「どこまでも ぼくたちは いっしょだよ」
TVで、武田鉄矢さんが被災者を励まそうと、『贈る言葉』を歌っていた。
歌う前に、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の最後のところを紹介しておられました。
ジョバンニという主人公が登場しますよね。そのジョバンニが、友達のカンパルネラに言います。
「どこまでも ぼくたちは いっしょだよ」と。
そして、『贈る言葉』を歌われました。いいですね。
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私は、「どこまでも ぼくたちは いっしょだよ」というのを聞いて、(こ、これは、あ、あれじゃが)と思いました。「マタイによる福音書」の最後のところです。
イエス・キリストが「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいます。」と仰いました。
私は、(そっか。だったら、’純血’とかいうのは、旧約聖書の世界じゃん。クリスチャン、遅れてるぅ)と思いました。
その前に(イエスは)、「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と仰った。
「あなた方と共にいます」というのは、弟子たちと(だけ)共にいる、ということかも知れないが、「あらゆる国の人々」。そうか。「すべての人々」ではないのか。
「あらゆる国の、イエスを信じる人々(だけ)を弟子としなさい」ということなのか。イエスを信じる人々だけは選り分けられている、という事だ。そうか。だからクリスチャンは’純血’なのか。
だから、クリスチャンは’他者’を攻撃するのか。「攻撃しなければ、正しくない」となるのか。
そうなんですか?