京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 段差はスロープで 

2009年09月01日 | 日々の暮らしの中で
そのバスはスロープ付きの低床バスではなかった。乗車口の幅も狭く、高い段差のある旧型のバスだった。

歩いていく前方に、停車中のバスから運転手が出たり入ったりしているのが見える。近づくと、入口の一段目に車椅子が斜めになった状態でとどまっていた。介助しているらしい年配の女性が下で支えている。角度でも悪かったのか、運転手は中と外とを繰り返し、一人で車椅子を引き上げようとしていたのだった。

河原町通り、幾方向もの路線がある停留所が並び、道沿いにバスを待つ人が立っている。
問題のバスの中はと覗けば座っている人たちが見える。この一件が少しでも早く終わるの待っているのだろう。

困っていそうじゃないの、そうは見えないの?助けがほしそうには聞こえないの?耳を傾けてごらんよ、手は伸びないのかなあ…。でもどうして口を開かないのだろう。みんな目も耳も手も口もあるのに。力仕事に自信がないだけか…。

振り返ったら、バスのウインカーが発進の合図を出していた。私にも目も耳も手も口もある。邪魔になるだけ、何の力にもなれない、通りがかったところだったから…。こうして言い訳をし、私も心の目をつぶり耳をふさいでいるのだ。

「おーい。手伝ってくれないか~」と声をかけたら、学生二人が走り寄ってくれたと弟から聞いたことがある。三人で車椅子を抱え、駅の階段を下りたそうな。
心の段差はもっと緩やかにしていこーっと。

空高く青空が広がる日だったけれど…。

                (写真:青いにおいが、いいにおい)
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8 コメント

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手を貸す… (yattaro-)
2009-09-02 08:01:07
keiさんのお気持ちが・心が、行ったり来たりするのがよく分かります。
それでも、すぐに行動に移して手を貸すところまでの勇気に欠ける…。

なんとか言い訳をして「心の目をつぶり耳をふさぐ」これもごく普通の心理ですですね。本気で手を貸す勇気を持ったら、間違いなく周囲の何人かに伝わって、大きな協力が得られるだろうな…って分かっているのに、ついつい手が引っ込んでしまう。

自らをも反省し、心の段差はもっと緩やかにすることを心がけましょう。
Keiさんと同じ思いです (Rei)
2009-09-02 10:55:02
名古屋は低床バスがとても増えました。
運転手さんがベビーカーのおかあさんを援け、決められた位置に固定する情景もよく見かけます。

降りるときも、運転席から離れて最後まで手伝います。乗客もみな優しい眼差しで見守っています。

時に私も手伝いたい気持ちになるのですが、
白髪のおばあさんではかえって迷惑と思い、
顔つきだけニコニコしてみています。

高齢者に席を譲ったときは、運転手さんが「ご協力ありがとうございます」と車内放送しています。

こういうことに出会うと、なんとも嬉しい一日になります。
手を貸す (rabbit125cc)
2009-09-02 11:36:20
きっと、keiさんが手を貸す場面ではなかったのでしょう。でも、そこに目が行くのはやはりkeiさんだから。
そのことをブログで気付かせてくれる事が、次のバスに乗れないでいる人の手助けになると思います。

そういう場面に出くわしたら、私はすぐさま手を貸します^^;きっと、目立ちたがり屋のいいカッコしぃだからでしょう。物はいい様。私のそのお節介で厄介な性格も、一度方向を変えてみれば、世の役に立つ事も^^

カオスの子供達も、私の性格を受け継いでます^^;
実はフッキーの相手は、母子家庭の不登校でした。
私には何も言わずにフッキーの判断で、彼に学校に来るように促していたようです。その優しさが裏目に出たのですが^^;
でも、雨降って地固まる。
また、一歩前進できたように感じています。

車椅子の方も、他に身体の不自由な方も、うちの子供達も、皆が争わず、助け合い、幸せに暮らせる社会を作りたいと思っています。
その方法は・・・「みんなが~♪そう~思えば~♪かんたんな~こと~♪さあ~あああ♪」って、清志郎さんも歌ってました。

私も「そう思う」一人でありたいです^^
心の中ではみんな… (kei)
2009-09-02 17:18:00
唯一できたとすれば、バスの入り口で下から車いすを押さえていた年輩の夫人を手助けすることだったでしょうか。
周辺でたくさんの人が見ていました。通りがかりで、近づいて行って…やはり勇気がなかったのでしょね。

なんとかしてあげたいと、本当はみんな心の中では思い感じているのですよね。
やさしい眼差しで・・、Reiさん (kei)
2009-09-02 17:32:24
jessieをベビーカーに乗せて歩いた頃に、駅の階段やバスの上がり降りには本当に苦労しました。
エレベーターの位置までは相当な距離を歩かなくてはならず、しまいには、ベビーカーを二人で抱えてしまいました。大変さを痛感です。

マナーがいいのですね、運転手さんも。

京都でもよく似ています。
安全のためにと思われてですが、お年寄りが運転中に席を立ちますと、怒ったようにマイクで注意。
ちょっと聞き苦しい状況てなこともたまにあります。
止まる直前にでも立ちますとよくお叱りが。ですから、止まってからゆっくりと降りればいいのです。若い者もです。気は楽ですね。

お互い気をかけあうことで気持ちよく過ごせることってたくさんありますね。
先へ贈る、でした、rabbit125ccさん (kei)
2009-09-02 17:50:11
そうでしょう、rabbit125ccさんならあの場面で運転手さんの大きな助けになったでしょう。そしてすぐさま手を貸してあげられていただろうと思いますよ。

狭い入口で、車いすの脇をすり抜けるスペースもない。一人で中と外を移動するより、どんなに楽にできたかと思います。

「優しさが裏目」に
本当に難しいことです…。
「そう思う」、
そういえば思い出しました。優しを先へ贈るというあの映画のこと、「ペイ フォワード」でしたね。

少年は言っています
「周りの人がどういう状況か、よく見る努力をしなきゃ。守ってあげるために心の声を聞くんだ」って。
そうだ、これですね~

忘れないようにしなきゃ…です。



みんな声掛け合って (ののはな)
2009-09-03 21:55:16
本来ならば若い方が手を貸すべきでしょうね。
先日の選挙の投票所では、傘をさして慣れない車いすを押して、難儀していたら、いろんな方が寄ってきて手伝ってくださいました。うれしいですね。運転所の方も遠慮せずに皆さんに「お手伝いしていただけませんか」って声をかけられるとよかったのにね。案外人って照れ屋なんですよね。声をかけられると出やすくなるのでは...もうわたしたちの年齢が逆に助けられる。はじめて車内で席を譲られたときはびっくりしたけれど、今はああそういう年なんだと自分を見られるようになりました。
声かけで、ののはなさん (kei)
2009-09-03 22:26:49
何かホンの小さなきっかけで、その場の状況がガラッと変わることはありますね。
なんといっても力仕事でした…。

私にできることもたくさんあるでしょう。ためらわず、そっと手を貸せるでしょう。
そうでありたいと思っています。

声かけは、心をかけること、とよくこちらでは耳にします。みんなで声を掛け合って、まずは住みやすい近隣に、と思います

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