白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

近況記述

2010-03-14 | 日常、思うこと
デンマークの教育制度に関するレポートを読んだ。





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デンマークは北海油田の資源に恵まれてはいるが、
一般的には海運国、農業国として知られている。
この国の、国民一人当たりのGDPは日本の1.6倍、
平均所得は日本の1.6倍に達している。
その代わり、所得税は50%、消費税は25%、
日本であればまず理解を得られない水準である。





それでも、デンマークでは公務員の給与水準が
全産業のなかで最も低く、休暇等の労働待遇も
最も悪いことから、、公務員批判が起こらない。
一般企業に対しては、実に5週間の有給休暇が
義務付けをされているのに対して、
公務員の休暇数はこれをはるかに下回っている。





高い税率にもかかわらず、これらの税の殆どは
社会保障施策の充実のために使われているため、
世界有数の社会福祉国家として、教育国として
知られるほどに、この国の社会福祉は手厚い。
この国の国民の所得格差は、世界で最も小さい。





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デンマークを始め、ドイツなどで営まれているのが
「森の幼稚園」と呼ばれる、独自の幼児教育である。
朝7時に登園したこどもたちは、近くの森に行き、
そのまま一日を過ごす。
雨の日も風の日も、雪の日も、毎日、森に通うのだ。
そして森に到着しても、こどもたちには遊びの器具も、
何の指示も与えられない。
こどもたちは、いわば完全な自由のもとに置かれる。
めいめいが、木の枝や石ころを「遊具」として発見し
高い木に登って遊んでいるようすを、
スタッフは遠目で見守っているだけである。
スタッフが何か手伝いをするというケースは、
こどもの排泄を、森の繁みに誘導し、犬の散歩時のように
回収する程度である。





雨の日、こどもが雨具を着ていなくてもほったらかし、
怪我をしてすりむいてもほったらかし、
やがて迎えに来た親は、こどもに「あなたの責任ね」と
諭して、帰っていく。
自由の獲得と、自己責任の一体性が、保育を貫いている。
また、デンマークの幼稚園では、識字教育が行われない。
その代わり、木工室には、工事や製造現場で使われる
プロ仕様の道具の類が数多く並んでいる。
無論、怪我をしたとしても、そのこどもの責任となる。





現在、コペンハーゲン市では、通勤等の交通手段を
自転車に切り替えようとする動きが進んでおり、
その目標は、通勤人口の実に50%であるという。
道路には、自転車通行専用レーンが作られている。
雨の日も風の日も、吹雪の日も、自転車で通勤する
数多くのひとびとの姿が見られるという。
幼児教育の場において、野性と理性と責任と判断を
身体の髄まで覚えるがゆえに、可能なことだろう。
ちなみに、デンマークにおける、幼児保育産業への
参入基準は、日本と比較すると、極めて甘い。
行政権の多くが基礎自治体に委譲されているなかで、
教育もそれに該当していることも一因のようだ。





ふと、学習院の事件を思い、
自身の受けた幼児・初等教育、中等教育、高等教育を
思い返してみると、
国、ひとびとの本質が最も如実に表れるのは、やはり
教育ではないか、と思い、暗澹、溜息が出た。





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IVAN LINSの公演には、結局、3月9日と10日の両方、
セカンド・セットに行った。
Hさんのご厚意で、コットンクラブのノーチャージ券を
戴けたために、こんな贅沢を味わえた。
転調、分数コード、不協和音、ポリリズムを一拍ごとに
入れ替えるような曲の進行、ヘッドアレンジのレベルに
留まらない複雑な編曲と、インプロヴィゼーションの妙、
そのなかを、高くのびあがっていく美しい旋律と声は、
9日の冷たい灰色の雪よりも、10日の温い星空のほうに
はるかに似合っていた。





感慨無量にして、これ以上の言葉を紡げない。
本当に素晴らしかった音と存在に対する、感謝の念に尽きる。





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仕事先で、エヴァンゲリオンの原画を描いていたという
妻をもつディレクターと会う機会があった。
エヴァンゲリオンの制作の際には、スタッフがごんごん
頭を壁にぶつけながら絵を描いていたために、
壁が凹んでしまったという、狂気に陥っているとしか
思えない話もあったらしい。





このひとからチケットをもらって、勧められるがままに
全くの予備知識も持ち合わせずに、
「涼宮ハルヒの消失」という映画を観にいったのだが、
「うる星やつら ビューティフルドリーマー」を観て
なるほど、これは形而上学批判だ、と感じた経験が
上手く生きていてくれたおかげで、
作品背景を知らずとも、物語の仕組みは理解できた。





正直にいえば、僕はいわゆる「萌え」には縁遠い上に、
過剰なモノローグ、自問自答も、見飽きている。
しかし、結論として言うと、いわゆる「間」の取り方、
静謐感の創出効果、小道具に込められたメタファーや
それを選び取るに至る物語の構成、演出方法などには
極めて映画的かつ誠実な手法が採用されていて、
作画についても、窓ガラスに映りこむ影やその伸縮等、
細部に至るまで配慮された上で丁寧に行われている。
上質の「日本映画」として、良い作品であると思う。





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今後の予定。
月末、長崎。
次月、札幌。







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