地球の危機!

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「太りすぎ」

2011-01-06 18:33:12 | Weblog
「太りすぎ」

『アメリカン・スーパー・ダイエットーー「成人の2/3が太りすぎ!」という超大国の現実』(柳田由紀子著、文芸春秋)

題には、「アメリカの成人の2/3が太りすぎ」と書いてある。2/3ですよ。


私は、これは深刻な事だから、太るに至った経過や対策をあれこれ、色々、書かれているのだろう、と思っていた。が、この本は、事例の紹介が半分以上だった。

原因=食べ過ぎる訳は、

(引用始め)
「みんな(太りすぎの人)の話の中に「孤独、不安、葛藤、ストレス」という言葉が頻繁に出てきた事も、強烈な印象として残っている。」
                          (引用終わり)

続けて
(引用始め)
「孤独や不安について、制限時間を越えても延々、滔々と語り続ける匿名の摂食障害者たち。彼らを見ながら、私は昔々に読んだ『寂しいアメリカ人』(桐島洋子著、文芸春秋)の一節を思い出していた。

「豊かさと貧しさが、幸福と不幸が、成功と没落が、いつもピッタリ背中合わせになった、板子一枚下は地獄といった感じの社会でアメリカ人は生きている。」
                           (引用終わり)

「孤独、不安、葛藤、ストレス」こそ、全ての人が感じていることで、だからこそ、これらの事について、多くの人が知恵を出し合い、お金や時間を費やしてほしいと思う。

然るにアメリカでは、太りすぎの人と向き合ってくれる人が、ほんのごく少数なのだそうだ。

穿ち過ぎかもしれないが、太りすぎの人のことなど、=食欲を自分でセーブできない人のことなど、標準体重の人から見たら、言葉は悪いが、’ゴミ’のように思っているのではないか、と私は勘ぐった。

どうして、できる人が、出来ない人の所に降りていってあげないのだろう?

どうして、「孤独、不安、葛藤、ストレスを、自力で乗り越えるべく努力しなさい」というふうに導くのだろう?

孤独などで食べ過ぎている時にこそ、他者の助けが必要な時なのだ。この時に、「自立」だの、「自己責任」だの言うのは「いじめ」なのだ。どうしてそれが分からないのだろう?

   ↑
 これが私の言いたいことです。我儘ですか?

「正しい人」って、どうしてあんなにも、何でも、完璧に出来て、正しくいられるのだろう?

それは良いとして、「正しくあること」を、他の人にも要求するのだろう?

正しくできない人がいたら、--人間は正しくない存在、弱い存在として作られているのだから、--(どうしてなんだろう?)と、正しくできる人が、代わりに考えてあげるべきでしょう?

それが「お互い様」じゃ、ないのですか?