京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

等伯の墓に参る

2023年06月20日 | こんなところ訪ねて

本法寺さんを訪ね、長谷川等伯の墓に参った。
お墓は建て替えられていることを知ったので、見落とさないように細い参道を進むと、比較的入り口に近い場所ですぐに見つけることができた。


右側面に両親、左には二人の妻と長男の法号(日蓮宗の寺なので法号というのが正しいのか)と没年がそれぞれ刻まれていた。「久蔵 二十六歳」。
墓の裏にも回った。

 

地下鉄の鞍馬口駅から歩いたが曲がり損ねて遠回りとなって、20分ほどかかってしまった。
腰を下ろして涼みたいなあと思うのだけれど、適当な場所もなく、またどこかよそよそしい。まだ等伯の物語を知らず、自分の中で膨らむ思いがないせいだ。
そう、司馬さんの言われる「精神の酔い」みたいなものが欲しい。


三条にある中古書店の文庫本の書架に、磯田道史氏の『無私の日本人』がささっていた。
目次には穀田屋十三郎、中根東里、大田垣連月の3人の人物の名前が並ぶ。
磯田氏による蓮月尼の評伝を読んで見たくて買い求めた。110円よ。

「人の優しさというものはどこから湧き出てくるのか。幕末に生きたこの女性を想うとき、そのことを考えずにはいられない。」と始まる。
「本当に大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である。」
この確信をもってこの本を書いた、とあとがきに記していた。

蓮月尼は桜の大樹の根元に葬られている。(’14.4月)


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