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急行特急は行く…

急行特急THが、気のみ気のままに形創るブログ

Mind Feeling0217-2 1枚の白いキャンバスに描く事は

2011年02月17日 23時58分45秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
目の前に白いキャンバス1つ。

「何を描いても良いです。あなたが思ったままに感じたままに好きな様に描いて結構です。すべてをあなたに委ねます」

そんな問題文が小さな付箋に書かれキャンバスに貼ってある。

総てが自由、思ったままに描けるというのはこれ以上無い喜びの筈なのに無責任さを感じてしまう。
総てが描き手次第という自由が無責任だなんておかしかな話。でもそんなもの。うがった見方をすれば、任すだけ任して、私は批評と文句だけは言いますよ、と言う事になる。

私は絵を描くのは大の苦手で、まっさらなキャンバス1枚渡されても、どうして良いか解らない。自由に何でも描いて良いからと言われても。
多分、伝える力が他人より劣るんだろうなと思う。文章だって見ての通りで、解りにくいか支離滅裂かのどちらか。
文字でも絵でも伝えられないのならどうしたら良いものなんだろうか?

何でも自由に描いて良い1枚の白いキャンバスとそこにある自由。喜びの影に潜む無責任さを見つめつつ、自分の無能さが際立ってくる。私には描けないイコール入り込めない世界がある。見えない透明な壁みたいなもの。

自由自在さに不自由さや不満を抱えてしまっては本末転倒。でも、自由は「できる、やれる」からこそあるもの。出来なければ、どんなに自由でもそれは「不自由」でしかない。
1枚の白いキャンバスは、私にとってはその象徴と言える。

Mind Feeling0217-1 Morning on Thursday

2011年02月17日 07時31分30秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
涼風鈴子「はい、はよ~ざいますぅ~涼風鈴子どす~、何時ものどすぅ~。さぁあ゛って今日も急行特急THがキー操作を誤ったが故に、改訂?版のスクリプトになっていますが、相変わらずあの人はあの人なんですねぇ」

アドバイザーイドワイザー「あの人があの人じゃなかったら、なんだとのたまもうので?」

涼風「そんな話は台本に書いてない」

ア・イ「都合が悪くなると、‘‘そんなことは台本には書いてない,,ですか?やっぱりあなたはインチキDJだったんですねって、シーバス32世さんがいってましたよ、3億4千5百6十7秒前に」

涼風「ちょっと業務連絡~(スタッフXYZが出てきて打ち合わせを始める)」

ア・イ「何やら妙な展開になってきました。あっ今、打ち合わせが終わりました。さぁどうなるんでしょうか?ん゛っ?インチキDJがピコポンハンマーを手に取りました。一体何をしよう…わあ゛っ、襲ってまいりました」

涼風「くっだらねー。猿芝居ならベニートワインで十分ですよ」

ア・イ「んなもんないって」

涼風「ノリが悪いですねぇ。素直にあるって言えば良いものを。こう言う時こそ、台本の拡大解釈によりですねぇ…」

ア・イ「眠くなるわインチキDJ」

涼風「はい。今朝は作者のネタ切れと気分が乗らない為に“Morning on”これにて終わります」

Mind Feeling0216-0217 色を重ねて

2011年02月17日 00時11分06秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
緑も黄色も水色も紅も桃色も橙色も白も茶色も黒も藍色も灰色も重ねて、出来上がった物は、沢山の主張の集合。あれもこれもある、けれど、それらの色を重ねて、伝えたい事は何なのか?言いたいが伝えたい事なんて本当は無いんじゃないか?と疑いたくなるもそれらは確かに息をしていてそこにある。
この色が胸の中にあったとしたら、それは「ざわめき」の象徴に成るのだろうか?けれどしかし、それらはただ、ざわつくだけで「形」はない。
色を重ねていく事は言い訳をすることだったり、ただ騒ぎ立てたいだけだったり、あるいは「振り向いて」と言う1つのシグナルとも言えようか?私はここにいるのだから…と言う。