1974年8月12日(金)から12日間の日程で、職場の一つ違いの同僚とヨーロッパ旅行を楽しんでいた。古過ぎるほど古くなった思い出の引き出しがオリンピックと共に開けられた。
夏休みだし沖縄にでも行こうか、と軽い気持ちで二人で東京有楽町の旅行会社へ出向いたのだ。それがどんないきさつだったか、行き先は変更になった。若い娘が二人でヨーロッパへ、ツアーとはいえ決めてから父に報告だったので、父としても反対のしようがない。事前に相談したらどうだっただろうか。まあ、しぶしぶながら許してはくれたことだろう。母がその時何を言ったかは全く記憶していない。
一人で飛んでいけるほど子どもの翼が強くなったら、親は身を引くべきだ、とか…。それほどの思いはなかったろうが、なにぶんにも事後承諾を強いられたゆえだろう。

栗ちゃんの帽子が邪魔に
12日、羽田13時55分離陸予定は17時20分とずれ込んで、香港、バンコク、デリー、テヘランを経て最初の国はイタリアへ。レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に降り立った。フランスからロンドンへ入ったのが8月17日だった。
ジェントルマンに見惚れ、ゴシックなどの素晴らしい数々の建造物に目を見張ったものだ。
いよいよオリンピックも終了間近かでマラソン競技が始まる頃になってから、ロンドン市内を自由観光をした思い出のアルバムを引っ張り出してみた。
飛行機、バスや列車での移動もあって、はぐれたり集合時間に間に合わなかったりとツアー参加仲間に随分と迷惑と心配をかけてしまった。なんせ、のんびりした相棒の栗ちゃん、時間に間に合わせようという意識があったのかなかったのか…。セーヌ河のほとりを走りに走った二人。何もかもが刺激に満ちていて、何でもかんでも見てやろうとしたのも若さゆえ。随分奔放に飛び回っていた若い頃は、苦い思い出も数々ある。
声援を送りながら感動している自分がいた。勝っても負けてもインタビューでは選手の口からどのような言葉が聞けるのかと興味深かった。
あらゆる機会をとらえて旅には出たいと思う。これからはゆっくりと、立ち止まりながらの旅がいい。
夏休みだし沖縄にでも行こうか、と軽い気持ちで二人で東京有楽町の旅行会社へ出向いたのだ。それがどんないきさつだったか、行き先は変更になった。若い娘が二人でヨーロッパへ、ツアーとはいえ決めてから父に報告だったので、父としても反対のしようがない。事前に相談したらどうだっただろうか。まあ、しぶしぶながら許してはくれたことだろう。母がその時何を言ったかは全く記憶していない。
一人で飛んでいけるほど子どもの翼が強くなったら、親は身を引くべきだ、とか…。それほどの思いはなかったろうが、なにぶんにも事後承諾を強いられたゆえだろう。


栗ちゃんの帽子が邪魔に
12日、羽田13時55分離陸予定は17時20分とずれ込んで、香港、バンコク、デリー、テヘランを経て最初の国はイタリアへ。レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に降り立った。フランスからロンドンへ入ったのが8月17日だった。
ジェントルマンに見惚れ、ゴシックなどの素晴らしい数々の建造物に目を見張ったものだ。
いよいよオリンピックも終了間近かでマラソン競技が始まる頃になってから、ロンドン市内を自由観光をした思い出のアルバムを引っ張り出してみた。
飛行機、バスや列車での移動もあって、はぐれたり集合時間に間に合わなかったりとツアー参加仲間に随分と迷惑と心配をかけてしまった。なんせ、のんびりした相棒の栗ちゃん、時間に間に合わせようという意識があったのかなかったのか…。セーヌ河のほとりを走りに走った二人。何もかもが刺激に満ちていて、何でもかんでも見てやろうとしたのも若さゆえ。随分奔放に飛び回っていた若い頃は、苦い思い出も数々ある。
声援を送りながら感動している自分がいた。勝っても負けてもインタビューでは選手の口からどのような言葉が聞けるのかと興味深かった。
あらゆる機会をとらえて旅には出たいと思う。これからはゆっくりと、立ち止まりながらの旅がいい。