京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

100人いれば100の舞台が

2024年08月11日 | 催しごと
この暑さにお花も長持ちしないのが悩ましいが、阿弥陀さまへのお花も立て終えたし、お飾り、堂内もきれいに整えた。
心地よい大汗を流して、堂内吹き抜ける風に(ああ、極楽ごくらく)の心境…。 
まさに一事に専念よ。


だから今日は午前中から下鴨神社の糺の森で始まった「古本まつり」に向かった(~16日)。


会期の後半にもなるとあちこちで値下げが始まり、3冊1000円コーナーが3冊500円になったり、3冊500円が1冊100円になったり、最後は袋1杯でいくらとする店まで出てくるとか。
ほとんどが初日に一回ということもあって知らずにいるが、店側には、なるべく本を持ち帰りたくないという事情もあるらしい。文庫本を中心にこうしたコーナーを見歩いた。

「本との出会いは縁なのよ。自分の目で棚を眺めるうちに引っ掛かるものが見つかる。勘を頼りに選ぶ数百円の本に一万円の物語が詰まっていたら得した気になるでしょう」
少し古い文庫本を好んで、たまに買いだめして帰る母親に、「今度、神田で買い集めて送ってやるよ」と言ったクニオへ、一言(『クニオ・バンブルーセン』乙川優三郎)。

編集者として働く休日に母を訪ね、母の手料理を食べながら母と子の会話は戦争から文学へと移って ー。
「私ならこうする、という反発的な読み方はつまらないわねえ。ああ、こんな人もいるのかと他者の世界を愉しめたら、実生活の役にも立つし」
クニオにとって小説はすべて人生読本だったから、母親のこうした本の読み方にも教えられた。

以前『生きる』を読み、今回『露の玉垣』を読み終えて、8月に入ってから2店舗のブックオフで時代物ばかりを買い集めた。
乙川作品は現代ものから入ったが、絶望や虚無の底にも生の意味が潜み、明るさを見いだせる作品のとりこになって…。

 

小説は人に同じ解答を与えはしない。
〈文学は、真実は個々の内部にあり、誰にとっても同じである必要はないし、そこに意味がある。文学は個々のものだ〉
100人いれば100の舞台が生まれる、と永田和宏氏が書かれていた。

「憧れから始まる人生に無駄なことはない」とクニオさん。
楽しい毎日は自分で作らなくっちゃ。


水やりに顔を出したのは茶ガマかな?茶子かな? 
見分けはつかないけれど、見慣れてかわいいものです。

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