ。」

と笑う爺がいるそうであるが、
これぞ人間であり、小市民であり、愛らしいことこの上ない。
この業の深さに、果たして僕はいつ至れるのであろうか。





早く人間になりたいものである。
それにはまず、結婚をし、子供を生み、子を育て、課長となり、
というふうに、自分の身体を「社会人養成ギプス」でも用いて
矯正せねばならないのだろうが、
結婚をした時点でおそらく右腕を骨折し、子供を生む時点で
左股関節を脱臼、子を育てつつ肋骨が砕け散り、課長になる頃には
全身の骨格がぐしゃぐしゃになって僕の身体はハンバーグのように
ぐちゃぐちゃになっているであろうと予測されるので
どうしようかと考えるところである。






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この2日ほど、心身の疲労から寝たきりの状態で、
それでいて酒だけは買出しに行き、
鰻の蒲焼とギネスビールの絶妙な取り合わせに唸り、
焼酎を呷り、夜半にトカイワインを飲む、という
廃人同様の休日を過ごしていたのだが、
日曜午前の雷雨に伴う蒸し暑さと湿気が
僕の伸ばしっぱなしのザンパラ髪をもずくのように
してしまい、鬱陶しいことこの上なくなったので
散髪に出かけることにした。





そもそも人に身体を触られることがあまり好きではない
性質であるから、
鋭利な刃物を持った赤の他人に頭部を触らせるなど
常人の沙汰にあらず、というほどの床屋嫌いである。
だが、髪という物は人間のいうことを聞かずに伸びる。
僕の場合はそれに天然パーマが加わって、
雨天のときなど、鏡を見れば頭髪はメデューサのごとき
蛇どころか、まさに陰毛のような相を呈して、
恥ずかしいことこの上ない。




陰毛を頭脳の外皮にまとうほど陰惨で恥じ入るべきことは無い。
そこで、しぶしぶ、陰毛を頭髪に戻すべく、散髪に出かけたのである。




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町田康に言わせれば、散髪屋に行かぬことは人民大衆への裏切りで
あり、罪深いことであるそうで、
それをしなかったがために、町田は怠学怠業、飲酒喫煙かっぱらい、
挙句の果てにパンク歌手、という因果に報われ、
とうとう髪が伸びて鬱陶しいときは、がらりと窓を開け、窓の外に
首を出し、自ら紙バサミで持ってちょきちょきちょき、ものの5分で
散髪を終えるという、けだもの同然の散髪をして済ます、という
身の毛もよだつような餓鬼道地獄に落ちてしまったそうだが、




この僕とて、散髪屋に行くのが嫌で、髪が伸びて鬱陶しいと思ったときは
床に新聞紙を広げ、前に鏡を置いて紙バサミでちょきちょきちょき、
あとは適当に「勘」で後頭部に手をまわしてちょきちょきちょき、という
外道の散髪をしていた身であるから、彼のことを笑えず、
勝手にソウルメイト、として、彼の小説を読みながら酒を飲み暴れて
眠る、という生活をしていたのである。




しかし、一応は公職として国民の血税を以って生活をしている身、
このような餓鬼道地獄にあっては国民に顔向けできぬ、
今は亡き橋本龍太郎など、頭髪調製がエスカレートして
ポマードを顔に塗りたくってぎらぎらしていたではないか、
というわけで、
散髪屋に出かけ、髪を整えにかかったのである。




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地元、幼少より面倒を見てくれた散髪屋に7年ぶりに行くと、
「久しぶり」という主人の声。
親子2代の散髪屋は繁盛している。
親父はすっかり年を取ったが、僕の近況について、

「結婚したんか?・・・そうか、これからか。
 そうそう、ぼちぼちでええ。急がずにな、ゆっくりな」

などと、笠智衆のような口ぶりで人情味溢れる台詞をぽつぽつ
しゃべりながら、僕の顔面に剃刀を這わせている。
親父の手が狂うか、もしくは親父自身が狂えば
僕の顔面は長谷川一夫よろしく切り裂かれるのだが、
親父は幸いにして狂わず、僕の顔はスチームやクリームによる
手厚いケアを受け、つるり色白剥き卵となった。




そのうち、息子のほうが話し掛けてきて、
音楽の調子はどう、などと言いながら
僕の頭蓋の外側を鋭利な刃物で一閃し続ける。
これで、息子の手が狂うか、もしくは息子自身が狂えば
僕の脳髄は湯豆腐よろしく突き刺されるのだが、
息子も幸いにして狂わず、僕の髪の癖を覚えている
その職人の手先が、実にうまく「陰毛的頭髪」を
「頭髪的頭髪」へと拵えてくれた。




生まれたばかりの乳飲み子だった散髪屋の息子は
すっかり大きくなっていて、凛々しい顔をしながらも、
以前より確実に巨大化した母に甘えるようにして
奥のほうへと消えていった。




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家に戻り、鏡を見ると、
額や目尻、顎、首筋あたりにしわが出来、
光彩に乏しくなった肌と濁った瞳を認めた。
そのくせ、手だけは、そこらの女の子以上に
きれいなままである。




人間になりつつ、しかしまだ人間になりきれず、
そんなこんなで夜も更け、焼酎を呷りながら
キーを叩いている。





互いの生活や環境がいかに変わろうと、
互いのかけがえの無さは、一言の挨拶によって
簡単によみがえり、引き戻される。
それが一瞬の幻で、会話を重ねていくうちに
互いの齟齬に気づき、あるいは気づかぬフリをして、
また数年の後に、同じように再会する。




止まっていた時計を動かしても、それはもう別の時間。
それに気づかぬことは不幸だけれど、
それを認めることが出来たなら、もう少し、別の関係が
ありえたのかな、と、
ふと、昔の恋人のことを思い返したとき、思った。




散髪して、頭が軽くなったせいだろうな。




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youtubeにてドルフィーを見ていると、
ドルフィー狂いの僕の父親がやってきて、一緒に見入り始めた。
どうやら親父も、youtubeにはまった様子である。




ルービックキューブの構造がどうなっているか聞きにきたと思えば、
デジタル信号の氾濫を可視化すれば、この青空が0と1で埋め尽くされる、
と狂喜乱舞している分裂的父性と、
シューマンの演奏にかけては日本を代表するピアニストを唸らせたという
情緒不安の母性の板ばさみとなる、日曜の午後は平穏に過ぎ、
人間になるべく、明日も労働である。

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