白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

影絵の世界 1

2006-07-09 | 哲学・評論的に、思うこと
『理論があって絵があるのではありません。
あるとすればそれは追随です。
絵があって理論があるのではありません。
あるとすればそれは批評の分野です。
製作を通じての思索と苦しい試行錯誤のなかから
あふれ出たものが、そのひとそれぞれの
「絵のことば」になるのでしょう。





直観的に強い絵ではなく、
漸達的にして追々に光輝を発する絵。
絵を慈母のごとく仰いでその懐中に抱かれんとする者、
美的礼拝者たる鑑賞者、
そのこころを柔らかく包み込み、語りかけること。
自然のなか、現実のなか、そのもののなかに
詩も美もある質実な感激。
これを描き出すにはどうしたらいいか。





物の存在を認めることによって、自分も初めて存在する。
存在によって存在する意識は、自分の他には何物もないけれど、
自分というものがあるうちは、それだけ認識の限度が狭くなり、
真の事物を認識することはできない。
先入主を棄て、自分を虚にしてものの実相に触れる謙虚さを
持つことにより、はじめて真の自分が存在してくる。
虚の世界から出発した自分の上に、初めて充実した存在感を
築くこと・・・これが、永遠の個性を生み出していくのではないかと
思われたのです』
                   (坂本繁二郎)





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明治から昭和にかけ、芸術が芸術であると信じられた時代の、
血なまぐさく、暗澹としていながらも、幸福に満ちた苦悩である。
あの時代には、芸術に殉死できるという幸福が存在していた。
現代、それを我々が享受することは出来ない。したくもない。
そんな暇はないんだ。ぼくは、忙しいのだよ・・・





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坂本繁二郎の芸術製作は、「禅的なる観想」によって心眼を得、
牛歩的に描くことによって進められた。
画家がベルグソンを知らなかったはずは無い。
大正から昭和にかけて、文筆を志すものがシェストフによる
ドストエフスキー論に総じて感化されたように、
ポエジーを追及する芸術家や詩人の多くがベルグソンに感染した。
「直観=インテューション」「観想=テオリア」が
「心眼」の類義語として、語の来歴に対する十分な配慮のないまま、
日本語とその用法が生み出す「独創的な混沌」の中に投げ込まれた。





日本語において、特にその翻訳語の語法において、
弁証的統一、ということはない。
本来の弁証法の意味においては、対置された二項が核融合的に
揚棄されるとき、統一的に生成され高みに登ったものと、
捨象されるものとの別が発生するのが当然なのであろうが、
日本語のような数種の文字による記述法、外来語を外来語として
翻訳をせず、違和感を保持したままに意味体系に保存するような
文化においては、
対置された二項が徹底的に紛争して互いを殲滅しようという状況に
至ることは稀であって、
古来自分たちが育んできた言葉や文化のなかに、対立の名残を
それとなくほのめかしつつ、表面的には習合して並存してしまう
習性が根強く存在する。





上に掲げた坂本繁二郎の言葉は、恐ろしくこのことに自覚が無いまま
述べられているけれども、
自らの芸術の苦悩の末、そうした文言でようやく自らを支えた事実を、
表現を試みるものとして、真摯に認めなければならない。





問題は、別にある。
今もおそらく多くの日本人にとって、坂本の言葉は実によく
日本人としての鑑賞者たる自分自身を、よく納得させてくれるのでは
ないだろうか。
坂本の言葉の冒頭、対置された「どちらでもない」という見解。
そのアンヴィヴァレントな態度は、追随と批評といういたちごっこ
(rat race)をうまく回収することなく、
なんだかよく分らないままに、「絵のことば」なる、それまでよりも
もっと気が遠くなるような深遠なる意味の矛盾へと読者をいざなう。





この巨大な深淵の底から、魅惑的な語感が角笛のように響いてきて、
その正体もわからぬまま、自らそこへ投身してしまうのだ。
一見すれば統一されているようで、実は文法により接着されただけの
この安易なポエジーは、
意味の表層におけるイマージュをより透徹させると同時に、
意味の齟齬が生み出す一層激しいノイズを無理やりに梱包する。




鑑賞者が、能動的な想像力を使えぬほどに生活に疲弊していて
(あるいは観照を怠けていて)
ただ作品の「受容」に徹し、待ちぼうけているだけの状態の現代には、
こうしたポエジーの罠は、どれほどずさんにしつらえられていても、
簡単にわれわれを捕まえてしまう。






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・・・・話を戻そう。
芸術への信仰が、画家の「言葉を見つめる眼(批評眼)」を曇らせた、
ということではない。
例えば、そもそも「直観」の原義に禅的な影響などあるはずもなく、
デカルト以来、「方法」による理性の優位が、神話やポエジーの生命を
奪い去ってきた、とする実存主義者の批判の中から、
論理によらぬ、浪漫性に満ちた事物の認識、物語の復権が試みられる
なかで、鑑賞者にある種の質感として与えられる全能的な営みこそが
「直観」の語に委託された意味であった。





しかし、このような事柄に思いを馳せ、ゆったりと省みる能力が
忙殺されているばかりでなく、個々としても脳の構造を異にしている
現代人が、普遍の詩性に覚醒することなどもはやありえないことを、
われわれはすでによく知っているではないか。
「絵のことば」なる言葉の亀裂に思いを巡らせる想像力は潰えたのか。
亀裂を亀裂として、当たり前のものとしてただ受け取るだけの
鑑賞ならば、作者に対する鑑賞者の真摯なる問いかけなど、もはや
存在することをあきらめなければならない。




いや、もともと、そんなこと自体があったのだろうか?
論争が消費されること、その無力に自覚していても、あえてそれを
試みていた論客たちの大半が、もう、この世にいない。
そのようなことに思いを馳せているあいだにも、時計は廻る。






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