地球の危機!

私は、「環境goo」のファンです。
私も 地球を(人も)守りたい!

共産主義について

2008-10-03 23:50:49 | Weblog
共産主義について分からなかったので、共産党宛に、こんなメールを送りました。



(前略)
「You Tube」で、「共産主義」について視聴させていただきましたが、よくわかりません。

1、「日本のした、侵略戦争によって…」
2、「日本国憲法を守るべき」

この2つについて、教えてください。

1、について
これは、「日本のした大東亜戦争は、侵略戦争だったんだ」ということが前提になっていると思います
が、この言い方は、まるで、「日本の全責任によって日本は侵略戦争を始め、「侵略」のやり方で戦争
を遂行したのだ」と言っているようなものだと私は思います。

当時は、列強の国々は、帝国主義の嵐の中でしのぎを削っていました。その背景が、全く無視されてい
ると思います。

ロシアなんか、まるで、「他国は分捕るものだ。(分捕られる方が悪い、間抜けなのだ)」、と言わんば
かりじゃないですか。その背景は全く無視して、「日本だけが侵略戦争をしたのだ」と受け取れるかの
ような言い方は、正しくないのではありませんか?

2、
「日本国憲法」は、GHQの作ったものです。映画『日本の青い空』によると、共産党員、鈴木安蔵の
作った「日本国憲法草案」を基に、GHQが「日本国憲法」を作ったそうですよ。(だから、「日本国憲
法」は日本人の作ったものだとか)

私は、日本人が「日本国憲法」を作ったのなら、結果、GHQのものと一字一句違わなくても、従いま
す(一応受け入れます)。

しかし、他国が作ったものに、なぜ従わないといけないのですか?

良いものは、受け入れればよいと思います。しかし、前文の、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信
頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というのは、個人的に見たら「良い人」は大勢
いると思いますが、国と国との関係ということになると、「正義の国」なんて、どこにあるのですか?


動物を見ても、どの動物でも、ほとんど武器を持っているではないですか? 力が強いとか、爪がある
とか、色が変わるとか… 武器がないのは、蛙ぐらいなもんじゃないかと思いますが…

自分(自国)を守るのは、動物としての本能だと思います。それを全く否定するようなことを憲法に載せ
るなんて、正気の沙汰とは思えません。

逆に、憲法9条があるから(こそ)、日本は武器を持たなくて、「アメリカさん、守ってください」と
、アメリカに頼んでいるから、アメリカは(日本を守るためだけではないが)兵器を開発し、日本が有事
の際にはアメリカ兵が戦ってくれる。アメリカ兵が血を流し、戦わない日本人は(のうのうとでもない
が)生きている。こうなると、アメリカは、無理難題でも日本に押し付けてやろうと思わないか(そう思
っても、アメリカが悪いわけじゃない)、という気になってくる。

日本共産党は、「日米安保反対」と言われています。解約は、すぐできるんだと。武器を持たず、日米
安保を解約して、どうやって、日本の国を守るのですか?

強力な武器を持った国が攻めてきたら(中国でも北朝鮮でも)、武器はなくて、どうするんですか? 
話し合いですか?

鉄砲で撃たれたら、終わりじゃないですか!


1、について、「侵略」行為をしたことは、私も認めます。そうだと思います。

しかし、この言い方は、日本人としての誇りが全くもてなくなるような気がする。日本人は、元々、侵
略するのが好きな民族ではない(と思う)。平和を願い、相手の都合も考慮しながら進めて行ったではな
いかと思う。
(伊藤博文は「日韓併合」まで、ギリギリまで待った/当時、中国人や朝鮮人を支援した日本人も少な
からずいたではないか/朝鮮でも台湾でも、日本のお金でインフラ整備をした等)

