京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 心やすさ 

2010年09月13日 | こんなところ訪ねて
      

「簾の名残」 日除けに、また目隠しなどにも用いていた簾。まだまだこの残暑に西日の強さ。秋になって侘しさを感じるというよりは、実用が先立っているようだ。

 

今日は初めて西本願寺(浄土真宗本願寺派本山)を訪ねた。東本願寺のすぐ西側。
門前町正面通を西に、突き当たりに建つ総門の向こう側へと、堀川通を未だかつて渡ったことがなかった。御影堂も阿弥陀堂も、和泉から観光バス2台でやってきたらしい人たちであふれかえっており、堂内に座って手を合わせる場所すらない。

 

「今日は畳ふき放題の日でーす」に笑い声が上がった。
真っ白な割烹着に真っ白な雑巾。いっせいに堂内と縁で手が動き出し、その勢いに追い立てられてしまった。
逃げ出した。だからだ。帰り道、すぐ近くに新撰組と海援隊が争った「天満屋騒動」の天満屋跡方向へ曲がるつもりをしていたのに、コロッと忘れてしまった。

東本願寺まで戻って、なぜかほっと一息。こここそ慣れ親しんだ安らげる場所なのかもしれない。
教会で挙式し、先祖代々の墓を守りお経を唱えて葬儀を勤める。暮らしの細部に及んでも神仏は同居し慣習を支配してもいる。日本人のこのあいまいさは、ちょうどいいのだろうか。
寺生まれの甥っ子がミッションスクールに行っていたのだから深く考えなくともよいということか。

神でも仏でもない、何か大きなものを漠然とながら感じて生きる事だってあるわけだ…。



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10 コメント

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何か大きなものを漠然と (yattaro-)
2010-09-14 07:48:32
ようやく簾におヒマを出せそうな“秋”が訪れそうです。
今年は随分、簾が大活躍の夏でした。もう一踏ん張りでしょうか。
胸騒ぐ「天満屋騒動」の跡地を訪ねるのも忘れるほどの賑わいでしたか。
西本願寺、まだお詣りしていません。出来れば一度・・・と思っている京都のスポットの一つではあります。
おひがしさんのお姿も如何ばかりかと。

神様にも仏様にも、祈りを捧げ願かけする日本人の心の歴史は、1300年前も前から存在していたようです。と、田辺聖子さんが言っておられましたよ(笑)
いかばかり、yattaro-さん (kei)
2010-09-14 10:44:24
嬉しいほどに、ひんやりとした涼しさを感じる朝でした。待っていた感覚です。

はじめての西本願寺でしたが、居場所がありませんでした。ちょっとがっかりしてぶらぶらと戻り出したためにか、曲がるのを忘れてしまいました。
「大人の修学旅行」、健脚がものを言いそうですよ。時間のゆとりと。

熊野詣や初瀬信仰などありましたね。
うん?…何ページですか???
無沙汰です。 (マーヤンです。)
2010-09-14 12:15:58
西本願寺はこちらでは「御西「と言い私共、浄土真宗の本山ですので、数回となくお参りさせていただいています。天満屋騒動も関心の的ですが、先週の「龍馬伝」で寺田屋事件をやっていましたね。お龍は風呂から裸のままで、宿泊していた龍馬らに危機を知らせたという。NHKのドラマで期待してましたお龍の裸のシーンは見過ごしてしまいました(笑う)。元気を取り戻して、京都の寺の庭園巡りのコースをもう一回したいと願っております。
西本願寺 (matsu)
2010-09-14 12:44:22
お西さんは実家のご本山です。
これまで、3回お参りしています。
1回目は高校の修学旅行、
2回目は平成8年夫と京都・奈良退職記念旅行、
3回目は平成10年、父の納骨に姉と一緒でした。この時は丁度建て替えのため解体が始まった時でしたが、丁寧に納骨していただき、姉と感謝しあったのを覚えています。ひと昔前の話ですね。

嵐山を歩いたり、祇王寺にまいったり、湯葉づくしのお料理をいただいたり、楽しい観光もしてきました。

夫も京都・奈良が好きで、紅葉のころもう一度
行く約束をしていたものです。

「旅は一生の財産」と言いますけど、いつ思い出しても宝石のように輝いています。

元気なうちに父と母のお参りに是非いってみたいです。

keiさん懐かしいことを思い出させてくださいました。嬉しいです。

「お西」、マーヤンさん (kei)
2010-09-14 17:20:30
初めての西本願寺です。一度行ってみようとは思うことがあっても、行かずじまいできました。
お西さん、広い境内でした。重要文化財という御影堂はさすがに立派ですね。僧侶の集会もあって阿弥陀堂もいっぱいでした。

東では、5年がかりの御影堂の修復が終わり、今度はそのときの素屋根を移動させて、阿弥陀堂が修復中です。慣れ親しんできているせいか安らぎを感じます。

「龍馬伝」は毎週楽しんでいます。
お龍さんの笑顔にはこちらまで幸せな気分にさせられます。
ぜひ再びの庭園めぐりは実現なさって下さい。
健康管理に気をつけていただいて、お楽しみいただけますように!
度は財産、matsuさん (kei)
2010-09-14 17:41:39
なぜか足を向けることなくきてしまいました。
matsuさんから時々うかがう京都の思い出です。今一度歩かれると懐かしさも甦り、一段と深く刻まれることになりそうですね。

学生時代、「奥の細道」の真似事で平泉や山形の立石寺へと一人旅したことがあります。山寺の静けさ、蝉の声は忘れられません。芭蕉の世界の実地体験が財産でしょうか。

立派な御影堂でした。ご両親もお待ちでしょう。
私もそう思います! (ryo)
2010-09-14 20:34:39
「神でも仏でもない、何か大きなものを感じること」
そうなんです!
その偉大なる何かを感じながら
日々、生きることと、全く感じないで生きることでは
生き方も考え方も行動も姿勢も全て
違ってきますね~。

おおいなるもの~その存在は大きいです。
朝夕には秋が感じられます (Rei)
2010-09-14 20:38:25
歴史の中の跡地に、いつでも簡単に行く事ができて羨ましいことです。
おひがしさん、その昔何だか「騒動」がありましたね、
当時まだ祖母がいまして、あれこれ話していたのを思い出しました。
東本願寺のなが~い塀を歩いた記憶があります。
西本願寺とは並んでいるのですか?
大いなるもの…、ryoさん (kei)
2010-09-15 00:18:02
神様(仏さまもなのですが)を信じるか?と言われて、信じると言う感覚がはっきりしないのです。ですが何か守られながら生きていることは思います。
神でも仏でもない、その向こうにある何か、って感じですが…。

ryoさんはキリスト教も仏教もご存知ですね。
そういう体験はプラスに働くのでしょうね。
甥っ子はしばらく道を小さく外れ親を悩ませていましたが、今は輪袈裟をかけて立派になりました。何かに導かれているんでしょうね。

騒動…、Reiさん (kei)
2010-09-15 00:32:19
窓から入る風が冷たく感じます。見事に変わるものですね。
それでも、10月の運動会あたりまでは暑かったのを覚えています。

「内紛」ですね。どこででも己の利や正当性を主張した争いは絶えませんね。

京都駅正面の烏丸通に面して東向きに建つ東本願寺です。
その一本西の、堀川通に面してやはり東向きで建っているのが西本願寺です。
10分ほど歩くでしょうか、位置的には通りをはさみ東西にありますね。
お西の広さ、大きさに驚きました。 

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