
中里恒子に「仕事の楽しみ」というとても短いエッセイがある。
料理に裁縫、刺繍、編み物、その他家事一般、女の手仕事と言えば手と心をわずらわさぬものはなく、時間がかかり根気もいる労力だが、そんな中にも「女の心の深さや、可憐さや、忍耐や、性情を感じ」て、楽しまずにはいられないとある。不機嫌だったり、イライラしたり泣いたりしていてできるものではない。「自分の心が静かな、やわらかい愛情で満たされて」、心がそこにあれば、喜びが生まれる。廃物利用も、継ぎはぎもすべて幸福なのだ。「女の手仕事の喜びは、女の生活の象徴であると言える」、と。
修理がきくのか、新調しなくてはならないのか。ふっと思いついて出してみたミシンの調子が悪い。さて、とそれから長いこと思案が続いているわけだが、こんな文章に触れて、思い切って新調してしまおうかと思ってみたりする。電源を入れても、その動力が伝わらないと言うか、動きが悪い。修理できるものなら最後まで使い切りたいと一方で思う。何が問題なのか。自分がさっと行動すればいいだけのこととわかっている。
使わないときには押し入れの中で眠ったままなのに、降ってわいたように心が向かう思いがけない時は起こるもの。にわかに気持ちが揺り動かされた。
先月『時雨の記』を読んだその続きでエッセイ集を手にしているのだが、小説の女主人公・多江像がより立体的になるようでもあって楽しくなってくる。