京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

冬芽のけなげさに

2021年01月14日 | 日々の暮らしの中で

ウンベラタム(和名でオオアマナ)に小さな緑の発芽が見られ、喜ばせてもらった。暗く凍てつくような土の中で、ちゃんと冬芽の準備を整える自然界の命のたくましさに、毎年のことながらやはり大きく感動させられる。ほんのちょこっと顔を出し、この世の空気を取り込むような芽の開き具合が愛らしい。春を思わせる今日の温かさは、どう? 気持ちいいねえ。

実は昨春はひとつも芽が出ずに終わってしまった。〈球根を植え付けたあと2か月は水遣りの回数を少なく〉などとあったので、雨に当てすぎたせいかと振り返ってみたが、もともとは地植えで育っていたものだ。それをいくつか掘り上げてプランター栽培し始めた。でも確かにあの時、10月に球根を植え付けたあとの雨量が多かったとは思い出される。

そこで初めて、プランター二つと、さらにもう一鉢にびっしりと球根を植えたあとの水遣りを控えようと、地で育つ花に手間をかけ、過保護みたいだが軒下で管理することにした。置きっぱなし。半月に一度ほど水をやるなど、手間をかけるなど言っては申し訳ないか。まあ、なんせ素人と呼ぶのがふさわしい者がすること。
でもどう? それに報いてくれるように冬芽はけなげに顔を出してくれたではないの。今度はこちらでその健気さに報いなくっちゃ。…でも本来地で育つ花なのだ。毎日のぞいて目をかけ声をかけて、春先の開花を待つとしよう。

 

2列になったその真ん中にも球根をずらし加減で一列植えたはず…。これからか。思わところから顔を出し、のぞいている芽がある。葉に入る白い筋は、こんなに小さいときから確かなDNAを見せる。

  冬がすんだら あたたかい春がくる
  楽しみだ
  楽しみを待つような原因を平常からつくっておきたい

どなたのことば、なにからの引用なのか。こんな一節に出会ったことがある。
楽しみを待つようなタネを平常から蒔いておきたいものだと、改めて思った一日でした。


コメント (4)
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