京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

今生のいまが倖せ

2022年12月28日 | 日々の暮らしの中で
あと幾つ寝ると…? 今年の残りの日数を指折り数える日々を「数え日」と呼ぶようだけれど、新しい年を待つ気持ちよりも今を惜しむような、じぶんではどうしようもないところで過ぎ去る時の流れに、ちょっとしたいら立ちのようなものを感じてしまっている。
まあこれも年齢的なものかと片付けているが、ずっと心にかかってしまっていて…。


前登志夫さんは年越しを機に、どんなことを言われていただろうかと『吉野山河抄』を開いた。

「人は年齢を加えるにつれて、一年を送ることのむつかしさがわかってくる。歳月はわたしたちの思惑にかかわりもなく容赦なくどんどん過ぎて行くのであるが、自分の歳月をうまく送りこむのは本当はやさしいことではあるまい。
そのことは自分の帰るところがよくわからないということかもしれない」

この一節に考え込んだ。ややこしいことは考えないにこしたことないのだろうに、まったくもって厄介な性分。

歳晩の夕日を目にして「美しき女人のごとく夕日ありけり」と詠い、
「私の人生の本当の味わいもまた、この静かな日没からはじまる。
多くを学び、そして無心になるという、再生の旅を月並みな山の夕日に禱る。」

と結ばれる。
自分のもやもやは置いておいて、氏の言葉は、文章は、多くの場合にしみじみと心を落ち着かせてくれるものとなる。今、今年を振り返る余裕はないけれど、

  今生のいまが倖せ 除夜の鐘

と年を越さなくちゃな…。
コメント
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