東本願寺の南側の堀で、枯蓮が風にあおられてぷうらぷら。
茎から離れずに残る大小の傘が、頭だけをフリフリしてみせる姿は、ついつい長居の楽しさです。風が止めば、ぴくりともしない静寂の時が訪れます。
杉本秀太郎さんは『花ごよみ』の中で、茎折れした枯蓮は、「夏の蓮田を知っている目にはことのほかわびしく、すさんだものに映じる」「けれども…、記号的なおもしろさ、抽象絵画に勝るとも劣らぬ感興をおぼえる」などと書いておられ、
また、夏場の「蓮の花、蓮の浮き葉、蓮池を見たり思ったりしているときに、仏教圏の国に育ったわれわれが生死について何も考えていないということはない」とも記し、
明治8(1875)年12月10日、85歳の生涯を閉じた太田垣蓮月尼の辞世の歌を添えられた。、
「ねがはくばのちの蓮(はちす)の花のうえにくもらぬ月を見るよしもがな」
学年末を迎え長い休暇に入った孫たち。
来年1月からは小学校1年生になるLukas。音楽会で手話を交えて歌っている「ジングルベル」ですが、なんとまあ、合唱部に入りたいと言い出したとか。歌う楽しさに目覚めたのでしょうか。
スポーツ以外に示された好奇心に、
「 あかるく のびよと
つよく のびよと
たくましく のびよと 」
エールを送りたくなります。
廃園となっていた地元の幼稚園(小学校も)の歌をよみがえらせたWさん。ブログを通じ、教えていただいたばかりの歌の歌詞から一節をさっそく拝借して。