京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

キャンバスにイメージを

2023年02月19日 | 展覧会
文章仲間の集いに場所を提供し、中高生は欠席で大人ばかり11名の参加があった。
正面や背後で阿弥陀さまも聞いておられる。義母の言葉を借りれば「ほとけさんはお見通し」で、受験生の辛さも努力も見ていてくださるよ。
喜びの春は待ち遠しいが、この先の人生はまあだまだ長い。

地元紙に掲載された公立高校入試問題から国語の大問「一」と「二」を切り貼りし、拡大コピーされたものが目の前に置かれた。解くのではなく文章を読み合わせようという。
【一】の出典は李禹煥(りうふぁん)「両義の表現」より、とあった。文中から画家であることを知る。

「原始時代は洞窟壁画に見られるように、絵は自然の暗い岸壁に描かれた。そして農耕時代では神殿の壁、時が下ると教会の壁そして宮殿の壁になった。その後産業社会が興り、住居の概念が変わりつつ移動する壁つまり板や布、紙などによるキャンバスが登場し、幾度の変化を経て今日のそれに至っている」

出だしはよかった。空間と絵が一体化して場所性を持っていたのが、フレームに閉じ込められ、現代になってはフレームも外された。
“絵は三次元の物体”。“しかし単なる物体ではない”。・・・こうなると…。
先ぎ頃“異次元”って言葉を耳にしたが、あれはどこへ。
根気を失い、半ば思考停止。で、どう締めくくろうというのかと、こっそり最後の部分へ飛んでいた。
時間制限がある中では文章をじっくり味わう必要などないが、孫娘の日本語力ではチンプンカンプンだろう。

「人は誰しも、有形無形のキャンバスを用意している」。在りよう用いようはさまざまだが、「無形の想像の野から出発して、有形のキャンバスにイメージを表す」…。
原稿用紙を用意して、「書く」という行為もイメージを「一層鮮明に」させ、輝きを広げる。「輝きを広げ」「想像の羽をもつ」、かどうか。
ただ、画家の手順と似たような道を私たちも辿っているのだな。
書くことも〈SHOW and TELL〉ですねと言われたかつての師の言葉がふいに思い浮かんだ。


深く考えることもないままに京都国立美術館で開催中の「甲斐荘楠音(かいのしょうただおと 1894-1978)の全貌」展に行ってみた。

 

彼の作品を〈美醜を併せ吞んだ人間の生〉と表現している言葉に引かれて。
人は誰しも他人には見せない顔を持つ。単にそこから発した興味だった。

 



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2 コメント

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公立高校入試問題 (Rei)
2023-02-21 18:52:12
とてもむつかしいのですね。
李禹煥美術館(直島)もあることにびっくりしました。釜山にもある由、多摩美名誉教授とも。
高校入試問題、李禹煥を知らなければ回答も
難しいように思うのですが?

甲斐荘楠音、少し妖しげな雰囲気の絵のようですね。いろんな展覧会においでになれていいですね。
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李禹煥 Reiさん (kei)
2023-02-21 21:57:07
文章自体に空欄は一か所です。
著者を知らなくても解答は可能です。
時間制限の中でのことですから、受験生も大変だと思います。

旗本退屈男など映画の撮影のために手掛けた衣装がたくさん展示されていました。
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