どちらかと言えば体調の維持管理には極力努力するタイプではないかと思っています。あまり無理をしない、疲れたら手を抜くし楽をすることを考えもします。向上心も前向き思考もあったほうがいいけれど、あり過ぎてもいけないのです。無理をして辛い思いをするのは御免こうむりたくて、その一歩手前で「疲れた~」とブレーキがかかりだすのです。それなのに、この数日気分がすぐれずで突然の不調に陥っています。身体を横にしていると楽なので、日がな気ままに過ごしてしまいました。
図書館への返却日が迫る『湖の琴』(水上勉著)を読み終えました。不快感を忘れて思わず夢中になりました。昭和40年7月から翌6月まで、読売新聞に連載された小説をかなりの削除をして結構し全集に収めたと「あとがき」にあります。
かつて電車から眺めた時の余呉湖
滋賀県長浜市にあって、琵琶湖の北側にそびえる賎ケ岳を越えて約1キロ半ばかり山を入った地点にあるという余呉湖が舞台です。当時の余呉の湖(うみ)は、南から賎ケ岳・大岩山・赤子山・行市山と「四囲がすべて山であった」と書かれています。山から注ぐ川がなく、昔から湖底には湧水があるといわれ、いかなる干ばつの年でも水は涸れたこともなく、鏡面のような湖面であると。
琵琶湖東岸は桑畑の多い一帯で繭作りが栄えた所のようでしたが、余呉の大音、西山の二村も昔から繭をとり、この地でとれる糸だけが三味線や琴の糸に向いていたとあります。
その西山の養蚕農家に奉公にで、糸とりをしている間に桐屋紋左衛門に見初められ京で奉公して暮らす、若狭出身のさくという女性が主人公です。さくは再び西山に戻りますが、ある日突然姿を消して行方不明に。彼女にずっと思いを寄せていたのが男衆の宇吉です。
「自分でよった琴糸で首をくくって死んでしまったのだから、糸箱におさめて余呉の湖の深い淵に葬てやろう」と宇吉は思いつくのです。悲しくも美しく、さくの冥府への旅立ちに月光が明かりを添えています。そして宇吉もあわれです。最後の最後まで、さくがよった琴の糸が役割を果たして、湖底に向かって沈んでいくのです。
羽衣伝説でも名高い余呉湖ですが、はたして、湖底の遠くから琴の音がひびいてくるか。余呉の湖畔に立ってみたくはありませんか。できるなら晩秋の夕暮れにでも。
周囲約6.4キロ。JR北陸線余呉駅下車徒歩5分です。ゆっくりと時間をかけてハイキングコースを楽しみ、水面を眺めてみたくなりました。
こんなこと思っているうちに、どうやら復調の兆しです。
図書館への返却日が迫る『湖の琴』(水上勉著)を読み終えました。不快感を忘れて思わず夢中になりました。昭和40年7月から翌6月まで、読売新聞に連載された小説をかなりの削除をして結構し全集に収めたと「あとがき」にあります。
かつて電車から眺めた時の余呉湖
滋賀県長浜市にあって、琵琶湖の北側にそびえる賎ケ岳を越えて約1キロ半ばかり山を入った地点にあるという余呉湖が舞台です。当時の余呉の湖(うみ)は、南から賎ケ岳・大岩山・赤子山・行市山と「四囲がすべて山であった」と書かれています。山から注ぐ川がなく、昔から湖底には湧水があるといわれ、いかなる干ばつの年でも水は涸れたこともなく、鏡面のような湖面であると。
琵琶湖東岸は桑畑の多い一帯で繭作りが栄えた所のようでしたが、余呉の大音、西山の二村も昔から繭をとり、この地でとれる糸だけが三味線や琴の糸に向いていたとあります。
その西山の養蚕農家に奉公にで、糸とりをしている間に桐屋紋左衛門に見初められ京で奉公して暮らす、若狭出身のさくという女性が主人公です。さくは再び西山に戻りますが、ある日突然姿を消して行方不明に。彼女にずっと思いを寄せていたのが男衆の宇吉です。
「自分でよった琴糸で首をくくって死んでしまったのだから、糸箱におさめて余呉の湖の深い淵に葬てやろう」と宇吉は思いつくのです。悲しくも美しく、さくの冥府への旅立ちに月光が明かりを添えています。そして宇吉もあわれです。最後の最後まで、さくがよった琴の糸が役割を果たして、湖底に向かって沈んでいくのです。
羽衣伝説でも名高い余呉湖ですが、はたして、湖底の遠くから琴の音がひびいてくるか。余呉の湖畔に立ってみたくはありませんか。できるなら晩秋の夕暮れにでも。
