白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

主題提示

2010-03-23 | 日常、思うこと
何もすることがない。客人もなければ、予定もない。
腹が減って仕方がないので、鳥雑炊を作るなどしてみる。
鍋に湯を沸かし、中華だしと塩、醤油、オイスターソース、
胡麻油を適量加えて味を調え、細かく切った鶏肉を入れて
火を通した後、パック入りのご飯をレンジアップしてから
解しながら入れ、一煮立ちさせたところで火を止める。
溶き卵を流し入れてひとかき混ぜした後、予め水で戻した
あおさを入れ、胡麻油をひと振りして、出来上がる。





さて、これを食べたはいいが、これで再び、何もすることが
無くなってしまった。仕方がないので、ブルックナーの
交響曲第7番を聴きつつ、漱石の三四郎を再読する。
どうにも、心ばかりならず、一身、等しく痛む。
頭蓋の殻に触れてびりびり震える脳ばかりではないようで、
頁をめくる指先や、文字を追いかける眼の球ふたつ、
黙して語ろうとして閊える舌、部屋に響くチャイコフスキー、
事物を憶えているそれらがすべてひとのかたちになっては
内外を、土足で勝手に出入りする。





そのうちに、ブルックナーが消えてしまったので
フルトヴェングラーのシューマン、ベートーヴェンを聴く。
ぼんやりとして間抜けな青空が消えるまで、と思っていたら
呆けてしまって、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。
ジョージ・マロリーの遺体写真のような寝相をしていて、
肩が露わになっていたせいもあってか、凍ってしまった全身を
ぐしゃぐしゃに叩き割られる夢を二度も続けて見てしまった。
地底から突き上がる雷の轟きが三度目の目覚ましになった。
雨が窓に激しく敲ちかかっているらしい。
風音が逆巻いているのがわかって、頭まで布団をかぶった。





再び目を覚ます。
朝、丸ノ内自由通路に座っているホームレスの着ている服は
この1年間ついに変わらなかった。
また、同じく、朝、八重洲地下街大丸前に立ち尽くしている
小柄の男のスーツも、この1年間ついに変わらなかった。
昨日より部屋が多少汚れた以外に、こちらも変わっていない。
自然保護活動家や、参政権付与主義の配るチラシを一瞥して、
根底に流れるレイシズムが、教化・救済という言葉を使って
固有の文化を「同化」することを目指していることについて
崇高な理想と言って憚らないことへの嘔吐感も変わらない。
その嘔吐感が他ならぬ自分自身に対するものでもあることも
変わらない。





あらゆるものに対して唾を吹きかけることをひととしての
特権だと考えていながら、唾を吹きかけられる対象には
せめてなっていたいと思うゆえに、もがいてみる。
唾さえされないのでは、生きていたって仕方がないと思う、
と、思った瞬間に、それが人を見下している裏返しと知る。
消えてえなあ、と、一日に何度独語しても、実行に移した
試しもないのだから、この不安と躁鬱と発作の病はどうも
抑止装置のようにさえときには思えてくるから不思議だ。
消えてえなあ、とは思えど、消えた先に何も思えない。
神仏や何の姿もそこに思い浮かべられないのなら、黙して
狂った何かの塊に、自分の符牒が付いているはずもない。
ここにいるよりほかにないのだから、ひとまず宿り木する。





そしてこの部屋に寝転んで、昨日より少し雲の増えた空を
ぼんやり眺め過ごしている。バッハが対旋律を編んでいる。
あの雨風を浴びずに済み、一年間同じ場所に立ち尽くして
警備員に首根っこ掴まれて追い出されることもなく、
千鳥ヶ淵ではどうやら桜が咲いたらしい、そんな夕方の
退屈極まりない、誰の声も聞こえない、誰と話もしていない
一日が平穏無事に終わっていく。これは幸福であるだろうか。





球状に放射された道は本当にどこにもないのだろうか。
それでもまた腹が減って、けれどどこに出る気も起きないから、
もう一度今から、鍋に湯を沸かし、中華だしと塩、醤油、
オイスターソース、胡麻油を適量加えて味を調え、
細かく切った鶏肉を入れて火を通した後、パック入りのご飯を
レンジアップしてから解しながら入れ、一煮立ちさせたところで
火を止めて、溶き卵を流し入れてひとかき混ぜした後、
予め水で戻したあおさを入れ、胡麻油をひと振りして、
鳥雑炊が出来上がる。
さて、これを食べたはいいが、これで再び、何もすることが
無くなってしまった。






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