舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

ハリー・ポッター7前夜祭

2007-07-09 23:40:34 | ぼくはこんな本を読んできた
一大センセーションを巻き起こした世界的ベストセラー・ファンタジー『ハリー・ポッター』シリーズの最終巻発売が、いよいよ間近に迫っています。
といっても洋書の話で、日本語訳が出るのは遥か先のことですけれどね。
英語にすこぶる自信がない私は今までの6巻、すべて辛抱強く翻訳の出版を待って読んでいたのですが、最終巻ともなると話は別です。
ついに己の怪しすぎる英語力をも恐れず買ってしまう決意をいたしました。

私のように最終巻を待ちわびている人は世界中にいるとみえ、ある大手ハリポタサイトの記事をまとめた本がこのほど出版されました。
その名も『みんな集まれ!ハリー・ポッター7 前夜祭』です。

これは「マグルネット」というサイトに集う人々が、既刊に書かれた伏線を手がかりに、最後となる7巻の展開や登場人物たちの運命などを事細かに予想したものです。
ハリポタはファンタジー小説の姿をとったミステリー漫画だと私は思うので、伏線から謎を解くのは確かになによりの醍醐味です。
これがコナン・ドイルやアガサ・クリスティのように作家が過去の人となり、著作が全て出そろった段階になれば、どういう結末になるかは自明の理ですから「いかに巧みに伏線が張られたか」が論議の的となるわけですが、ハリポタの場合(少なくともあと10日ほどは)未完の作品であり、ファンが謎解きに躍起になるのは自然の流れといえましょう。

さすがこういうサイトで活動しているメンバーだけあり、執筆者の読み込み方はそうとうなものです。もう、重箱のスミつつきまくり。
「そんな記述あったっけ?言われてみりゃそんな気も...」なんて細か~~い一語一句にもこだわり、確かに論拠のある予想だわ、と納得させてしまうほどです。
もっとも、最終巻が本当に彼らの予想のまんまだったとしたら、原作者ローリングさんはさほどうまい伏線の張り手じゃなかったってことになっちゃうので(ようは種や仕掛けを見破られた手品師ってことですもんね)、ある程度は裏切ってくれることを期待してますが。

とはいえこの本の中でも、ある程度公平を期して複数の意見が掲載されていたりもします。
たとえば前作『謎のプリンス』で命を落とした(とされている)ハリーの最大の味方、D氏の生死については、真っ向から対立する二つの意見を紹介しています。
その上で某法律相談所よろしく『当サイトの判決』を出しているんですけどね。

それでも一貫しているのは、「ハリーは絶対に生き残る」とする立場です。
もう、私が「かえる好きに悪い人はいない」と思い込んでるのと同じくらい頑なな、半分希望にすがっているともいえる信じ方なのです。
(その上で「では誰が死ぬか」についても予想しています。何しろ作者のローリングさん自身が、主要登場人物の死を公言していますから。しかし、ハリーの親友であるロンとハーマイオニーについても、この本は「助かる」という意見を貫いてます)。

そりゃあね。10年見守って応援し続けていた主人公が死ぬ、または大切な親友を失うなんて、あってはならないことだと思いたいですよね。
でも私は(史実である新選組は別としても)魅力的な主人公が亡くなってしまう作品をいくつも知っているし、ローリングさんはそもそも、すごく人気の高い、しかも重要な人物を死なせることに躊躇しない作家です。
私の大好きな『十二国記』の小野不由美さんにもそういうとこがありますが、ローリングさんほど容赦なくはないぞ、ハッキリ言って。

だから、あまりハリーの無事を妄信しすぎない方がいいと思います。
何しろ巻を重ねる毎にどんどこダークサイドに突入してったこの作品のこと。もはや、ソフトなファンタジー愛好家やあまり気丈でない子供にはついていけないところまで来ています。
ペシミスティックで何だけど、ローリングさんがそのダークカラーを極限まで突き詰めたとしても私はまったく驚きません。

ただ気になるのは、物語の流れが(というかハリーの考え方が)世の中や人間を「善」と「悪」の二項対立で捉えようとしていることです。
「不死鳥の騎士団(善)」と「死喰い人(悪)」...そんなわかりやすい対立が世の中にあっていいんでしょうか。裏切りとか寝返り、更生なんてのはあっても、かたや完全なる善、かたや完全なる悪です。
こういう傾向って欧米の作品ではよくあるんですが。「白と黒の間には、限りないグレイゾーンがあるんだよ」ってな文化で育った我々にとっては、まったき善がまったき悪に打ち勝つなんて話、どうもうまく行き過ぎてやしないかって気がしますよね。

だからまあ、もしこの物語がその路線を貫いて勧善懲悪で終わる気なら、悪玉はみんなやっつけられて、ハリーの無事は確定でしょう(まあ、作者がアメリカ人だったらそうしたでしょうね)。
でも、ローリングさんが敢えてこの善悪完全二項対立に一石を投じたいがためにわざと今までこういう書き分けをしてきたんだとしたら、最終巻でこれが一気に覆され、ハリーの生死よりもっと重要な意味を、この作品は持つようになると思います。

この研究書はすごく熟考されていて、原作が出て結果がわかった後でも十分面白く読める本だと思います。
しかし私個人的には、極端な話もはや誰が死んで誰が生き残るかとか、ましてや誰と誰がくっつくか(笑)なんてことにはほとんどこだわりはないのです。
それよりもすべての謎が明らかになり、謎解きとしての楽しみ方がされなくなったあと、どれだけ熟読され研究されるだけの価値を持ち続けられるかどうか。つまり、空前の大ベストセラー小説は本当に古典となりうるのか、『指輪物語』や『ナルニア国』『ゲド戦記』などとどれだけ肩を並べられる不朽の名作たりうるのか、ひたすらそのことに興味があります。

きっと今「いえ、ハリーポッターは不朽の名作です!」と考えている方は多いと思います(もちろん私も含め)。
でも真実がわかるのは今じゃない。10日後の最終巻発売後ですらない。映画化もひととおり終わり、5年10年と経った後でなければ、この作品の本当の価値はわかりません。

『名探偵ホームズ』も『そして誰もいなくなった』も、書かれてからだいぶ経った今でもその面白さは褪せることがありません。
ハリポタがそういう地位を獲得していけるのかどうか、興味深く見守りたいところですね。
おそらくその鍵(の多く)は、ローリングさんが最後をどう締めるかにかかっています。

あるいはクリスティのようなかたちで完全に幕を下ろすことも...いえ、迂闊なことを申し上げるのはやめましょう。

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