白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

意識の貝殻 2

2006-02-16 | 哲学・評論的に、思うこと
まず、ことばにできるものについてみてみよう。 ヴォルテールは、人間は自分の考えていることを隠すために ことばを使うのだ、と述べた。 それは、ことばの使い手の正体が白日の下にさらされた状態、 いわば、まるはだかの自己の意識を、 ことばによって服を着せることで隠蔽し、 自分を食い破ろうとする外敵の侵入を拒むために ことばが生まれたということを意味する。 ことばこそが「個別な人格」を生むのは疑 . . . 本文を読む

意識の貝殻 3

2006-02-16 | 哲学・評論的に、思うこと
先に述べたように、ブログというメディアは 書き手を透かして見せるのにとても有用なものだが、 日本のブログの殆どは、個人の日記として書かれていて、 書き手が、自分が誰であるか知られていることを前提に 文章を書いている。 実は、日本のブログのアイデンティティはまさに、 「自分のことを読み手が知っている」ことに 委ねられている。 日本において、ブログの目的のほとんどは、 書き手と読者の両方が参 . . . 本文を読む

意識の貝殻 4

2006-02-16 | 哲学・評論的に、思うこと
まとめ。 ブログというメディアにおいては、書き手自身が 自らの意識の働き方をあらかじめ決めている。 そして、書き手自身が常に読み手の視点を保ちながら、 自分の文章の「行間」を、まるで他人のものを読むように 意識出来るようにもなっている。 スタイルシートによって書き手の意識の働き方について 一定の規制をかけると同時に、 書き手の無意識の働きをも表示することが出来るという点で、 ブログの、表 . . . 本文を読む

宇宙の果て 1

2005-11-14 | 哲学・評論的に、思うこと
あたまの体操。 宇宙の果てとは、どこだろう。 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、これら一神教においては 超越的唯一神が世界を創ったのであるから、 すべては神が知っているが、それを人間は知ることは出来ない。 パスカルのいう「神にも原子にもなれぬ中間者」である。 これに対し、インドのリグ・ヴェーダ賛歌によれば、 創造主自身が、どうやって世界を作ったのかわかってないかも しれないらしい。 . . . 本文を読む

宇宙の果て 2

2005-11-14 | 哲学・評論的に、思うこと
脳の中に、松果体という部位がある。 いわゆる第三の眼として語られることの多いものである。 デカルトが「共通感覚=コモン・センス≒常識」として 心身の結節のよりどころとして求めた部位であり、 バタイユをはじめ、数多くの人々に論じられてきた事柄である。 古くアリストテレスは、すべての思考は 感覚を源泉としているということを述べている。 以降、人間の五感の統合としての「共通感覚」こそが、 人間の感性と理 . . . 本文を読む

宇宙の果て 3

2005-11-14 | 哲学・評論的に、思うこと
楳図かずおの漫画に、年老いた母が自分の娘に脳を移植して 生きながらえる、というストーリーがある。 人間は生まれてくるとき、父母の学習した技術や知識を 受け継がずに、「アンインストールされた状態で」誕生する。 いわゆる素地的能力や形質、性向において 類似性を以っては誕生してくるが、 なぜ、父母、祖先の能力を受け継いで、生まれながらに 「超人」として生まれないのかといえば、 もしそうやって生まれてしま . . . 本文を読む