2、「憲法」のような、その国の「核」となるものを他の国に作ってもらって、それに従うべき、とい
うのは、私はわからないです(反対です)。

「憲法9条」の中身は、「自分を守ることをしない」という、自然界の法則に反していると思う。

個々の政策については、正直、共産党が一番、国民の味方であるような気もする。けれど、肝心要の、
「背骨」がないと思う。全く、わけがわからない。


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対して、こんなに長い、真剣なご返事をいただきました。

そのことに関しては、感謝感激です。


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 メールを受け取りました。
1、について
 「列強の国々」もやっていたという議論は、「いじめ」をとがめられた小学生が、「いじめていたのは僕だけじゃない」と開き直るのと、同じレベルです。悪いことだと思ったら、他人がどうあれ「悪かった」と反省するのが、本当に「誇り」ある態度というものではないでしょうか。
 また、戦争が合法とされていた第1次世界大戦までの戦争と、国際連盟規約や不戦条約などで戦争そのものが違法とされた第1次世界大戦後の戦争とは、区別することが必要です。歴史家で元東大学長、元自民党参議院議員の林健太郎氏は自著で、「一九三〇年代以降日本のとった国家行為は、成立していた限りでの国際法及び国際倫理に反し、日本が自らおこなった約束を破るものであり、それは不正として糾弾されなければならない」(『歴史からの警告』1995年)と述べています。
 「列強の国々は、帝国主義の嵐の中でしのぎを削っていました」という時代認識は、こうした国際社会の変化をとらえていない点で、第1次世界大戦後の「当時」としても、時代錯誤のものです。

2、について
 「GHQ」草案が作られたのは、当時の日本政府が、まともな憲法案を作れなかったからです。日本国民は、さまざまな民主的な憲法案を作っていたことは、「日本の青空」をご覧になったのなら、おわかりでしょう。当時の政府が、そういう国民の意見をふまえて、民主的な憲法案を作っていたらなら、「GHQ」草案は必要なかったのです。ご参考までに、HPから「日本国憲法はアメリカに“押しつけられた憲法”なのですか?」を紹介します。
http://www.jcp.or.jp/kenpou/faq_tuika_1.html
 しかも、「GHQ」草案が、そのまま憲法になったわけではありません。「GHQ」草案をもとに、当時の政府が憲法案を作って国会に提出し、国会の議論をへて修正され、成立したのが今の憲法です。
 たとえば、政府が国会に提出した憲法案には、「主権在民」は明記されていませんでした。日本共産党の論戦を通じて、憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」と明記させたのです。
 また、日本国憲法を変えろという政治的な動きこそ、アメリカの「押しつけ」だということも、ご認識された方がいいと思います。「しんぶん赤旗」記事「改憲へアメリカの圧力とは?」を紹介します。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-01/ftp20070201faq12_01_0.html