周囲約6.4キロ。JR北陸線余呉駅下車徒歩5分です。ゆっくりと時間をかけてハイキングコースを楽しみ、水面を眺めてみたくなりました。
こんなこと思っているうちに、どうやら復調の兆しです。
ウオーキングの疲れでしょうか。でも一時の疲れ、すぐに復調間違いなしです。
でも、季節の変わり目、お大事にしてください。
しばらく読書を忘れていました。周囲の緑が美しすぎて。
また夢中になれる本を探してみます。
琵琶湖北部の深い山に囲まれた小さな湖。
そこにはそこの物語を秘めて、住民との調和をとりながら横たわっているのですね。
晩秋の夕暮れ・・・旅情をそそられますね。
体調管理、欠かせませんよ。
“ゆっくり時間をかけてハイキングコースを楽しみ、水面を眺めてみたくなる・・・”
こういった思いを満足させるためにも、普段の生活の見直しを一つでも。
睡眠時間の確保、最優先に。特に暑さに体力を奪われるこれからは要注意です。
復調の兆し、大いに結構ですが、さらに目標に向かってお大事に。
余呉湖の写真、こんなやわらかい暖かい写真もあるんだな心をうたれました。偏屈じじいはピントの鋭さだけを求めてこんなおおらかな写真は撮れませんでした。ちょっと無理のようです。
さくと宇吉の悲しい物語りのようですが、どこか暖かいものを感じます。読んでもいないのにです。なんか改めて余呉湖の写真が心をうちます。そこに立ってまるでさくと宇吉の物語を思うようにです。
「ウミ」と地元では呼ばれる余呉湖の岸に立ち寄ったことありますが、
穏やかにひっそりたたずむようです。
湖北は観音の里などと称され、白洲正子さんの随筆にしばしば登場する十一面観音の渡岸寺も近くです。
今、じっと読書で過ごすなど無理なことですね。
お身体に気を付けられてご活躍ください。
JR北陸線がこの湖の北を回り込むように走っていますが、いかにも湖北らしい情緒です。
近くの渡岸寺の観音様と重なるような美しい少女「さく」です。
塩津を通って七曲がりの山道を若狭へと二人で盆に帰省していきますが、貧しくても純朴なしみじみとした土地の暮らしぶりが温かくさえ感じます。
小雨で雲がおりて霞んでいますのを車内から窓越しに、それでぼんやり雰囲気あるように映ったのでしょうか。
余呉湖を前にして、心弾む思いがありました。
賎ケ岳の戦でなくなった侍が鎧を着たまま眠っているということなどありそうでしょうか。
さくを想う宇吉の心が切ないですが、
湖北の地でひっそり息づくこの小さな湖が二人を一緒にしてくれました。
読みたかった一冊、ようやくです。
この数日、お疲れかな~なんて思っていました。
体調の悪い時は好きな事をするのが一番ですね。
水上勉氏の作品はあまり読んではいないのですけど
とても文章が美しい・・・悲恋物語は特別に。
晩秋の夕暮れに・・・湖にたってみたいです。
回復の兆し、気ままにのんびりお過ごし下さい。
一日にして体調をくずしました。
じっとして横になってもできること、読書でした。
京都御苑の北に相国寺がありますが、水上さんは少年時にそこで得度をされています。
『雁の寺』など数冊ですが読みました。
空気の澄んだ晩秋の夕暮れ、琴の音が響くでしょうか…。
回復の兆しが見えてようございました。
私も年が歳ですから、その時は頑張っても「後遺症」が長引いて困ります。
私の気分、健康を計るバロメーターはブログです。
疲れたときはブロぐ更新もご返事書く気力も失せてしまいます。
余呉湖>読んだ記憶はありますがすっかり忘れていましたが、
Keiさんのこのブログで少し想いだしました。
他にも伝説の多い余呉の湖でしょう?
「湖北風土記」にも記されていたり、伝説の多い不思議な湖ですね。
行方不明や心中の事実はあったようですね。
作者は10年、さくの行方を探って歩いたそうです。
心に残るラストでした。
なんとなく気分が悪いといった状態が続くのに閉口しました。
今日はどうしても何とかしなくちゃ!と外へ出ました。
チャンスがあるうちにとつい欲張ってしまいます。
予定や計画をあまり先行させると気重くなるのを感じました。
一つ終えて次、というのがよさそうです。