京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

隠し味

2016年08月02日 | 日々の暮らしの中で

「人生の滋味は隠し味である」と松原泰道さん。そして、仏法は「障子の引き手、峰の松、火打ち袋、うぐいすの声」と続く。
なくても暮らせないことはない。しかし、あれば便利で、日々の暮らしも、心も潤う。かみしめて知る、深い味わい…。

ふと思った、孫の存在。孫との暮らし。
遠く離れていれば年に一回会う機会があるかどうかで、そのように考えて生活してきた。会わない期間も、それなりの楽しみ方を考えるし双方で心遣いをしながらやってきている。近ければああもこうもと夢は膨らむんだが、それ止まり。でも、それはそれでよかった。
この10日あまり孫たちとの暮らしが続いた。地域の納涼祭や友人たちとの花火など楽しんで、昨日ようやく大阪にある彼らの家に戻っていった。寝具を干して大洗濯をして掃除を済ませ、静けさも戻った。

好きなように時間が使える。喧嘩でやり合う声がなくてせいせいする。台所仕事も増える。減った体重は戻るだろう。けど、あのおしゃべりも笑い声も歌声もない。ひたすら静寂に包まれた我が家に戻ったのだ。同居でないだけに、彼らの姿が見えなくなっていっそうあれこれと感じる孫の存在。
一緒に過ごしていた時間を「おかげで幸せだったよ、楽かったよ」なあんて言葉で振り返る日が来るんだろうかな、と思う。

厳しい暑さを忘れるほど、ふわりと白い芙蓉の花に目も覚める心地がする。が、あいにく夕しぼみの感あり。5枚の花弁をうちに巻き込んで短い命の一日花。

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2 コメント

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お孫さん (ryo)
2016-08-04 16:05:12
こんにちは!
お孫さんと家が近くなり、一緒に過ごされることも
多くなられて良いこともあり、また帰ってしまわれれば、寂しくもありますね。
ある意味、お孫さんの存在は隠し味?
なければないで、でもあれば一層人生の楽しみ
も深くなりますね。
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人生の楽しみ、ryoさん (kei)
2016-08-04 21:31:41
こんばんは。
ryoさん、お帰りなさい。
誇らしく励みになる時間をはじめ、懐かしい方々との再会など楽しいご旅行でしたね。
こうしたこともまたこれからの日々に深みをもたらしてくれそうです。

しんどい部分も多々ありますが、できるだけ今を楽しんで大切に…と思います。
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