― あそこの家の、どうしようもない息子が、どういう心境の変化だか、寝たきりのオバアチャンの世話を熱心に始めた。
― 病院に置いとけばよさそうなものを、勝手に家に連れもどして、そうかと思えば髪をキンキンに染めて、気まぐれもいい加減にしろと見ていたら、あんがいに続いている。
― 昼間は介護さんにまかせて二階でグウタラしているらしいが、夜にはかならずオバアチャンのベッドのそばの簡易ベッドで寝て、朝まで幾度か、オムツの換えを欠かさないそうで、それは感心だが、心配して見舞いに来るオバアチャンの肉親たちに白い眼を剝いてろくに口もきかない。
変なものを吸っているという噂で、目つきもなにやら、あぶない。いつまでアテになるものやら。
ほんとうだかどうだか、あんな孫に、じつは血もつながっていないのに、オバアチャンもなついているそうだが、なまじのこと、途中で放り出されたら、迷惑するのはまわりの者だ。
少しずつ読み進めている『書く、読む、生きる』の中に芥川龍之介賞選評の章があって、第131回の受賞作『介護入門』(モブ・ノリオ)の古井由吉選評がある。
その書き出し部分だが、作品を読んでいないので引用なのか(だと思うが)は定かではないが、
けれどもっとわかりにくいのは、氏の評であって、…。
「…この窮地の内にこそ、剥離解体しかけた言葉と、さらに現実を回復する足掛かりを見いだしつつあるとすれば、ここに今の世の、ひとつの神話と言わず例話の、始まりがひそむ。(略)
言葉の過不足を量っていられるような境ではない。」 ? ?
こういう作品があったのも初めて知るところで、選評を理解するには読むしかないのだろうが、どうしましょ。
それはさておき、この階段を休み休みながらでも上がってきた。


ふた休み、息を整えて

拝殿まで、石段は133段かしら。汗が流れる陽気。

あるのは鳥の声、木々を渡る鳥の羽ばたき、葉ずれの音、白川のせせらぎ。

今のところは、まあ足元健康体と言えそう。
しかし、やはり予習すべき“介護入門編”なのかしら。気は進まないけど‥。
― 病院に置いとけばよさそうなものを、勝手に家に連れもどして、そうかと思えば髪をキンキンに染めて、気まぐれもいい加減にしろと見ていたら、あんがいに続いている。
― 昼間は介護さんにまかせて二階でグウタラしているらしいが、夜にはかならずオバアチャンのベッドのそばの簡易ベッドで寝て、朝まで幾度か、オムツの換えを欠かさないそうで、それは感心だが、心配して見舞いに来るオバアチャンの肉親たちに白い眼を剝いてろくに口もきかない。
変なものを吸っているという噂で、目つきもなにやら、あぶない。いつまでアテになるものやら。
ほんとうだかどうだか、あんな孫に、じつは血もつながっていないのに、オバアチャンもなついているそうだが、なまじのこと、途中で放り出されたら、迷惑するのはまわりの者だ。
少しずつ読み進めている『書く、読む、生きる』の中に芥川龍之介賞選評の章があって、第131回の受賞作『介護入門』(モブ・ノリオ)の古井由吉選評がある。
その書き出し部分だが、作品を読んでいないので引用なのか(だと思うが)は定かではないが、
けれどもっとわかりにくいのは、氏の評であって、…。
「…この窮地の内にこそ、剥離解体しかけた言葉と、さらに現実を回復する足掛かりを見いだしつつあるとすれば、ここに今の世の、ひとつの神話と言わず例話の、始まりがひそむ。(略)
言葉の過不足を量っていられるような境ではない。」 ? ?
こういう作品があったのも初めて知るところで、選評を理解するには読むしかないのだろうが、どうしましょ。
それはさておき、この階段を休み休みながらでも上がってきた。


ふた休み、息を整えて

拝殿まで、石段は133段かしら。汗が流れる陽気。

あるのは鳥の声、木々を渡る鳥の羽ばたき、葉ずれの音、白川のせせらぎ。

今のところは、まあ足元健康体と言えそう。
しかし、やはり予習すべき“介護入門編”なのかしら。気は進まないけど‥。
知らない事が多い事を皆様のブログを拝読して、改めて反省する毎日です。
「あそこの家の、どうしようもない息子」さん。
人はあれこれ無責任に噂しますよね。
オバアチャンの介護を放り出すことはなかったのでしょうか。
気になりますね。
33歳での受賞のようです。作者も作品も全く知りませんでした。
静かな中にありますね。
『介護入門』いつもながらどこから見つけてこられるのでしょうか?
おばぁちゃんと仲良しなのも微笑ましいです。
今までも多くの本をご紹介いただきました。
感謝です。
「主人公のちょいとふざけたラップ口調で語られる「介護する者」と「介護される者」との
日々の辛さやいらだちや不安や怒りは、まことに正論である。」
「だがその正論が、モブ氏がこの小説で使った口調によって価値を持ったとするなら、
私はその点においてある種の危惧を抱かざるを得ない。」
「それは単なる一過性の小技にすぎないのであって、一篇の小説が内包する本質的な深さとは無関係だからである。」
作品の内容は読んでみないとどうにもわかりません。
古井由吉さんが選考委員を勤められた第94回から132回までの作品評が
『書く、読む、生きる』に収められているのです。
北白川天神宮を何で知ったのか。
あれだ!というものは頭に浮かぶのですが、
どこをどう探しても出てきません。
「高盛」された写真なのですが…。