京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 初弘法へ

2012年01月21日 | 催しごと

その昔、平安京の南の果て、朱雀大路が九条大路に突き当たるところに羅城門があった。

「その羅城門(羅生門とも書く)を、思い切って再建したらどうか。候補地の一つとして、京都駅で下車して外へ出ると目の前、真正面に、朱塗りの青瓦の美しい羅城門が平安京さながらに堂々と立っている。大きさはもとの3~5倍、門をくぐって車が自由に往来できるようにする。日本映画が国際的に高い評価を得るようになったのは、映画「羅生門」のおかげなのだから、まず映画関係者の方々がその資金作りの努力されるのが順当であろうと思うが…、」
梅棹忠夫氏だ。昭和32年にNHKのラジオ番組で語られたらしい放送原稿が収録されている。

この朱雀大路を隔てて官立寺院が二つあって、それが左京の東寺と右京の西寺(今は碑のみ)であった。
「東寺」は「’トおじ」か「と’オじ」なのかと、京都駅から近鉄電車に乗ってからは聞き耳を立てていたが、車内放送は「トおじ」だった。京都人は「とオじ」と「オ」にアクセントを置くと耳にしていたが、私と同じ「トおじ」派だった。「次はトおじに止まります」

 
朝は上がっていた雨だが、京都駅に着く頃からまたポツリポツリと始まって、最後まで傘をしまうことはなかった。今日はお大師さまの日、それも一年の最初なので初弘法と言われる大きな縁日が開催された東寺。一年の健康を願ってまずは参拝の後、ぶらぶらと見歩いた。

「これどこの国のものですか?」と若い女性が問いかけたが、首をかしげただけの店主。「わかりませんのォ」 やり取りを聞いていた。
「そこらのものは千円でいい」「今の断捨離で…」と聞こえてきた。買い取った不用品を値段をつけて売っているという感じだ。お土産ででも買ったか色褪せたコケシ、バラになった雛人形。値段を聞かれて、「それ?それは、…3000円!」なんて調子で言われると、それが妥当なのか否か疑わしく思えてしまう。だから買えないのかもしれない。

私はいつもこうして人の姿を覗き見ては密かに愉しんでいるだけのようだ。
「今日はさっぱりや!」 怒ったようにぼやく女性の声がした。

コメント (6)
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