 私たちは、日本の平和と安全を考えたとき、不足しているのは「軍事力」ではなく、「外交力」だと考えています。このことは、昨年の憲法記念日に日本共産党の不破哲三社会科学研究所所長がおこなった講演で詳しく論じていますので、ご参考までに該当部分を紹介します。
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(2)軍事優先主義が日本をもっとも外交に弱い国にする
【いまの世界では外交こそが安全保障の主役】
 次に考えたいのは、外交の問題です。
 いまの世界では、国の安全保障にとっていちばん重要なものは、外交です。どの国でも、自分の国のまわりに平和な国際環境をどうやってつくるか、国と国との平和的な関係をどうやって築いてゆくのか、ここに大きな力をそそいでいます。他国と紛争が起きたときにも、まず平和的な方法でそれを解決することに力をつくす、これが当たり前のことになっています。
 日本の南側に東南アジアの地域があります。この地域の国ぐにが、いまから三十一年前の一九七六年、話しあって「東南アジア友好協力条約」を結び、たいへんよい国際関係をつくりあげてきました。条約には、お互いの国内問題には干渉しない、意見の違いや紛争が起きたときには平和的手段で解決する、武力での威嚇や武力の行使はお互いに放棄する、こうしたルールが明記されています。ベトナム戦争の時には、武器をもって戦いあったこともある国ぐにをふくめ、東南アジアを平和の地域にしようということで、この条約を結んだわけで、それ以来、平和への流れがずっとすすんでいます。
 最近には、この平和の流れの仲間入りをしようという声がまわりの国ぐににも広がり、一九八七年には、域外の国の参加も認めるように条約が改定されました。これにもとづいて、二〇〇三年には中国とインド、〇四年には日本、パキスタン、韓国、ロシア、〇五年にはニュージーランド、モンゴル、オーストラリアが加盟し、今年〇七年にはヨーロッパからフランスまでが参加しました。いまでは、世界の人口の半数近い国ぐにがこの条約の仲間入りをしているのではないでしょうか。
 こういう平和的な関係を外交の手段で広げてゆこう、というのが、いまの世界の大きな流れです。
 さきほど述べたように、イラクなどで「力の政策」を前面に押し出したアメリカでも、それだけでは今日の世界に対応できないことを悟り、一方では外交にも力を入れざるをえないでいます。中国への対応でも、国防総省あたりは、「将来の脅威」になる国だといった発言をしきりに繰り返しますが、アメリカ政府の対外活動では、中国とアメリカのあいだに「戦略的な利害の共通性」があることを大いに強調し、米中関係を発展させる仕事に綿密な戦略をたてて取り組んでいます。北朝鮮の核・ミサイル問題でも、平和的解決の条件が見えてきたら、それを実らすためになかなかの手だてを講じて外交作戦を展開します。
【なぜ日本は外交に弱いのか】
 そのなかで、日本はいま、外交の弱さが特別に目立つ特異な国になっています。
 東京で活動している各国の外交官と交流しますと、あいさつの言葉というわけではないのですが、「日本には外交戦略はないね」という感想をたえず聞かされます。いろいろな国の外交官が、さまざまな機会に同じことを痛感するようなのです。日本は、アメリカやヨーロッパの資本主義諸大国との関係は別として、世界のほかの地域にたいしては、なんの戦略方針ももっていないようだ、というのです。
 その原因はどこにあるのか。一つは、「アメリカの窓」からすべてを見る対米従属外交で、自主的な外交戦略をもたないで来ている、という問題があるでしょう。それにくわえて最近とくに強く感じるのは、何かことが起こるとすぐ軍事的対応を考えるという傾向が根強くあることです。憲法では、武力による威嚇を禁じている国なのに、紛争が起こると実力での対応を優先させる――日本も加盟した東南アジアの友好協力条約とはまったく逆の対応です。
 北朝鮮問題でも、このことを痛感させられました。政府はよく「対話と圧力」と言います。ミサイル発射にたいして国連が実施した経済制裁は、ある意味では、「対話と圧力」路線にたつものでした。しかし、経済制裁をやるなかで、「対話」の条件が出てきたら、どの国も対話を成功させるための真剣な努力をするし、それに対応する戦略・戦術に知恵をつくします。
 ところが、日本は、「対話」の舞台ができても、それに対応する用意がない、対話の戦略・戦術をもたない。このあいだ、北京で北朝鮮と久方ぶりの会談が開かれましたが、日本がこの「対話」の場を活用して道理ある主張を展開したという状況は、まったく聞こえてきませんでした。ほかの国からは、「北朝鮮の核・ミサイル問題といったら、日本こそいちばん脅威を感じる国のはずだ。しかし、日本の外交を見ていると、拉致で圧力をかけるというだけで、核・ミサイル問題の解決への熱意があるのかどうか、さっぱり分からない」、こういう苦い批評まで聞かれる状況があります。
 「対話と圧力」というが、「圧力」をかけて相手が全面降伏するのを待っているというのでは、外交とは言えません。
 いま問題なのは、「圧力」の弱さではなくて、外交力の弱さなのです。私は、日本の安全保障を重視するものは、いまそのことを銘記する必要があると思います。
【世界平和のため、憲法を生かして外交に強い国になろう】
 日本の憲法は、実は、東南アジアで始まったような平和の流れを、世界のなかで先取りしている憲法なのです。東南アジア友好協力条約の大事な点の一つは、さきほど紹介したように、「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」を国家関係のルールとしたところにありましたが、日本の憲法は、この同じ原則を、世界に先立って日本外交の立脚点として宣言しているのですから。
 この憲法を生かす立場に立てば、日本は、世界の平和の流れの先頭に立つ条件を、もっとも強く持っている国なのです。ところが、自民党政治には、この憲法の値打ちが見えないわけで、この原則に立った平和外交を展開することなど、夢にも考えないのです。
 そういう時に、憲法を改定して、軍事のしばりがなくなったら、どうなるでしょう。「圧力」の手段のなかに、今度は「武力」まで入ってくるわけですから、軍事対応優先の傾向がもっともっと激しくなるだろうことは、目に見えています。しかし、憲法を改定した政権がいくら軍事の「圧力」をふりまわしてみても、いまの世界は戦前の世界とは根本的に違っています。目先の成功にせよ、そんなことで成果が得られるような世界ではないのです。憲法の歯止めを失った軍事優先主義は、日本の外交的ゆきづまりをいよいよ深刻にするだけでしょう。
 私は、いま日本がぶつかっている最大の矛盾は、世界でいちばん進んだ平和の憲法を持っている日本が、世界でもっともおくれた軍事優先の政治に落ち込んでいるところにあると思います。ここに、打開すべき深刻な矛盾があります。憲法を生かして、世界平和のため、外交に強い国になる。私たちは、このことを大きな目標にしようではありませんか。




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   アメリカよ、イラクから手を引け!!

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