京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

遠くへ行きたい

2022年10月11日 | 日々の暮らしの中で
昨日は朝からの雨で、庇の低い家にこもって気分の晴れない一日を過ごした。
そんな日、こんな句に出会っていた。
  
   浄土にてまた逢うまでの夜長かな
   もったいなや祖師はかみこの九十年

浄土真宗大谷派、東本願寺第23代法主大谷光演(1875-1943)。正岡子規の影響を受け『ホトトギス』に参加、碧梧桐や虚子に傾倒するも、やがて離れて独自の句風を築いていく。
俳号は句仏。句をもって仏徳を讃嘆する、「句仏上人」と呼ばれたそうな。句の「祖師」とは、もちろん親鸞聖人のこと。


窓ガラスに露をむすんでいたが、庭の木々の隙間から朝日が一筋。
新聞が休刊日だったことを思いだした。
そして思い出せば美術館も博物館も、今日は休館日。

永六輔さんが「『遠くへ行きたい』」から四十年」と題したエッセイで、旅と旅行とは違うものだと書いていた。旅行は、あらかじめ計画をして、出かけたら帰ってくるもの。旅とは、出かけた先に日常生活があるものだという。これが英語になると「トリップ」「ツアー」「トラベル」「ジャーニー」と旅も4つになる。自分は予定も決めず、気の向くまま自由に出かける旅、ジャーニーが好きだと。

永さんはエッセイの中で「宮本常一さんが『風のように旅をしろ。吹いている風のように』とおっしゃっていました」として、「大切なことは『風のように』。自己主張し過ぎないで、その場所に馴染むことです」と添えている。「自然な出会いを楽しむこと」「郷に従って郷に入れば、必ずいい旅になる」と。


さあ、どこへいこうか。東か西か北か。人を求めず、自然の多いところへ…。旅に出ることもままならず、久しぶりのウォーキングで気分を転換がいいところだ。
午後の陽を受けて、きれいだった。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ホトトギスの植え方 (ゆり)
2022-10-12 10:00:55
こんにちは。

大きくなった3年物を草むらに植え込んだのですが、こういう感じにホトトギスだらけもいいですね~~~

旅・旅行の違い・・・
明日は計画した日帰り旅行です。コロナだけでなく、私は意外に出られなかったのです(講とお義理と同窓会で出られましたが)。
旅行でも日帰りで少し出始めます♪旅はなかなか(;^_^A
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日帰り旅行 ゆりさん (kei)
2022-10-12 11:51:53
こんにちは
ホトトギスだらけで、見栄えはしますね(笑)

目的地を決めてツアーでもトラベルでもよい旅はできますね。
旅の仕方はさまざま。
「トリップは気分転換になる小旅行。家の周りをのんびり歩くのもトリップのうちです」
と永さんです。

楽しい一日をお過ごしくださいね。
返信する
ホトトギス (Rei)
2022-10-12 16:03:50
花はしりません、知らないのでは出会っていても見過ごしているでしょう。
ホトトギス、花より俳句が思い浮かびます。
  目に青葉山ホトトギス初鰹
武将の性格を表すのに引用されていますが
 鳴かぬなら泣かせてみようホトトギス
 鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス
 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
これ本当に3武将が詠んだのでしょうか?
なんだかうまく出来過ぎているような気がします。
実証できる資料が残っているのでしょうか?

浄土にてまた逢うまでの夜長かな>心にしみました

若いころは遠くへ行ってみたい
  知らない街を歩いてみたいなど
憧れましたが、この齢になって日常のありがたさ、
歩けることのありがたさを痛感しています。
返信する
日常のありがたさ Reiさん (kei)
2022-10-12 21:46:59
見過ごされているのでしょう。

子規は喀血したことで時鳥の別称、「子規(ほととぎす))としていますね。
この草の名は鳥の名に紛らわしいので、句では「草」の字を付けて(杜鵑草とか)
草の花であることをはっきりさせたい、と実作注意があったようです。
吉野秀雄は「花油点草」の字をあてているようですよ。
3武将に、それぞれの性格を見極めてとか聞きますが、誰が使い分けたのでしょうか。

計画して思いきらないとなかなか家を空けにくいものです。
日々を無事に過ごす中で、時にはミニツアーを上手に利用されてのお楽しみもよいものです。
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