目の前に白いキャンバス1つ。
「何を描いても良いです。あなたが思ったままに感じたままに好きな様に描いて結構です。すべてをあなたに委ねます」
そんな問題文が小さな付箋に書かれキャンバスに貼ってある。
総てが自由、思ったままに描けるというのはこれ以上無い喜びの筈なのに無責任さを感じてしまう。
総てが描き手次第という自由が無責任だなんておかしかな話。でもそんなもの。うがった見方をすれば、任すだけ任して、私は批評と文句だけは言いますよ、と言う事になる。
私は絵を描くのは大の苦手で、まっさらなキャンバス1枚渡されても、どうして良いか解らない。自由に何でも描いて良いからと言われても。
多分、伝える力が他人より劣るんだろうなと思う。文章だって見ての通りで、解りにくいか支離滅裂かのどちらか。
文字でも絵でも伝えられないのならどうしたら良いものなんだろうか?
何でも自由に描いて良い1枚の白いキャンバスとそこにある自由。喜びの影に潜む無責任さを見つめつつ、自分の無能さが際立ってくる。私には描けないイコール入り込めない世界がある。見えない透明な壁みたいなもの。
自由自在さに不自由さや不満を抱えてしまっては本末転倒。でも、自由は「できる、やれる」からこそあるもの。出来なければ、どんなに自由でもそれは「不自由」でしかない。
1枚の白いキャンバスは、私にとってはその象徴と言える。
「何を描いても良いです。あなたが思ったままに感じたままに好きな様に描いて結構です。すべてをあなたに委ねます」
そんな問題文が小さな付箋に書かれキャンバスに貼ってある。
総てが自由、思ったままに描けるというのはこれ以上無い喜びの筈なのに無責任さを感じてしまう。
総てが描き手次第という自由が無責任だなんておかしかな話。でもそんなもの。うがった見方をすれば、任すだけ任して、私は批評と文句だけは言いますよ、と言う事になる。
私は絵を描くのは大の苦手で、まっさらなキャンバス1枚渡されても、どうして良いか解らない。自由に何でも描いて良いからと言われても。
多分、伝える力が他人より劣るんだろうなと思う。文章だって見ての通りで、解りにくいか支離滅裂かのどちらか。
文字でも絵でも伝えられないのならどうしたら良いものなんだろうか?
何でも自由に描いて良い1枚の白いキャンバスとそこにある自由。喜びの影に潜む無責任さを見つめつつ、自分の無能さが際立ってくる。私には描けないイコール入り込めない世界がある。見えない透明な壁みたいなもの。
自由自在さに不自由さや不満を抱えてしまっては本末転倒。でも、自由は「できる、やれる」からこそあるもの。出来なければ、どんなに自由でもそれは「不自由」でしかない。
1枚の白いキャンバスは、私にとってはその象徴と言える。